河野談話を守る会のブログ2

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2【安倍晋三と「慰安婦」問題―発言に見る、極右政治家の実像―(成澤宗男)】を読む



デマを流し続けている右派論壇とネトウヨそして安倍政権

 『週刊金曜日】の成澤宗男氏が、現在国会で「戦争法案」を通過させるためにデタラメな答弁を繰り返している安倍晋三首相の「慰安婦」問題発言の問題点を過去にさかのぼって指摘している。

必見なので今回、著作者の許可をたただき全文を転載することにした。一緒に安倍首相の「歪曲の手口を検証」してみることにしよう。



(なお下線部は、元文による)

て前回「主観的願望を優先するため、ろくな論議することもできず常に逃げ口上が用意されている」安倍の慰安婦論の歪みが指摘された。政権を失った自民党を舞台に古参議員のルサンチマンを吸い込み、歴史修正の花が咲いていく。奥野や板垣の「大日本帝国」の復権は、安倍によって「自民党」の復権と合一し、「慰安婦」問題否定は今や自民党の党是となりつつある。
安倍の歪曲の手口の一つは、右派の秦や西岡、小林よしのり桜井よしこ等と同様に「連行時に強制か否か?」をことさらに焦点にするというものである。実はそこだけが右派が少しだけ有利なポイントなのだ。そこで安倍の「慰安婦」論もまた吉田清治を否定し、そのまま「慰安婦」否定論へと傾れこむという特徴をもっている。そしてこれを河野談話攻撃へも援用している。
こうして、全ての論説がつぎはぎだらけ、2枚舌と詭弁の連続となってしまう。
前回転載した志位議員の指摘=「河野談話を攻撃してきたにも関わらず、河野談話を受け継ぐと言う矛盾」を安倍はどう取り繕っただろうか?

続きである。



安倍 この河野談話の骨子としては、慰安所の設置や慰安婦の募集に国の関与があったということと、慰安婦に対し政府がおわびと反省の気持ちを表明、そして三番目に、どのようにおわびと反省の気持ちを表するか今後検討する、こういうことでございます。
 当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか
 また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。

志位 今、狭義の強制性については今でも根拠がないということをおっしゃいましたね。あなたが言う狭義の強制性というのは、いわゆる連行における強制の問題を指していると思います。しかし、河野談話では、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、」とあるんですよ。政府が自分の調査によってはっきり認めているんです、あなたの言う狭義の強制性も含めて。これを否定するんですか。本人たちの意思に反して集められたというのは強制そのものじゃありませんか。これを否定するんですか、河野談話のこの一節を。


安倍 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。


志位 今になって狭義、広義と言われておりますけれども、この議事録には狭義も広義も一切区別なく、あなたは強制性一般を否定しているんですよ。そして、河野談話の根拠が崩れている、前提が崩れている、だから改めろ、こう言っているわけですよ。
 ですから、これも、河野談話を認めると言うんだったら、あなたのこの行いについて反省が必要だと言っているんです。いかがですか。広義も狭義も書いてないです、そんなこと。あなたが今になって言い出したことです。

安倍 当時私が申し上げましたのは、いわば教科書に載せることが、中学生の教科書に載せることが適切かどうかということを申し上げたわけであります。 そして、私が累次申し上げておりますように、私は、今内閣総理大臣の立場としてこの河野談話を継承している、このように思います。


志位 今の総理の答弁は全く不誠実です。中学生の教科書に載せることだけを問題にしたんじゃない。強制性がないと言ったんですよ。これだけ反省すべきだと言ったのに、あなたは答えない。
 強制性の問題については、先ほど言ったように、その核心は慰安所における生活にある慰安所における生活が、強制的な状況のもとで、痛ましいものであった、これは河野談話で認定しています。これを裏づける材料は、旧日本軍の文献の中にたくさんあります。
                   (略)
 あなたは、政府の基本的立場は河野官房長官談話を受け継ぐとはっきりおっしゃったんですよ。ならば、あなたは、これまで河野談話を根拠が崩れていると攻撃して、歴史教科書から従軍慰安婦の記述を削除するように要求してきたみずからの行動を反省すべきではないか。そして、この非人間的な犯罪行為によって犠牲となったアジアの方々、とりわけ直接被害に遭われた方々に対して謝罪されるべきではないかと私は思います。もう一度答弁をお願いします。


安倍 ですから、私が先ほど来申し上げておりますように、河野官房長官談話の骨子としては、いろいろな苦しみの中にあった慰安婦の方々に対しておわびと反省の気持ちを表明しているわけでありまして、私の内閣でもそれは継承しているということでございます。

志位 河野談話を継承すると言いながら、みずからの誤りについての反省を言わない。これでは、心では継承しないということになりますよ。

一読して理解できるように、安倍の「答弁」はまったく答弁になっていない。「慰安婦」問題の国会答弁はすべてこの調子だ。無論、「反省」などせず、自身が今になって「心」とは裏腹に、河野談話を「受け継ぐ」と表明する自己矛盾についても、認めようとはしない。このような権力者に「おわびと反省」などと口にされること自体、「慰安婦」にされた被害者女性らにとっては最大級の侮辱に等しいだろう。
そもそも、彼女らが仮に「家に乗り込んでいって強引に連れてい」かれたのではないとしても、あるいはその「証拠」がなかったとしても、それが何だというのか。結果として「慰安婦」にされ、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という事実認定以外の何が必要なのか。この点を「核心」とする河野談話を「受け継ぐ」と表明したなら、「狭義の強制性と広義の強制性があるであろう」などという、被害者の側からすればまったくの無意味で、セカンドレイプそのものの言動が生まれる余地はあるはずもない。
したがって、安倍にとって河野談話とは、それを公の場で「受け継ぐ」などと、思ってもいないことを公言することで、自身の二枚舌を証明する格好の題材になっている。のみならずそれは、「歴史認識については、政治家が語るということは」云々の妄言と同様、「慰安婦」問題を追及され、あるいは何かの言質を取られそうになった際に、「受け継ぐと言っているのだからそれ以外の話はいいだろう」とばかりに用いる、下手な逃げ口上の方便にもなっていよう。
第一、「受け継ぐ」つもりなら、河野談話の「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」というくだりはどうするつもりなのか。本人も認めたように、吉田「証言」がどうのこうのと、先頭に立って「慰安婦」の「歴史教育」を妨害してきたのは安倍自身ではないか。自分で真逆のことをやってきておいて突如「受け継ぐ」だの「おわびと反省」だのと言い出しても、自身の二枚舌を如実に証明するだけの話だ。