河野談話を守る会のブログ2

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西岡力の主張の問題点




西岡力という人は部分的に知韓派である。韓国に留学していたのだから、韓国語の読み書きができるし、当然他の人よりも知っていることもある。ところが右派によくある事だが、知りもしないことをまるで事実のように書いたり、さらに世界観の狂いによるものだろうが、何かを「論じる」部分になると首をかしげざるを得ない部分が多い。

今日のお題はこれである。

【朝日・グレンデール訴訟を支援する会】だそうだ。

【史実を世界に発信する会】とは違うのだろうか?
右派の場合、新しい会ができたのかと思ったら、いつものメンバーだったってことがよくあるので、これもおそらくそういう方面の人々であろうと思われる。

(西岡が書いた内容は囲みの中に)

世界には貧困のために不幸にして自分の性を売らなければならなかった人たちは 、歴史的にも、現在にもたくさんいます。そういうこととは別に、日本が国家と して権力を使って慰安婦に強制的に性を売らせたということがあれば、それは問 題です。もし、そういうことがあれば「慰安婦問題」となるでしょう。しかし、 なかった。ですから「慰安婦」はいたけれども「慰安婦問題」はなかったという のが真実です。

西岡は1992年4月の文芸春秋に掲載した論文には、慰安婦問題を「強制売春」と書いている。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64739279.html

すると上記のこの文章は、「昔は強制売春だと思っていたが、今は慰安婦に強制的に性を売らせたということなんか、無かったんだよ」と言いたいのだろうか?
それとも、「強制売春はあったが、それは日本軍の責任ではないよ」と言いたいのだろうか?
さっぱり、分からないのだが、昔書いた内容と整合性が取れるように説明すべきである。

まさか今更、慰安所制度を造ったのが日本軍であったことを否定するわけではあるまい。http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_i/3478/
それともそうしたいのだろうか?

そのないはずの「慰安婦問題」がいつから出てきたかと言えば、一九八○ 年代からです。韓国の政権はずっと反日だったと言いますが、一番激しい反日だ ったのは李承晩政権です。反日と反共を国是としていて、そのため李承晩政権は 日本と国交正常化しなかった。そして、日本に対して多額の賠償請求をしていま した。
その李承晩政権ですら、外交交渉の場で「慰安婦問題」を持ち出したことは一度 もありません。その時代の人たちは「慰安婦」の存在は知っていましたが、それ を「問題」化して外交交渉の場に持ち込めるとは思っていなかったのです。

李承晩政権でそんな話が出ないのは当たりまえである。被害者が一人も名乗り出ていないのに「慰安婦にされた」というトピックで賠償請求ができるわけがない。
西岡は「慰安婦問題は一九八○ 年代から」にしてしまっているが、慰安婦」問題の始まりは、1991年金学順さんをはじめ多数の被害者が実名で名乗り出て裁判が始まってからである。

いわゆる「強制連行」というものについても、官斡旋や自由募集につい ては補償を求めていなかった。
そもそも李承晩政権が日本政府に過去の清算としての要求を網羅的にあげた「対 日請求要綱」の中でも「強制連行」という言葉は使われていません。この言葉も 当時、なかったものです。
そして「慰安婦問題」についても、「対日請求要綱」の中にはまったく出てきま せん。

まだ研究がまったく始まっておらず、どちらも被害実態が分からなかったので、言及できるわけがない。
「強制連行」に関して言えば、朴慶植は1959年7月11日の外務省発表である在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について≫が「約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加による」と主張していることに大きな憤りを感じて事実発掘の研究を開始し、1965年の研究書である朝鮮人強制連行の記録』で初めて「強制連行」という言葉を使った。

従って「強制連行」という言葉が李承晩政権で使われなかったのは当たり前である。そもそも研究されていないのだから、問題自体が認識されていなかったし、言葉自体が使われていないからである。

「歴史問題を理由にした反日デモが起 きなかった」のも当たり前である。それは次のような理由による。

この頃の韓国側の最も大きな関心事は、北朝鮮問題だった。つまり共産主義の問題をかかえていたのである。朝鮮戦争で韓国側は、いきなり責めて来た北朝鮮軍により膨大な被害を受けており、その戦争は終わったわけではなく、その後ずっと一時中断状態なだけである。

もう少し大きな目でみれば、全世界が民主主義と共産主義の2つの陣営に分かれ、局地戦が繰り広げられていた。冷戦である。「局地戦」「冷戦」と言っても、その双方に与えられた被害は甚大であった。

ところが、1990年ごろ、共産主義体制であったソ連と東欧諸国が相次いで崩壊し、冷戦が終わりを告げた。朝鮮半島の緊張に関しては、これで完全に終わったのではないが、この頃から南北を再び統一しようという機運が高まり、人の行き来もなされるようになった。つまり、融和の時代へと向かったのである。後に日本も北朝鮮と国交し始める。

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                                          収容所群島

この頃、私はほっとしたのを覚えている。子供のころ、ソルゼニーツインの著作を読んでいた私は、共産化される事を恐れていたので、仕方なく自民党に票を入れていたのだが、1990年以降になると自民党を応援する必要がなくなったのである。
一つの時代が終わったのだ。

