河野談話を守る会のブログ2

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4、【安倍晋三と、「慰安婦」問題―発言に見る、極右政治家の実像―(成澤宗男)】を読む

嘘も一つや2つなら、追及しやすいかもしれない。ところがここに記録されている安倍の嘘は、短い文章の中にも複合的である。”嘘だらけ”と言ってよいだろう。一国の首相がまるでネトウヨみたいだという感想はしばしば聞くが・・・・。

しかし、恐ろしい詭弁である。
瀬戸内寂聴さんが言うように、何かが憑いているとしか思えない。

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(前頁からのつづき)


4 虚構の「閣議決定

閣議決定と言っても、毎年国会議員から膨大に提出される質問主意書に対し、基本的に政府が答弁書を作成し、回答するだけ。安倍内閣07316日、民主党辻元清美議員が同月8日に提出した「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」に対し、答弁書で回答しているが、安倍はこの質問書について、首相一期目における「慰安婦」問題についての、最大の獲得ポイントであるかのように今日まで吹聴し続けている。
まず辻元議員の質問主意書を、要点だけ紹介しよう。そこでは冒頭、次のように一連の安倍の発言とそれに関連する動きを列挙している。

米国議会下院で、「慰安婦」問題に関して日本政府に謝罪を求める決議案(以下決議案)が準備されている。これに対し安倍首相が総裁を務める自民党内部から「河野官房長官談話」見直しの動きがあり、また首相自ら「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と述べ、談話見直しの必要性については「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことから、米国内やアジア各国首脳から不快感を示す声があがっている。

その上で、以下の質問に続く。

  一 《安倍首相の発言》について
 1 「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい。
 2 「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と安倍首相は発言しているが、政府は首相が「なかったのは事実」と断定するに足る「証拠」の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか。予算を含めた調査結果の詳細を明らかにされたい。
 3 安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か。
                     (略)


そして、これに対する以下の答弁書の傍線が、安倍の言う閣議決定となる。

 
 一の1から3までについて
  お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。
  調査結果の詳細については、「いわゆる従軍慰安婦問題について」(平成五年八月四日内閣官房内閣外政審議室)において既に公表しているところであるが、調査に関する予算の執行に関する資料については、その保存期間が経過していることから保存されておらず、これについてお答えすることは困難である。
                      (略)


  この答弁書の「一の1から3までについて」は、明らかに辻元議員の質問趣意書の回答にはなっていない。安倍が今でも吹聴する閣議決定とは、「強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかった」という安倍の発言に対し、そう「断定するに足る『証拠』の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか」といった質問への回答だが、内容は、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」などと、質問の一部を同義反復しているだけに過ぎない。
ところが後になって、2012914日に行われた自民党総裁選立候補者の共同記者会見の席上、安倍は「河野談話の核心をなすところは強制連行。朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった。子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。新たな談話を出すべきではないか」とした上で、「(第一次)安倍政権のときに、『強制性はなかった』という閣議決定をしたが、多くの人は知らない。河野談話を修正したことを、もう一度確定する必要がある」(『朝日』2012916日付朝刊)と述べている。
もし総裁選で安倍が述べたように20073月、河野談話を「修正」する閣議決定をしたなら、実に驚くべきことだ。同年の4月、つまり翌月の米国メディアの取材、及び続く訪米時に、「河野談話を受け継ぐ」と何度も明言しているのだから。
ならば安倍は、首相になった時点で「受け継ぐ」と表明した河野談話073月の閣議決定で突然「修正」し、かつ翌月になってまた方針転換して、米国人の前で「受け継ぐ」と述べて歓心を買った、ということなのか。
無論、いくら安倍の思考が支離滅裂であっても、そのような真似をしたのではない。なぜなら肝心の閣議決定には、何と最後の方で「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない」と明記してあるからだ。閣議決定の「修正」が、「継承」と相容れるはずがない。
安倍の「歴史修正主義」とはこの程度で、事実認識の客観性など二の次であり、自分の主観的願望、またはそれからくる偏見の類いが即事実だと思い込む。その証拠に、河野談話のどこをどう読めば、「核心をなすところは強制連行」などという解釈が成り立つのか。いくら安倍が自慢げに「家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった」などと述べようが、そのことと「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と認めている河野談話は、何の直接的関係もない。
である以上、そうした閣議決定なるものが、河野談話の価値をいささかなりとも左右するものではないはずだが、なぜ安倍はそれほど吹聴できる内容であるかのように誇らしげでいられるのだろう。
さらに、安倍は自民党総裁選に勝利し、総選挙を控えた20121130日に開催された日本記者クラブ主催の党首討論会に臨んだ際、以下のような発言をしている。

