植村の質問状ーー「植村は逃げないで答えろ」と述べていた産経が答えないで逃げる時
「逃げた」と書いた文春
組織に属している人間が自分の書いた記事とは言え、勝手にあれこれ言えるわけがない。そこで文春がストーカーのような取材?をした際も、「広報を通してくれ」と言って相手にしなかった。
2014年初頭の段階では植村はまだ朝日に所属していたのである。植村が朝日新聞を退職したのは同年3月の終わりであった。
広報を通すのは大きな組織に属していれば当たり前の話であろう。ところが、こうした当たり前のことを理解しないで、植村が逃げていると中傷していたのが文春や産経、正論などの右派雑誌、新聞などであった。
何でもいいから誹謗したかったようだ。
まるで肩が触れたと言ってはイチャモンをつける無法者の世界である。
とくに「広報を通してくれ」と言われても、植村個人に張り付いたあげく「逃げた」と書いた文春のデタラメ度数は郡を抜いている。
「記者だったら、自分が書いた記事ぐらいきちんと説明してもらえませんか」
小誌記者の呼び掛けに、その男は50すぎとは思えないほどの勢いで猛然と走り出しタクシーに乗って逃げた。いわいる従軍慰安婦問題を最初に報じた朝日新聞の記者が見せた姿だ。・・・・・(略)・・・・・
函館支局で質問をぶつけようとしたが、植村氏は「広報を通して欲しい」の一点張り。後は冒頭の通り記者とは思えない振る舞いだ。
(『週刊文春』2014-2,6 p28「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」)
組織はそこに所属している人間を守ると同時に縛るものである。植村はその後、朝日を辞め「元新聞記者」個人として反論しはじめた。
この部分に関する植村の説明はこうなっている。
2014年1月26日の日曜日、私の携帯電話にこんな内容の電話が入った。電話の主は男性で「函館に来ているので会って欲しい」という。彼の名前は聞きとれなかったが、「朝日新聞の広報部を通して欲しい」と告げ電話を切った。・・・・(略)・・・・
そして朝日新聞函館支局長時代の2013年11月、私は公募で神戸松陰女学院大学のメディア分野の専任教授に選ばれた。同年12月には雇用契約も済ませた。週刊文春の記者から電話があったこの日は、支局で仕事をしていたのである。
翌朝(2014年1月27日)、支局のインターフォンがなった。文春の記者だった。インターフォンを通して前日と同じ返事をすると、「このままでは帰れない」と言って、事務所の前に座り込んでいる。そのうちに事務職員が出勤して来る。面倒になるのは嫌だなと思い、札幌の報道センター長に連絡した。「とにかく事務所の外に出た方がいい」という指示を受け、タクシーを呼んで事務所から離れた。背後から追いかけてくる声が聞こえた。
この日、週刊文春から松陰に質問状が届いていたことを後で知った。・・・(略)・・・
8月1日、北星学園大学に週刊文春からこんな質問を含む質問状が届いた。文春記者の名前が書かれ、連絡先として形態番号が書かれていた。・・・・同じ記者が、しつこく私を追跡している事が分かった。
(【世界】2015,2 、p59~p62『私は闘う』)
「広報を通す」ように言っても聞かずに支局の事務所の前に座り込んだり、大学に質問状を送ったりしている。これはもはや”取材という名の嫌がらせ”でしかない。そのおかげで植村は神戸松陰女学院大学専任教授を辞退することになった。
文春記者はなぜ、朝日新聞の広報を通そうとしなかったのであろうか?
それは多分、突撃取材が彼らのクセになっているからだろう。このブログでは、文春のそれがどのように産まれたのかも考察している。
もっとも松陰や北星学園大学への質問状に見られるように、最初から「重大な誤り」「意図的な捏造」呼ばわりしていれば、朝日の広報が許可するはずも無かったが。
この文春の記事を受けて、右派論壇は「植村は逃げた」を連呼しはじめた。
週刊文春と共同行動する産経とWILL
ヘイト扇動雑誌として知られる月刊誌『WILL』の編集長である花田紀凱は、文芸春秋社の出身である(昔『週刊文春』編集長をしていた)。産経新聞社とのつながりも濃い人で、夕刊フジコラム「天下の暴論」や産経新聞コラム「週刊誌ウォッチング」を連載している。
そして「こんな記者が女子大で何を教えるやら」とからかい気味に書いている。
「記者だったら、自分が書いた記事ぐらいきちんと説明してもらえませんか」小誌記者の呼び掛けに、その男は50すぎとは思えないほどの勢いで猛然と走り出しタクシーに乗って逃げた。 (上記文春記事)
さすがヘイト扇動雑誌と呼ばれる『WILL』を造っているだけある。
ストーカーのように張りつく記者の行為は不問にして、「植村が逃げた」としているわけだが、本当の意味で逃げているのは、この花田紀凱の方である。
2015年2月9日、新宿で行われた『WILL VS NOヘイト』と題したイベントで、野間易通と公開論争することになっていた花田紀凱は、開催直前になって「知らない人とは話したくない」とかいうナイーブな理由で出場辞退したのである。これを梶田陽介は「形勢不利とみた敵前逃亡という感じもしなくない」と述べているが(『さらばヘイト本』p64)、こんな言い回しをしなくても明らかに「敵前逃亡」というしかない。
『さらば、ヘイト本!』
逆に質問された時、産経の反応は?
「逃げずに説明しろ」と述べていた右派論壇だが、植村が「応えた」後はどうなったか?
一様に撤退し始めたのである。
さすがである。
キャンキャン吠える時には威勢がいいが、形成不利と見れば、引くのは早い。今月の『正論』では誰も植村の事を書いていない。あの西岡力さえ・・・だ。
忘れたのか?
そうではない。
都合が悪いとなると、もはやなかったことになってしまうらしい。
なんという皮肉だろう。
裁判になるとそれまで「捏造」と非難していた週刊文春・西岡力サイドは「事実を書いたんじゃなくて論評だ」としか言えなくなりhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65221717.html、植村批判の急先鋒である阿比留記者と産経新聞は先日のインタビューのようなあり様であるhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65177759.html。
まるで日本軍のように いたるところで敗退 しはじめた。
”真実”を自らの源としないのは恐ろしいことだ。攻撃する時はいいが、攻撃されるととたんに崩れて行く。非真実なる「国体明徴」なるものを信奉していた日本軍の行為を擁護して来た彼らは、まさにその日本軍と同じ道を辿るのである。
2015年、11月6日の『週刊金曜日』で、植村は久保田るり子編集委員の書いた「朝日新聞「慰安婦報道」が触れなかったこと」 http://www.sankei.com/world/news/140810/wor1408100002-n1.html という記事に質問状を出したと書いている。
逃げているのはどっちか、すでに明らかな話である。
『週刊金曜日』11月 6日 (1062)号