地獄の戦場と化した―ニューギニアの慰安所について
について書いていた。慰安婦問題というよりも、強姦問題が主だろう
ていない。直接被害者の話を聞いたことがないからだ。ここでいうニ
アン・ジャヤ州からなるニューギニア島全体と周辺の島々の事であ
る。平坦な草地、豊かなマングローブの林、沼地と多くの火山島、熱
帯植物が生い茂り、時折強烈なスコールがやって来るのがこの辺り
の地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と謡われたほどであった。熱
帯なのに案外食べ物は無かったと飯田進の証言もある。
さらば ラバウルよ また來るまでは しばし 別れの 涙がにじむ
戀し懷し あの島 見れば 椰子の 葉かげに 十字星
夫の)は、直接戦争を知らない人間でも知っている。このラバウルが
![]() まずここから見てみよう。
ココボの慰安所
上陸した頃は、ココボはまだ陸軍の基地で、たしか一〇三兵站病院もあり従 軍慰安婦もいた。彼女たちは「ピー」と呼ばれていて、椰子林の中の小さな小屋に一人ずつ住んでおり、日曜とか祭日にお相手をするわけだが、沖縄の人は「縄ピー」、朝鮮の人は「朝鮮ピー」と呼ばれていたようだ。彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。(『水木しげるのラバウル戦記』p30) ![]() (『総員玉砕せよ!』p14.15)
その他水木しげる作品は、
などで
日本軍は侵攻したほとんどの土地で慰安所を造った。
しかし東部ニューギニアの場合は元兵士の証言としては今日まで確認さ
れていないという。
技術史専門の奥村正二は『戦場パプアニューギェア』(中公文庫)で
これは、主に現地の方々を慰安婦にしたか?どうか、あるいは強姦し
たか?どうか、という問題だが、慰安所を造る場合、現地で集める以
外に朝鮮・台湾・日本などから連れていくケースが多い。しかし、元軍
を置いた慰安所自体が無かったという。
この点ではニューギニア戦線の体験者の証言は一致しているようだ。
『正論』99年2月号で田辺敏雄が生還者31人に聞いた調査では、全
員が慰安所の存在を否定しているという。(この自称「現代史家」田辺敏
雄が自由主義史観研究会と行動をともにしていることは知っておくべきだろう
がhttp://ironna.jp/article/518。このURLの記述の問題点もありそうだ。)
また補給基地となっていたウエワクの陸軍主計中尉針谷和男によれ
ば「女性と言えば看護婦さんが数人いただけ」だという。(『慰安婦と戦
場の性』p319、針谷和男『ウエワク』(1982))
には慰安所があったが、なぜか14万人の兵士が参加した東部ニューギニ
のパターンだが。
戦友会等による「事実隠し」の結託の可能性はどの程度あるか?
日本兵にヒヤリング調査をしたという保坂正康は、
①戦友会の役割として大本営の作戦を否定しないように、かつての
将校が見張っている
②意図的に嘘をつく人がいる
③人間は意図的にではなく、記憶を美化し、操作する傾向をもつ・・・な
どを指摘している。(『知らないと恥ずかしい日本の戦争常識のウソ』
p265~p275)
こうした悪事の隠蔽工作はよく知られている話である。
ゆえに元兵士の話だからと言って、単純に信用するわけにはいか
なっている可能性もあるからだ。
しかし、生き残った人も1万人以上いて、これだけの人数が全員嘘を
つき通すとは思われない。何人かが結託しても、必ず秘密をもらす
人間がでてくるはずだからである。
あった」とは述べていない。
著作は『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相』、『魂鎮への道』など まとめ
いてはいづれは総合的な見解をまとめておく必要があるだろう。
(全敬称略)
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