河野談話についてはですね、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において「それを証明する事実はなかった」という事は閣議決定しています。そもそも、まぁ朝日新聞の星さんの(笑)朝日新聞誤報による、吉田清治という、まぁ詐欺師のような男が作った本がまるで事実かのように、これは日本中に伝わっていった事でこの問題がどんどん大きくなっていきました。その中で、果たして人を人さらいのように連れてきた事実があったかどうかという事については、それは証明されていない。という事を閣議決定しています。ただそのことが内外にしっかりと伝わっていないという事をどう対応していくか。ただこれも対応の仕方によっては真実如何とは別に、残念ながら外交問題になってしまうんですよ。


 ストレートに「河野談話についてはですね……、これは閣議決定されたものではありません。安倍政権において『それを証明する事実はなかった』という事は閣議決定しています」という箇所を読めば、河野談話とは、後の「閣議決定」によって「証明」不能と談じられた欠陥品ということになる。
いずれにせよ、河野談話憎しのあまりか、あるいはそれまで「受け継ぐ」などと心にもない誓約を言い続けざるを得なかった反動からか、いくら事実に反していようが自身が「河野談話を修正した」かのような強い願望に由来する妄想を膨らませ、そうした仮想現実の中に浸って一人悦に入るという、文字通りの自慰的行為を繰り返しているだけなのだ。
おそらく、河野談話を持ち出す際に、始終吉田「証言」に触れるのは、「証言」が「めちゃくちゃ」であるとの評価である以上、それによって河野談話を葬れると勝手に思い込んでいるからだろう。だが、安倍は公式に河野談話を見直するような度胸は持ち合わせていない。だからこそ、「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という記述を閣議決定に盛り込ませて、繰り返すように河野談話を自分が膨らませた夢想の中で「修正」した気になっているだけなのだ。
それでも、こうした夢想癖は形式上、現実に引き戻されたような結末にはなっている。なぜなら2007420日のそれこそ閣議決定で、安倍は「持論」の「狭義の強制性」を何と事実上撤回しているのだ。
それに先立つ410日、辻元議員は再び質問主意書を提出し、安倍が鬼の首を取ったかのように自慢しているその1ヶ月前の3月の答弁書、つまり閣議決定がまったく質問には回答していない内容であったため、以下の項目を再度盛り込んだ。

「1 安倍首相のいう『狭義の強制性』とは、どのような定義によるものか。『家に乗り込んでいって強引に連れていった』以外にどのようなケースがあるのか。具体的に示されたい。
2 安倍首相のいう『狭義の強制性』以外は、すべて『広義の強制性』になるのか。安倍首相の見解を示されたい」


そして420日に閣議決定された答弁書には、以下のように記されていた。

 
平成五年八月四日の内閣官房長官談話は、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、当該談話の内容となったものであり、強制性に関する政府の基本的立場は、当該談話のとおりである。


そもそも、安倍が3月の閣議決定で明確に「河野談話を受け継ぐ」としたのだから、本来、翌420日の閣議決定以外の答弁はありえないはずだ。すると、談話の「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という事実こそ「強制性」の実態であって、安倍がこだわる「軍や官憲によるいわゆる強制連行」、つまり「慰安婦」にされるまでの形態については、当然にも何の意味も持たなくなる。同時に、それを「直接示すような記述」の有無についても同じことだ。
であれば、420日にこのような閣議決定をするくらいなら、最初から「広義」だの「狭義」だの、「人さらい」がどうのこうのと繰り返す必要は、まったくなかった。にもかかわらず、安倍は現在もこの3月の方の閣議決定だけをあたかも何か自分の得点であったかのように思い込んでいるのには、呆れるのを通り越してもはや不気味な印象さえ受ける。もともと、「歴史認識は専門家に任せるべき」などという逃げ口上を使うことに躊躇しないぐらいだから、最初から理論的整合性などまるで通用しないのだろう。
だが、安倍が20073月の閣議決定に現在も固執している以上、あえてそれがまともな評価に堪えないという理由をさらに追加せねばならない。つまり、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という記述は、実は以前から歴代政権によって何度も繰り返し述べられてきた認識なのだ。この事実を、辻元議員は201338日の衆議院予算委員会で、次のように追及した。

この十年前、政府はどのような答弁をしていたかというのが(提出した資料の)左にございます。これは片山虎之助委員に対する政府の答弁です。

「政府といたしましては、二度にわたり調査をしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見当たりません。総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで判断した」

 (略)要するに、河野官房長官談話を出した前提を、歴代の内閣は同じように答弁してきたんですよ。強制的に集めるとか、通達を、強制的に出せとかはないけれども、証言や総合的に資料を考えて河野官房長官談話を出しましたという。