さてでは、「冷戦の終わり」と「歴史認識」問題はどんな関係にあっただろうか?
その点について、右翼団体の研究している堀幸雄教授の編纂した『右翼事典』はこう書いている。
                                     
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・・・・(略)・・・・1990年以前と以降ではそのもつ政治的意味が異なる。例えば倉石発言のように現行憲法否定論でも、それは国内問題として、内閣不統一、反憲法的と言った形で閣僚辞任で終わる。それは基本的に冷戦下であって、反共の中に吸収されていたからである
・・・・(略)・・・・冷戦によって封印されていたものが解放されたのである。
『右翼事典』p587、588)

(堀幸雄は 戦後の右翼勢力』 で、戦前回帰の流れが1990年ころには始まったことをすでに見抜いておられた。)
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歴史問題があっても、それは「冷戦下であって反共に吸収」されており大きな問題にはならなかったが、冷戦の終わりよって解放されたのが歴史認識を巡る問題であった。

かくしてこの頃から、急激に歴史問題が沸騰して行くのである。

西岡の解釈は事実関係がバラバラである。彼は1998年の著作『闇に挑む』では、金日成を崇拝する主体思想が浸透し、

北朝鮮の対南工作はかつてなく大成功を収め」
(p212~p213)

「軍を含む政府機関に多数の親北勢力が浸透している状況は、あえて言うなら「革命前夜」と形容してもおかしくない位のものだった」
(p212~p213)


・・・とまるで自分が体験したことのように述べながら、危機感を煽っている。

西岡には、「冷戦の終了によって、共産主義という問題は大局的には終了し、(韓国では)融和と統一の時代になったのだ」という認識がまるで無いようだ。慰安婦問題でもデタラメな事を述べては煽るだけだが、政治情勢についてはさらに誤解が酷い。と言っても北朝鮮からの働き掛けが無いわけではない。ただ、現在の世界では昔存在していたようなバリバリの共産主義信奉は広まらないのである。
すでにそこにあった偶像は砕かれているのだ。

この『闇に挑む』では、歴史問題について

「・・・もうひとつの日韓関係における新しい要素として実は韓国側が80年代に入り、自国民の反日感情を外交交渉カードとして持ち出して来たということがあった。82年の日本歴史教科書記述への抗議から始まる対日歴史糾弾外交である。」

「ただ・・・・対日歴史糾弾外交も調べてみると大部分は材料が日本から輸出されているのでだ。朝日新聞や「反日」学者、弁護士らがまず問題を提起し、それが東京発で韓国メディアに大きく取り扱われそれが再びソウル発で日本に打ち返されて問題が拡大して行く。そのプロセスで多くの意図的誤報が積み重ねられる。その結果、まったく実体とかけ離れた極悪非道な日本というイメージだけが形成され、それが日韓の真の友好をいかに阻害して来たか・・・・」
(p248~p249)


という解釈がなされている。

「実体とかけ離れた極悪非道な日本」 だそうだが、歴史問題で批判されているのは、特殊な憲法と志向性を持っていた「大日本帝国」である。それは事実として、自国民に対しても、他国民に対しても、決して公正と正義が行われた国ではなく、婦女子の人身売買、明治初期からすでに始まっていた言論弾圧国家神道による他宗教弾圧、貧富の差を拡大する財閥と地主制、軍事国家化等にまつわる数多くの非道行為が習慣つけられており、自力で変革しえなかった国であった。
それは、多くの歴史家が理解し証明すると同時に、本ブログでも証明している。
このような国が周辺諸国を侵略支配しながら、その矛盾した体質を広めようとしたが、ついに対英米戦争となり崩壊したのである。

「自国民の反日感情を外交交渉カードとして持ち出して来たということがあった」 とは到底言えない。韓国政府に関しては支援団体がいくら働きかけても、「韓国政府が慰安婦問題について日本と交渉を行わないことは憲法違反である」という2011年8月の憲法裁判所の判決までは、まったく動いてくれなかったのが事実というものだ。その後、同じ女性としてハルモニ達に同情心を持っている朴大統領になってはじめて大きく動きはじめたと言えるだろう。

それにしても、西岡の事実認識はどうなっているのだろうか?


調べてみると、数カ月ですが本人の意志に反してオランダ人を慰安婦にした事例 がありました。しかし、その軍人らはインドネシア駐留軍の上部から軍規違反で 処罰され、慰安所は閉鎖になった。処罰されたということは、組織として「強制 」していないということです。

「軍人らはインドネシア駐留軍の上部から軍規違反で 処罰され」 というのだが、もちろんそんな事実はどこにも無い。嘘を書いてはいけない。処罰されたと言い張りたいなら、その根拠となる一次資料を示すべきである。

まったくのデタラメというしかない。これで 「慰安婦問題の専門家だ」 というつもりなのだろうか?

よくよく調べてみると、こういうインドネシアのオランダ人の事例が一件あった 、しかもそれは戦争犯罪だったということですが、この一件しかなかったのだと 談話には明記すべきでしょう。


インドネシアでは、8件以上の官憲等が直接これに加担した慰安所関係の戦争犯罪が見つかっている。1件しかないとは、【オランダ政府による報告書】 さえ読んでいないらしい。

国際的誤解を解くために全力をあげるべきです

だそうだが、「国際的誤解」の前に自分の誤解を解くべきである。