河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

産経新聞は10歳の子供と変わらない!その弐「産経は自分でも挺身隊と書いてるじゃねえか」





 産経新聞は10歳の子供と変わらない!その弐

あまりに自己中な基準(無スタンダード)で、記事を造っている産経新聞の実態を検証してきた。

自分で「金学順さんは、日本軍に強制的に連行され」と書いておいて、「強制連行」と一言も書いていない植村隆氏を「強制的に連行されたような印象を与える」として批判するという厚顔無恥さには恐れ入る。現在の安倍政権にも通じる幼児性である。

これを書いた阿比留 瑠比記者は、「産経新聞社政治部編集委員」の要職にあり、安倍普三首相とは、いつでも連絡できる携帯電話でつながっているともいう。http://www.news-postseven.com/archives/20150304_306873.html
「類は友を呼ぶ」という奴か、主張も性質までよく似ているようだ。

さてこの記事の最後の辺りではこう書いている。



独立検証委は「金さんが、吉田清治が主張していた女子挺身隊の名で強制連行された被害者であるかのような錯覚を作り出すのに、大きな役割を果たした」との見解を示す。


ここでは、独立検証委員会の名前を借りて、批判しているが、阿比留記者も、この独立検証委員会と同じ考えの持ち主であり、以前の記事ではこう書いていた。



確かに、嫌がらせや脅迫が勤務先の大学や植村氏の家族にまで及んでいる現状は看過できず、断じて許されない。ただ、この日の記者会見でも、肝心の植村氏が批判を受ける原因となった記事に関しては、説明は尽くされなかった。
 例えば植村氏は平成3年8月11日付朝日新聞朝刊の記事で、匿名の韓国人元慰安婦の証言テープをもとに「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され」と書いた。
 この記事の慰安婦と勤労動員によって工場などで働いた女子挺身隊との混同と、「戦場に連行」という強制連行を連想する表現とが後に問題化し、「捏造ではないか」と疑問視されるに至った。
 ところが植村氏は、記者会見で「テープで『挺身隊』と聞いたのか」と問うても、「定かでない」との答えだった。その上で、当時は韓国挺身隊慰安婦が同一視されていたことを繰り返し主張し、「自分にも同様の認識があった」と述べたが、テープにない言葉を恣意(しい)的に付け加えたとの疑惑は拭えない。

要するに植村氏が「「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いた事を非難しているのだ。

何が「疑惑はぬぐえない」だ、バカじゃないのか?

じゃあ聞くが、
産経は『挺身隊』
と書いてないのか?

このふざけた新聞もどきは、自分でもちゃんと『挺身隊』と書いているのである。
それを”頬っかぶり”している。

頬っかぶりしながら、植村攻撃、朝日攻撃に加担しているのだから、性質(たち)が悪いというしかない。

『挺身隊』と書いた産経の記事 ↓ (画像をクリックすれば大きくなるよ)


イメージ 1


1991年9月3日産経新聞朝刊  (赤線は当会による)
「挺身隊の名のもとに、従軍慰安婦として戦場に駆り出された朝鮮人女性たち」・・・・と書いている。


「金さんが、吉田清治が主張していた女子挺身隊の名で強制連行された被害者であるかのような錯覚を作り出すのに、大きな役割を果たした」
独立検証委員会は見解を示しているが、産経新聞が書いたこの9月3日の記事の
第二次世界大戦中、挺身隊の名のもとに、従軍慰安婦として戦場に駆り出された朝鮮人女性たち
連行された朝鮮人女性
という文章は「錯覚を造り出す」ではないのだろうか?

独立検証委員会という基本的に慰安婦問題に無知・無関係な連中は騙せても、慰安婦問題を追及しているブロガーや関連NGOを騙せるわけがない。当時、1991年代はどの新聞も挺身隊と書いていた。それを朝日新聞だけ、植村隆だけが書いたように述べながら攻撃するのは、小林節元慶応大学教授が言うようにただの”言いがかり”であり”いちゃもん”であり、”大人の世界のイジメ”に過ぎないのである。

