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週刊文春の編集長・新谷学の更迭から出て来た情報





     デタラメな慰安婦論のオピニオンリーダー週刊文春

藤岡信勝やら室谷克己、西岡力や大高未貴らーーいわいる嫌韓扇動家やろくに資料も知らない自称研究家に「慰安婦」問題を語らせて来たのが『週刊文春』である。その結果、彼ら流にアレンジされたデタラメな慰安婦論が広まり、ネトウヨを中心に巷に流布して来た。流言飛語レベルにすぎないものであったが、世間に与えた影響は大きかっただろう。本ブログではいくつかの問題点を指摘してきた。

慰安婦問題の最初期、1992年頃にまだ無名だった西岡力を引き立て、そのデタラメだらけの慰安婦論を盛り上げて来たのは、文芸春秋編集長であった白川浩司であった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64507470.html『遥かなる文芸春秋P146)

しかし月刊『文芸春秋』誌の方は、植村隆の手記を掲載した去年の12月を契機に、西岡との蜜月関係を終えたようだ。まあいつまでもあんな口から出まかせのような意見に関わっている訳にはいかないだろう。
週刊文春の方は、売らんかな路線を今更変更するわけには行かないだろう。これまで、記事のおかげで自殺者が出て「鬼、畜生」呼ばわりされても、反省することもなく進み続けて来た”売らんかな道”である。多少人の道を外れたぐらいで、引き返す事は不可能というものだ。

さて、水間政憲週刊文春編集長・新谷学の更迭について、あれこれ書いている。更迭といっても「3か月の休養」だけだが、なぜか「GHQ占領下以上の言論検閲」とかいうものになっていて笑いを誘っている。もちろんジョークだとは思うが、もし本気ならそら恐ろしい話である。

もっとも民主主義を植えるためのGHQ占領下の言論検閲」がたいしたものでは無かったというのなら、それはそれで正しい意見ではあるが。


↓の水間氏のブログから得られる情報は

新谷は1995年に「郵便袋虐殺事件裁判」で、その経過を『諸君』に掲載できるように便宜をはかった。

(『諸君』(すでに休刊)文藝春秋社の雑誌だったから、掲載を斡旋してもそんなにおかしくは無いが)

● 新谷は、当時から歴史認識(南京・慰安婦)を重要視していた。

つまり、『週刊文春』が、研究者でも何でもない人物たちに慰安婦問題を語らせて来たのは、新谷の意向だったということだろう。


全文掲載希望だそうだから全文掲載しておこう。

超拡散希望《週刊文春編集長の更迭(休養)は、GHQ占領下以上の言論検閲が始まったのか》


2015年10月14日 10:00
●超拡散希望週刊文春編集長の更迭(休養)は、GHQ占領下以上
の言論検閲が始まったのか》


■戦後、文芸春秋社の雑誌編集長が唐突に更迭(休養)されたのは、
花田マルコポーロ編集長が「ユダヤホロコースト特集事件」があったが、
10月8日に発表された「週刊文春」編集長の更迭(休養)理由は
「10月8日号のグラビアに掲載した『春画』は読者への配慮がたりな
い」と、
よく解らない理由になっていました。

週刊文春編集長の新谷学氏は、1995年に「郵便袋虐殺事件裁判」で、
我々原告側が東京地裁で勝訴したとき、
その経過を『諸君』に掲載できるように便宜をはかってくれたのが、
新谷氏だったのです。

その裁判の経過は、週刊誌は『週刊新潮』、月刊誌は『諸君』に掲載され、
現在にいたる「南京虐殺の虚構」は、その2誌に掲載されたことが分水嶺
となり、南京事件を否定できる世論の先導役をつとめた原点だったのです。

新谷氏は、当時から歴史認識(南京・慰安婦)を重要視してくれており、
この度の更迭(休養)は、戦後初めて「週刊文春編集長」が更迭された
のであり、春画を掲載」したことと関係ない巨大な「戦後最大級の言論
弾圧の闇」があるように思えならない。


※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文
掲載〉http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/




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