「強姦を得々と語る兵隊は少なくなかった」横田正平、佐々木元勝が描いた皇軍の倫理観
同盟通信写真部に入り、昭和13年に従軍記者として中国戦線に
昭和14年に東京朝日新聞編集局へ
昭和16年に召集の一兵卒として
ハワイの捕虜収容所へ
昭和60年、死後手記が公表された。
「強姦を得々と語る兵隊は少なくなかった」というのだ。
これは高位の将校たちも同じであり、佐々木元勝は、強姦が笑い話として話されていた様子を書いている。
佐々木元勝 『続・野戦郵便旗』 現代史出版会、1973
「ある日、漢口から高級副官と、私と親しい予備の中尉の副官が私の居室にやってくる。80になる尼さんを強姦した話など笑い話がつづき」「大変愉快なひと時であったが、ふと思い返してみると、私が軍司令部の所在する漢口に居室を移さず、武昌にいるのは、女でも囲っているのではないか、それを覗きに2人が来たのではないかと気がついた。兵隊でも将校でも風紀がゆるんでいる。将校で女を囲っているのがある。・・・・」
(p200)
「強姦した話など笑い話がつづき」「大変愉快なひと時であったが・・・」なのである。
恐ろしいことに、「強姦の話」を「笑い話」にしてしまっている。
これが、当時の日本人の倫理観だったのである。
逓信省に入り、郵便局長になるような地位のある人物と軍の意思決定をする副官でさえ、こうなのだから、一般人に強姦に対する強い倫理観があったとは到底思えない。これには雑魚寝や夜バイの風習も関連しているのではないだろうか?家に押し入って「水揚げ」をし、「村の女は村の共有物」とするこの風習は、強姦とわずかしか差が無いからである。