 つまり辻元議員は、2007年の閣議決定なるものは「十年前」の政府答弁と同一であり、あたかもそれと違った内容を閣議決定したかのような安倍の発言は、「矛盾しているんじゃないですか」と質した。さらに同議員は、安倍が2012年の自民党総裁選時に「修正」したと発言したことに対し、「河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。修正されたんですか。どうですか」と詰め寄った。
 これに対し安倍は最初の質問について、「質問主意書というのは、皆さんが出されるのは重たいんですよ、閣議決定しますから。閣議決定、全員の閣僚のいわば花押を押すという閣議決定なんです。(略)そこで、いわばその重たい閣議決定をしたのは初めてであります」とし、「何の矛盾もしていないということは、はっきりと申し上げておきたいと思います」と答弁している。
だが、すぐ後で述べるようにこれもウソであり、同じ閣議決定は以前にもあった。そして形式はともかく、一般の国会答弁と閣議決定が同じ内容である以上、「初めて」であろうがなかろうが、後者が何か特別の意味を持っているかのような安倍の主張は「矛盾」と見なして差し支えあるまい。
しかも安倍は、河野談話を「修正されたんですか」という最も肝心な質問には返答せず、無視を決め込んでいる。当然だろう。河野談話閣議決定による「修正」とは、安倍がふける夢想の世界の架空話でしかないからだ。
そもそも、閣議決定がそれほど「重たい」のであれば、20074月の閣議決定について、以後まったく安倍による言及がないのはなぜだろう。それとも、閣議決定とはその都度、重さが異なるというのか。
なお、この20073月の閣議決定が特段の新味はないという主張は、辻元議員が2013523日に自身のブログに掲載した「橋下徹大阪市長慰安婦を巡る発言の背景となった安倍首相の『閣議決定』に関する発言について」という一文で、仔細に埋設している。以下、その抜粋。URLhttp://www.kiyomi.gr.jp/blogs/2013/05/23-933.html

<歴代の内閣の答弁>

E)片山虎之助委員の質問に対する平林博官房外政審議室長による政府答弁(1997年1月30日参議院予算委員会
「政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。」


F)板垣正委員の質問に対する村岡官房長官の政府答弁(1998年4月7日総務委員会)
「第一点は、先生今御指摘になられましたように、政府が発見した資料、公的な資料の中には軍や官憲による組織的な強制連行を直接示すような記述は見出せなかったと。第二点目は、その他のいろいろな調査、この中には、おっしゃったような韓国における元慰安婦からの証言の聴取もありますし、各種の証言集における記述もありますし、また日本の当時の関係者からの証言もございますが、そういうものをあわせまして総合的に判断した結果一定の強制性が認められた、こういう心証に基づいて官房長官談話が作成されたと、こういうことでございます。」


さらに、安倍首相は「いわばその重たい閣議決定をしたのは初めてであります」(201338日の辻元の予算委員会質問に対する答弁)と、歴代内閣で初めて、「強制連行を直接示す記述はなかった」ことを閣議決定したと答弁している。ところが、これも虚偽答弁である。
すでに19971121日、高市早苗議員の提出した質問主意書に同じ内容の答弁(G)が橋本内閣によって閣議決定されている。

G)高市早苗議員の質問主意書慰安婦」問題の教科書掲載に関する再質問主意書(1997年11月21日)に対する答弁書
「いわゆる従軍慰安婦問題に関する政府調査においては、発見された公文書等には、軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった。他方、調査に当たっては、各種の証言集における記述、大韓民国における元慰安婦に対する証言聴取の結果等も参考としており、これらを総合的に判断した結果、政府調査結果の内容となったものである」


上記のように、河野官房長官談話について、第一次安倍内閣で新しい内容の閣議決定をしたわけではない。第一次安倍内閣は、歴代の内閣と同じ答弁や閣議決定を繰り返したに過ぎないのであって、河野官房長官談話を見直す根拠は存在しない。

にも関わらず、第一次安倍内閣あたかも新しい認識を示したかのような答弁を繰り返し、河野官房長官談話を見直す根拠にしようとする安倍首相の姿勢は、国民をあざむこうとしていると言わざるを得ない。

 つまり20073月の閣議決定とは、いくら安倍が「重たい」だの「初めて」だのとウソを並べても、内容的には過去の政府の国会答弁、及び閣議決定と何も変わりはしない。ただそれが一点だけ違うのは、他の答弁・国会決議で記述されていた「総合的に判断した結果一定の強制性が認められた」という趣旨の表現を、安倍は削っているだけなのだ。
つまり、吉田「証言」→「めちゃくちゃ」→強制連行→ウソ→「慰安婦」問題→捏造、というありもしない六段論法を自分だけの夢想で固定化している安倍は、それがゆえに吉田「証言」にも通じると思い込んでいる「強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった」という記述だけに飛びついて、河野談話の攻撃に使えると思い込んでいるのだろう。だからこそ、自分の気にくわない肝心の「総合的に判断した結果一定の強制性が認められた」という結論を勝手に除外し、その重要な結論を除外するならば無意味となる「記述は見られなかった」という類いの箇所だけを、意識的にか、無意識的にか振りかざしているに過ぎない。