河野談話を守る会のブログ2

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和田春樹教授の主張を文字起こし




文字起こしは面倒くさい。面倒くさいがこれは文字起こししておく必要があるだろう。今後のために。決してすばらしい話だからではない。和田春樹という学者がアジア女性基金という欺瞞性の強い組織に参加しながら経験したその欺瞞の歴史をいくらか明らかにし、いくらかはいまだに盲目的だということだと思う。いずれにせよ運動団体と共同行動するという事は、大沼・大満路線からは離れているということだろう。となりに座っている尹美香は、かつて大満女史が憎々しげに批判していた挺対協の代表である。


アジア女性基金の事業をどう評価したらいいだろうか?
これはなかなか難しい問題である。
私の感覚ではそれは、「魂の抜けた、見せかけだけの事業」と言える。
だから橋本総理の手紙は、「後世に伝える」と約束しながら、サインした歴代首相も含めて、誰一人それを実行しなかった・・・ただ単にお金を受け取らすために書かれた詐欺師の空証文のようなものでしかなかったのだ。「すでにおばあさんたちは高齢なので、決して他意はない善意のお金を」とか言いながら募金を求め、支払うときも、これはただの善意のごとく装いながら、「慰安婦問題を解決する」?という目的を持ったお金なのである。
何を称して彼らは、「解決」と呼ぶのだろうか?
いったい、善意のお金を渡すことが、どうすれば「慰安婦問題の解決」になるのか?私には分からないが、そこにはそういう打算があったという事だろうとは思う。

文中、下線はブログ主による。





慰安婦問題解決は可能だというこのシンポジームに招いていただきまして発言の機会を与えられたことに感謝いたします。(略)

