週刊文春の編集長・新谷学の更迭から出て来た情報
藤岡信勝やら室谷克己、西岡力や大高未貴らーーいわいる嫌韓扇動家やろくに資料も知らない自称研究家に「慰安婦」問題を語らせて来たのが『週刊文春』である。その結果、彼ら流にアレンジされたデタラメな慰安婦論が広まり、ネトウヨを中心に巷に流布して来た。流言飛語レベルにすぎないものであったが、世間に与えた影響は大きかっただろう。本ブログではいくつかの問題点を指摘してきた。
慰安婦問題の最初期、1992年頃にまだ無名だった西岡力を引き立て、そのデタラメだらけの慰安婦論を盛り上げて来たのは、文芸春秋編集長であった白川浩司であった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64507470.html(『遥かなる文芸春秋』P146)
週刊文春の方は、売らんかな路線を今更変更するわけには行かないだろう。これまで、記事のおかげで自殺者が出て「鬼、畜生」呼ばわりされても、反省することもなく進み続けて来た”売らんかな道”である。多少人の道を外れたぐらいで、引き返す事は不可能というものだ。
さて、水間政憲が週刊文春編集長・新谷学の更迭について、あれこれ書いている。更迭といっても「3か月の休養」だけだが、なぜか「GHQ占領下以上の言論検閲」とかいうものになっていて笑いを誘っている。もちろんジョークだとは思うが、もし本気ならそら恐ろしい話である。
↓の水間氏のブログから得られる情報は
●新谷は1995年に「郵便袋虐殺事件裁判」で、その経過を『諸君』に掲載できるように便宜をはかった。
(『諸君』(すでに休刊)は文藝春秋社の雑誌だったから、掲載を斡旋してもそんなにおかしくは無いが)
全文掲載希望だそうだから全文掲載しておこう。
2015年10月14日 10:00の言論検閲が始まったのか》
■戦後、文芸春秋社の雑誌編集長が唐突に更迭(休養)されたのは、10月8日に発表された「週刊文春」編集長の更迭(休養)理由は「10月8日号のグラビアに掲載した『春画』は読者への配慮がたりない」と、よく解らない理由になっていました。
週刊文春編集長の新谷学氏は、1995年に「郵便袋虐殺事件裁判」で、我々原告側が東京地裁で勝訴したとき、その経過を『諸君』に掲載できるように便宜をはかってくれたのが、新谷氏だったのです。
その裁判の経過は、週刊誌は『週刊新潮』、月刊誌は『諸君』に掲載され、となり、南京事件を否定できる世論の先導役をつとめた原点だったのです。
この度の更迭(休養)は、戦後初めて「週刊文春編集長」が更迭されたのであり、「春画を掲載」したことと関係ない巨大な「戦後最大級の言論弾圧の闇」があるように思えならない。
※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文
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