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「強姦を得々と語る兵隊は少なくなかった」横田正平、佐々木元勝が描いた皇軍の倫理観


横田正平 『玉砕しなかった兵士の手記』 草思社、1988

大正元年愛知県生まれ。上智大学新聞科卒。
同盟通信写真部に入り、昭和13年に従軍記者として中国戦線に

昭和14年に東京朝日新聞編集局へ

昭和16年に召集の一兵卒として

華中、満州サイパンと転戦し、グアム島攻戦で投降、
ハワイの捕虜収容所へ

昭和60年、死後手記が公表された。


中国・漢口北

「漢口北方の警備地では中隊宿舎の隣に慰安所があった。しかし初年兵にとっては別世界であった。作戦に出ると、しかしそうではなかった。江西省を4か月ちかく機動して回っているあいだには、物資徴発はつねにつきものであった。物資徴発には支那の女の影があった。強姦を得々と語る兵隊は少なくなかった」(p148)

「強姦を得々と語る兵隊は少なくなかった」というのだ。

これは高位の将校たちも同じであり、佐々木元勝は、強姦が笑い話として話されていた様子を書いている。



佐々木元勝 『続・野戦郵便旗』 現代史出版会、1973

1927年、逓信省に入り、1937年、上海派遣軍野戦郵便長として従軍

「ある日、漢口から高級副官と、私と親しい予備の中尉の副官が私の居室にやってくる。80になる尼さんを強姦した話など笑い話がつづき」「大変愉快なひと時であったが、ふと思い返してみると、私が軍司令部の所在する漢口に居室を移さず、武昌にいるのは、女でも囲っているのではないか、それを覗きに2人が来たのではないかと気がついた。兵隊でも将校でも風紀がゆるんでいる。将校で女を囲っているのがある。・・・・」
(p200)



「強姦した話など笑い話がつづき」「大変愉快なひと時であったが・・・」なのである。

恐ろしいことに、「強姦の話」を「笑い話」にしてしまっている。
これが、当時の日本人の倫理観だったのである。

逓信省に入り、郵便局長になるような地位のある人物と軍の意思決定をする副官でさえ、こうなのだから、一般人に強姦に対する強い倫理観があったとは到底思えない。これには雑魚寝や夜バイの風習も関連しているのではないだろうか?家に押し入って「水揚げ」をし、「村の女は村の共有物」とするこの風習は、強姦とわずかしか差が無いからである。