        正しい見解について(ちょっとややこしいが)
「挺身隊」という言葉についてだが、「挺身隊」という言葉は、必ずしも1944年に施行された<勤労女子挺身隊>を指している言葉ではない。当時1933年頃から、「挺身」という言葉が「国に奉仕する」という意味で幅広く使われており、「挺身隊」をしばしば軍関係の組織の名前にも使用していたのである。
韓国人が慰安婦を「挺身隊」と呼んで来たのはそのような背景があったからだ。それはここに詳しく書いている。
慰安婦>を<挺身隊>と呼んでも何の問題もない。
しかし慰安婦>を<女子勤労挺身隊>と混同すべきではない。
同時に<挺身隊>を<女子勤労挺身隊>と混同すべきではないのだ。

ややこしいが、それぞれ言葉の意味が違うのだと理解していただきたい。

朝日の植村隆記者や上記の「挺身隊の名で」と書いた産経記者は<女子勤労挺身隊>のつもりでそれを書いたのだろうか?西岡力桜井よしこの批判はそういう事だが、それは当たっていない。
植村隆氏の場合、彼が答えているのは、「当時の韓国ではそう呼ばれていた」「まだ研究が行きとどいてなくてそれが当時の認識だった」・・・である。そういう理由によって書いたのだ。
<女子勤労挺身隊>のつもりで「挺身隊の名で」と書いたわけではないのだということを理解しておくべきである。

この<挺身隊>と<女子勤労挺身隊>の混同は当「河野談話を守る会」が指摘するまで、まったく誰も指摘していない。

それはともかくとして、慰安婦>を<女子勤労挺身隊>と混同についてはそれが間違いであることを1992年7月30日の『韓国政府の実態調査中間報告』と8月に出版された『証言従軍慰安婦・女子勤労挺身隊―強制連行された朝鮮人女性たち』で伊藤孝司氏が「慰安婦と女子勤労挺身隊は同じではない」と根拠をつけて検証したのである。

つまり、もしそれを混同・誤報というならば少なくとも1992年まではみんな概ね混同・誤報していたのであって、秦郁彦などは93年の著作物でも混同した記述をしている。本職のはずの近現代歴史学者さえそうなのだから、新聞記者が混同しても当然であろう。
植村氏を攻撃するなら産経記者も読売記者も秦も攻撃されるべきである。

新聞は正しい基準(スタンダード)に基づいて記事を書くべきである。
自分のところは頬っかぶりしてライバル社を攻撃するだけでは、見苦しいだけだ。



         彼らは何と「戦」っているのか?

経新聞にとって、「歴史関係記事」は「歴史戦」という大枠の一部らしい。つまりそれは「戦」なのである。「戦」であるという事は、姦計を用いても勝てばよいという事なのだろう。嘘・デタラメを織り交ぜ、針小棒大に話を歪曲したり、捏造したり、他人を貶めたり、他国への嫌悪を扇動したり、嘘まじりの様々な謀略を用いる記事がやたらと多いが、それも「勝てばよい」というわけだ。「勝つ」とはこの場合、自分たちの好みのデタラメな歴史を広める事である。そして最後は憲法を改悪したいわけだ。
そこにあるのは真実を探求しようという報道機関が本来あるべき姿ではなく、ただ歴史を歪める姿しかない。歴史修正主義というより歴史歪曲主義なのである。
産経新聞が「歴史戦」で敵視している相手とは誰だろうか?
それは同紙面にしばしば登場する「反日」「日本国内の反日団体」であり「左翼」という言葉であらわされる存在であり、「朝日」であり、「韓国」であり、「中国」であり、「国連」であり、時には「米国」であり、彼らが「反日」「日本を貶める」などと認定する全ての個人、団体、国家などである。反日」や「日本を貶める」にどんな定義や基準があって認定するのか?さっぱり分からないが、いわば彼らの認めたくない<皇軍の悪辣な行為>であるとかを書いたり、述べたりすれば「反日」「日本を貶める」認定されるのである。「慰安婦には強制があった」し「性奴隷制度というしかない」と述べるこのブログなんて、彼ら基準では確実に「反日」「左翼」「日本を貶める」・・・という事になるだろう。
様々な攻撃的な言葉に対して恣意的な基準での”あてはめ”しか存在していないのが彼らの特徴である。要するに彼らが「反日だ」と思えば、そいつは「反日」だという事だ。これもまた「イジメの論理」というしかない。自分たちでこれはちょっと変だぞ、と思わないのだろうか?
悔い改めよ、産経新聞