日本政府の側で、問題の解決に関わった者の一人として、25年の経過にも関わらず、慰安婦問題が繰り返した(聞き取りつらし)という事に対して責任を感じるものでございます。
慰安婦問題について私の見解を述べたいと思います。1990年1月の尹先生のハンギョレ連載・・・(略)・・・91年8月金学順ハルモニの告発・カミングアウト。そういう風にして慰安婦問題が提起され、我々の社会の問題と提起されていらい、25年が経過したわけです。 慰安婦問題は未解決です。残された時間は少ない。解決のために努力を尽くさなければなりません。
言うまでもなく日本政府がどうするか?が問われています。 日本政府は93年河野談話を出し、慰安婦問題についての基本的認識を確立して謝罪し、その謝罪を現す処置を実行するために、95年アジア女性基金を設立し、謝罪と償い事業を実施をしようとしました。しかし基金の考えは発足の前年から、韓国の被害者、韓国と日本の運動団体、メディアから批判を受け、その批判は基金の事業の内容が確定したところで、決定的になりました。このような批判を受けた原因を考えてみると、日本政府の行動が日韓条約のさいの請求権協定の規定から補償処置はとれないというのが根本にあることは明らかです。しかし私はその上で3つのことを考えるに至りました。日本政府の誤りの第一は、基金案決定の前に”「元慰安婦に見舞金、民間募金で基金構想、政府は事務費のみ」というのが、政府案だ”という報道が1994年の8月の朝日新聞に出たのに、見舞金というのを考えてはいないというのをはっきりと否定しなかったことです。五十嵐官房長官は記者会見を開いて、はっきりと否すべきでしたがそれをしませんでした。日本政府の誤りの第2は、政府と国民の協力で国民的償いの事業をすると発表しましたが、その「償い」という概念を英語ではトーメン と”贖罪”を訳したのに、韓国語と中国語では漢字語の”補償”、韓国語ではボサン、中国語ではベチャンと訳しました。補償はできないといいながら、補償をするということになり、被害者を欺くことになってしまったようなものです。第3にもっとも深刻な問題は、国民基金で償い金を支払うという基金の基本コンセプトにありました。総理の謝罪の手紙を渡しながら、差し出すお金は国民からの募金で政府のお金のみで、政府のお金はまったく入っていないというのですから、政府は責任をとらないのか、謝罪は真実のものか韓国の被害者と運動団体が最も強く批判したのがこの点でした。しかし、それだけではなく実はこの基本コンセプトは根本的に欠陥があり現実的に事業を実施できないものであることに、基金発足後の準備過程であきらかになったことに私は直面しました。アジア女性基金では1996年6月に償い金200万円にすると決定しました。当時、●●になっていたのはアメリカで戦争中日系米人を収容所に入れたことに対して、政府が謝罪して一人当たり2万ドル(約200万円)を支払ったことです。基金の運営審議会は慰安婦の受けた苦しみは日系米人の受けた苦しみより重いと判断して償い金を300万円にすると決定しました。しかしそれは原理事長の判断で200万円に下げることになった。本来の基金の基本コンセプトからすれば、募金の額を考えて事業対象者数で割って決定するというきめ方しかできないはずです。基金は韓国、台湾、フィリピンを最初の事業対象国と定めましたが、事業対象者は330人と言われていました。募金額は96年4月末で約3億3千万になりましたので事業対象者数で割ってみると償い金は、100万円になります。ですから200万円を差し出すことはできないのであります。200万円を決めたことは不足する3億3千万円は政府に支出してもらうしかないと判断したいうことです。それが基金の合意でした。原理事長は橋本総理に会い、償い金に不足することがあれば政府が責任を持ってくれるように申し入れ、承諾を得ました。つまり200万円を支給すると決めた瞬間に国民からの募金で償い金を出すという政府の基本コンセプトに本質的な欠陥があることが分かったのです。しかし首相の約束は秘匿されました。アジア女性基金の関係者はどんなに難しくとも政府側と交渉して募金で支払うという基本コンセプトの修正を正式に決定してあの時点で合意すべきだったと私は今は思うようになりました。結果としてアジア女性基金の事業は韓国と台湾では受け入れられませんでした。韓国では60人、台湾では13人の被害者が基金の事業を受け入れたにとどまり、 認定登録被害者の3分の2は受け入れなかったのです。ですからアジア女性基金の事業は韓国台湾では、未完のままで終わった、失敗した事業であったとしなければなりません。日本政府は河野談話に基づき慰安婦問題解決のために、アジア女性基金の事業をしました。しかしそれは韓国、台湾では受け入れられず、事業をやり遂げるわけにはいかなかった。だから慰安婦問題に対する努力を継続させなければならない。対処する姿勢を考え直し、さらなる解決の努力を追加的に試みなければならないのです。これが慰安婦問題の研究者だと私は思います。日本政府に新たな努力をさせるには、被害者が受け入れ、運動団体も受け入れ、両国国民が支持し、そして日本政府が実行できるはずの解決案があるという事が明らかにならなければなりません。2014年6月、アジア連帯会議の提案に接した時、私はこれがそのような解決案に近いものだと思いました。以来、この案にずっと注目して来ました。この提案はこれまで韓国台湾の運動団体が提案してきた解決策とは一見大きな違いを見せています。「法的責任を認めよ」「戦争犯罪を認めよ」と言う言葉が書かれていないという事であり「犯罪責任者の懲罰」ということが書かれていないからです。この案を見て、運動団体が自分たちの要求が実現できないと見て要求を引き下げたと考える人がいるかも知れません。しかし私はそういうものではないと見ている。25年に渡って運動を続けてきたわけです。当然のように解決に結びつかない運動はマンネリ化します。大事なことは被害者が本当には何を望んでいるのか?ということに何度も何度も立ち返り、要求を新鮮な表現しなおす。これが大事です。被害者は自分の受けた苦しみの中心の中心は何だと考えているのか?その苦しみを自分に与えた責任者は誰だと考えているのか?その責任者にどのように謝罪することを望むのか?こういうことを深く考え直してみることによって、自分の要求項目をより鋭く、直截に表現することが必要だったのでしょう。被害者たちは、自分たちの苦しみの重箱を日本軍の慰安所などで性交を強いられたこと、そこでされたことは自分たちの意思ではないと考えている人々です。責任は慰安所を造って戦争をした日本軍、日本政府にある。

  ーーー(後略)---