河野談話を守る会のブログ2

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教育上よくないのでNHKは子供に見せるべきではない・・・吉田松陰は侵略扇動家である


                 誰が「侵略しろ」と命じたか?

このブログでは随分前に取り上げたテーマである。↓

要するに、1931年から、1945年までの14,5年間の侵略戦争、あるいは朝鮮半島、台湾などへの侵略戦争の原因は、アジアの(あるいは世界の)侵略を国学者復古神道が煽った事にあるということ。
そして最も侵略を煽ったのが、弟子たちが明治政府の担い手となった吉田松陰である。

松陰は「朝鮮を責めて質を入れ」などと弟子に書き遺しており、これを受けて弟子たちは「征韓論」を唱えたのである。

最近、安倍への”よいしょ”なのか?NHKが吉田松陰を美化したドラマをやっている。まるで”国策ドラマ”であり、安倍の郷里の人達の偉人ぶりが創作されているが、事実に遠く乖離している。NHKはそのうちに「岸信介物語」かなんか造って、でっち上げ国家満州国と岸を美化しちゃいそうで怖い。

子供たちにはもうNHKは見せないように努力しよう。
教育上、悪いので・・・。





http://s.webry.info/sp/madonna-elegance.at.webry.info/201209/article_12.html

松陰が獄中で書いた「幽閉録」によれば

 「今、急に武備を修め、則ちよろしく蝦夷(北海道)を開墾し、諸侯を封建し、すきに乗じてカムチャッカ(原文は漢字表記)、オホーツク(同じ)を奪い、琉球に諭し、・・・・朝鮮を責めて質を入れ、貢(みつぎ)を奉ること、古(古)の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(フィリッピン)の諸島を攻め、漸に進取の勢いを示すべし」


「獄是帖」では

 「魯・墨(ロシア・アメリカ)講和一定、決然として我より是を破り、信を夷てきに失うべからず。ただし章呈(法規)を厳にして、真偽を厚うし、其の間を以って国力を養い、『取り易き朝鮮、満州支那を切り随え、交易にて魯・墨に失うところは又土地に満鮮にて補うべし』」


「獄是帖」にはさらに

 「朝鮮と満州は相連なりて神州の西北にあり。又海を隔てて近き
ものなり。しこうして朝鮮の如きは古時、我に臣属すせしも、今や
則ち、やや奢る。」

 「師をおこして三韓の無礼を討ちしこと、国威の海外に震う。何ぞ
これ壮なる哉」

 
 「幽室文庫」では

 「すきに乗じて蝦夷を墾き、朝鮮を取り、満州をくじき、支那を圧し、
印度に臨み
、以って進取の勢を張り、・・・・・神功皇后の未だ遂げ
ざりし所を遂げ、豊国(秀吉)の未だ果たしざりし所を果たすに如かず」

 安政五年に桂小五郎に送った書簡で

 「吾が藩(長州)より朝鮮、満州を臨むに若くはなし。朝鮮、満州
臨まんとならば,『竹島は第一の溜(たまり)なり。遠く思い、近くを
謀るに、是今日の一奇策と覚え候』」





http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/minaosushohan20.html
佐藤信淵『混同秘策』において「神州は太陽の出ずる所、元気のはじまる所にして・・・・・・大地の元首にして万国の綱紀なり」「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり」とし「全世界ことごとく郡県となすべく、万国の君長みな臣僕となすべし」と誇大妄想的世界征服論を唱え、吉田松陰は「国力を養い、取り易き朝鮮、満洲支那を切りしたがえ、交易にて魯墨に失うところは、また土地にて鮮満に償うべし」(「獄是帳」)と主張した。



http://trail.tsuru.ac.jp/dspace/handle/trair/682
李泰鎭イ・テジン ソウル大学名誉教授)が「韓日両国知識人共同声明記念第 3 次学術会議」(2014 年1 月27 日)で行った報告を論文としたものである。直前に安倍首 相が靖国神社を参拝し、韓国と中国、米国などからの批判をよびおこしていたが、靖国参 拝の思想的背景の解明が必要とされていた。思想的源流はまず征韓論にあることは周知の 通りであるが、被害当事国である韓国では、征韓論に対する研究は意外なほど少なく、本 論文はその研究上の空白を埋めるものである。本論文では、韓国併合にいたる過程は、通 説的な理解である近代的な帝国主義による膨張ではなく、吉田松陰が唱えた封建的な膨張 主義である征韓論が実現していく過程であり、実際にも松陰の門下生たちがその後韓国併 合をなしとげていったことが明かにされている。また併合過程で言論機関の統制を担った のが徳富蘇峰であったが、徳富も吉田松陰の信奉者であり、徳富が吉田松陰のイメージを つくりあげていくうえで大きな役割を果たしたことも明かにされている。



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