河野談話を守る会のブログ2

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【歴史修正主義の終焉】 産経とネトウヨの悲鳴が聞こえる!!馬総統が軍事博物館に「慰安婦」コーナー設置を表明した




台湾の馬英九総統が軍事博物館に、慰安婦に関する展示区画を設ける方針を表明したというので産経新聞ネトウヨから悲鳴が上がっている。彼らにしてみれば、どうして日本だけがこんなに貶められるのか、理不尽だ・・・・てなもんだろう。
軍紀が厳粛で、虐殺なんてしないでお上品に戦争していたはずの大日本帝国臣民がこんなに貶められている~。なんて思いながらイライラを募らせているのではないかと心配だ。もちろん「軍紀が厳粛で、虐殺なんてしない」なんて言うのが大嘘であり、満州事変以降大日本帝国が仕掛けた戦争は、そのやり方が卑劣な上に、略奪、強姦、民間人虐殺に手を染めなかった人間の方が少ないだろう。
体験者はこう語っている。

 
彼等は水筒の中からチャンチュウ(支那酒)を取り出し、ちびりちびり呑みながら語り出した。

・・・・(略)・・・

 南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。その残酷さは目をおおわせるものがあった。

 夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣きわめきながら、

「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、暗いローソクのもとで半狂乱の姿をさらしていた。

           朝香進一『初年兵日記』(P140) 1938年8月29日




 この兵は抗州湾に上陸して、上海戦線の腹背を衝いた柳川兵団の兵士であった。私はその兵士から、兵団長の命令なるものを聞いて暫らく信じられなかった。それは、生ある者は皆殺せ、家は悉く焼け、と言うのである。 

 兵には命令は常に至上命令である。上官の命令は天皇陛下の御命令である。と耳に胝が出来る程教えこまれている我々である。始めの内は半信半疑だったが、事例を聞いている内に、疑う余地のない事を知った。                                                               (石井清太郎『いのちの戦記』P41~P42)


みんな殺せという命令が、抗州湾上陸の直後に出された。河野さんは、たしかに命令伝達書を見た。そこには、つぎのようなことが書かれていた。

 ―共産主義の暴虐を許さず、共匪の跳梁を粉砕するため、農夫、工夫はもとより、女子どもにいたるまで、全員殺戮すべし

            (猪瀬直樹監修『目撃者が語る日中戦争P62)


これらは皆、日中戦争の中でやらかした事である。
長い目で見れば、悪は滅びるものであり、大日本帝国がなぜ滅んだのかがよく分かる。

こうした一次情報をまったく無視しない限り、大日本帝国の犯罪性は明らかなのである。どんなに認めたくないとガンバっても、世界中が知っている事実と言える。
そして皇軍と戦った蒋介石の国民党の伝統を引き継いだ今日の台湾政府が抗日戦争勝利70周年」を祝うのも当たり前であり、慰安婦の経験への同情もまた当たり前のものである。
被害を受けた人々には、皇軍のやらかした悪事は自明だからである。



それにしてもまーだ歴史戦なんてやってんのか

2015.10.24 
【歴史戦】 台湾・軍事博物館に「慰安婦」コーナー 馬総統が設置を表明「長い間待っていた」…「抗日」展示充実も
                                                                   台湾の馬英九総統は24日、国防部(国防省に相当)が新たに建設する軍事博物館に、慰安婦に関する展示区画を設ける方針を表明した。台北市内で開かれた起工式で明らかにした。

(以下略)

これを伝えている田中靖人記者もなかなか大変である。しかし産経には珍しく事実を捻じ曲げている様子がないのは好感が持てる。

この記事を受けてネトウヨたちが「国民党に次はない」とか「だって馬だもの」などと力無げに妄言しているのもペーソスを誘う。まるで負け始めた日本軍のようである。昔は中韓を「特亜」と呼んで、「中韓だけが特殊に日本を貶めている」と主張していればよかったが、今や米国でも台湾でも結局のところ、味方はほとんどいない事が分かり始めている。

繰り返すが、大日本帝国の軍隊は、略奪・強姦・民間人虐殺・捕虜虐待・・・をアジア全域で繰り広げた。それを無かったことにするのは、土台無理である。無理を通そうとすれば、道理が引っ込む。だが無理を通す者はいずれはその悪業を一身に受けて、滅びるだろう。