自社記事を「間違ってます」連発の阿比留瑠比記者、おいおいな笑える産経記事
これは笑える!!
植村隆氏との対談で
阿比留記者は自分のとこの記事を「間違ってます」連発。
原川記者はうろたえて「私、初めて見ましたー」
ワハハハハ・・・
特に面白いのはこの部分 ↓
植村氏のセリフで
間違いだったらそれがどうなのか、どうするのかも含めて知らせください。歴史戦というのは、もし歴史戦を皆さんがやっておられるんであれば、たぶん真実のためにやっておられると思うんです。皆さんがね。であれば、先ほど間違ったとおっしゃったことに対しても、謙虚に向かうべきだと思います
さて頬っかぶりしていた問題点を指摘された産経新聞は今後どうするのか?
何か動きがあったらちゃんとお伝えしましょう。
しかし、これを見ると阿比留記者も原川記者も、かなり真面目な人なのだという事がよく分かる。「愛国」という精神的なバイアスから、歴史に対する認識(世界観、歴史観を含む)が歪んでいるにしても。
それはまあ、ネトウヨにもそういう人はたくさんいるんだろうなぁ。「真面目に歪んだ歴史を信じてる」という事なのだろうねぇ。
実は産経新聞には、昔一緒に遊んだ友達がいるんだけど、産経記事の間違いを指摘しながら、そいつの顔が浮かんだりする訳だ。ちょっとジレンマなのですが、間違った記事は間違っていると指摘するしかないからなあ。
とっとと更生しなさい、産経新聞。
(赤は当ブログによる)
(前略)阿比留「最初の女子挺身隊の名で戦場に連行され、と書くと、軍や官憲が主体であろうと普通は考える。それは植村さんの意図がどこにあったかは、これから、後で話していただければいいんですけど。そう読み取れるということです」植村「そうするとやはり金学順さん、軍や官憲じゃないのにあれを書いたから強制連行と読める書きぶりだったというふうに書いているわけだね」植村「だけど縮めているったって僕はこれしか読めないからね。そしたら、ほかの新聞も強制連行といっぱい書いているんですよ。これね。阿比留さん、資料集(植村氏の支援団体作成)を見ていただければ。当時、まあいっぱい書いているの。それでね、後でゆっくり見といていただければと思いますが…。参考メモで、『挺身隊=従軍慰安婦』という図式で。まあ、見ていただくと当時、多分、阿比留さんはご存じだと思うんだけど、女子挺身隊とか挺身隊が慰安婦の意味で韓国で使われておった時代が長かったんでね。まあ、それはちょっと参考なんですが」「(産経の報道は)間違っている?どこが間違っている?」植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?(平成3年12月7日付の産経新聞大阪本社版記事を示す)」(ブログ主 註)これの事だよ←(クリックして拡大)阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」植村「間違っている?」阿比留「はい」植村「間違っている?」阿比留「間違っていると思いますね」植村「どこが間違っているんですか?」阿比留「『日本軍に強制的に連行され』」という(部分)」植村「これは産経新聞の記事ですね?」阿比留「だから、うちが間違っているんですね」植村「訂正かなんかやられたんですか」阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」植村「これ、間違っているんですか」阿比留「間違っていると思いますね」植村「2回も書かれていますね?」原川「別の記事ですか」阿比留「これですね。この部分のことを言っているんですか」植村「いやいや、その日本軍に…」阿比留「あっ、こっちか」植村「日本軍に強制的に連行、とありますよね」阿比留「うん。間違っていると思います」植村「間違っている! これは『金さんが17歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた』というのを書いた12月7日の産経新聞大阪版。これは金学順さんの記者会見の時の取材で書いていますね。これ間違っている?」阿比留「うん」(ブログ主 註)
これの事です←(クリックして拡大)
植村「間違っている? これはね93(平成5)年8月(31日付の産経新聞大阪本社版)の記事。(記事を読み上げる)太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。『お前たちは朝鮮人か。スパイだろう』。そう言って、まず養父を連行。金さんらを無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた」って出てるんですけど、これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」阿比留「間違いですね」植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べられるか。これはちょっと日付をメモさせてもらって」植村「いや、あげます。調べて、間違いだったらそれがどうなのか、どうするのかも含めて知らせください。歴史戦というのは、もし歴史戦を皆さんがやっておられるんであれば、たぶん真実のためにやっておられると思うんです。皆さんがね。であれば、先ほど間違ったとおっしゃったことに対しても、謙虚に向かうべきだと思います」阿比留「そうですね」「日本のジャーナリズム史に残る取材だ」植村「阿比留さん、やっぱり今回の取材というのは日本のジャーナリズム史に残る取材だと思うんです。なぜならば、やはり阿比留さんがこういうふうな形で、私はだまされて慰安婦にされましたと書いているにもかかわらず、強制連行の被害者と読める書きぶりだったというようなことで本を出されている。僕は非常にそれによってやっぱり迷惑をこうむっている。僕はだから言論戦できちっと今日、説明しますけど、それと同時にあなたたちの会社、そしてあなたたちの言動もまた歴史に検証されるということを理解していただければと思います。今回のインタビューは、私も発表させていただきます。そういうことであります。じゃあ、あの、長々としゃべりましたけれども。ちょっとじゃあ、阿比留さんどうぞ」(後略)