河野談話を守る会のブログ2

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全ての兵士を代弁する・・・告発する元日本兵





水木しげるさんはこういう。

ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。

『総員玉砕せよ!』あとがき)


戦場で、とことん”いじめ”られたあげく、片腕を失った水木さんだが、その怒りはその個人の体験のみならず、もっと深い民族無意識の暗がりから立ち上って来るのを感じていたのである。
それは、これまで省みられなかった我が民族の魂の声なのだ。

このブログを書くために様々なことを調べる。
これまで読んだ、戦争中の記録、元日本軍将兵の陣中日記や戦記や当時の新聞、それらをまとめた2次資料、全部で2000冊以上はあっただろう。元慰安婦の方々の声、戦争を経験した人達の声が聞こえてくる。すると激しい憤りを感じることがある。
夢の中で、それがどこかさえ分からない戦場の光景を見る。
そして疑問を覚える。

”一体、あの戦争は何のために引き起こされたのか?”

それは、かつて無謀、無意味なあの戦争で死んだ兵士たちの声無き声なのである。
彼らは無念を訴え、憤る。

瀧本邦慶さん(94歳)の声にやたら迫力があるのは、そういうことだろう。
彼を通して、無為に死を遂げた下士官兵たちがその憤っているのだ。ほとんどの兵士は、米軍に殺される前に、皇軍の指導者たちによって殺されたのである。

戦後長い間、戦場の事実を知る下級兵士たちの発言は「戦友会」によって抑制されて来た。しかし、90年代に入り、かつて「戦友会」で中心となっていた将校たちが老齢化し、言論抑圧機能を失うようになると、死ぬ前に本当のことを話そうとする元下士官兵が増えた。こうして80年代の終わりから、戦争を記録する著作物が最後のラッシュを迎え、それまで語られることの少なかったことも、語られるようになる。

「16日の晩何があったか?海軍の中央の奴らは、日本でも有名な一流の料理屋の支店をつくっとるんですわ、トラック島に。しかも16日の晩に、将校らはそこに集まって飲めや歌えやの大騒ぎをやっとるわけですわ。」
「海軍は差別が激しかった。・・・海軍いうところは身分の格差が激しいんですわ。・・・軍の考え方は、人間の命として考えとるのはこっち(将校)の命。我々、下士官兵の命はそこいらの虫けらの命。それぐらいの差があるんですよ。『お前らは虫けらと一緒や。貴様らが何人死んでも、1銭5厘のハガキでなんぼでも補給できるんやから』と将校にしょっちゅう言われました。それが軍隊の本当の姿なんですわ」
自分も与えられる食料は一日小さな芋一つで、ジャングルから採って来た木の葉を海水で煮て食べて飢えをしのいだ。そんな状態でも上官は銀めしを食べていた
という瀧本さんの声を聞いてみよう。

戦後70年~敗北の始まり「ミッドウェー海戦」の真実。「戦争は日本の指導者が国民を騙して始めた!」元海軍兵怒りの証言。|報道するラジオ(2015/07/24)





瀧本邦慶さんは元海軍兵であり、空母「飛龍」の乗員であった。軍国少年だった瀧本さんは17歳で志願し、海軍に入隊、真珠湾攻撃やミッドウエイ海戦にも参加。

「4隻の空母が一日にして全て撃沈された」
ミッドウェー海戦で敗れた時、機密を守るため、日本軍の駆逐艦が自ら空母「飛竜」を魚雷で沈めた。しかし、日本国内ではそうしたミッドウェー海戦の真実は一切報道されなかった。国はいざとなったら国民に本当のことを知らせず、どんな嘘でもつく。」
「2月の17日、18日に飛行機の大攻撃を受けました。上陸してすぐ・・」
「16日の晩何があったか?海軍の中央の奴らは、日本でも有名な一流の料理屋の支店をつくっとるんですわ、トラック島に。しかも16日の晩に、将校らはそこに集まって飲めや歌えやの大騒ぎをやっとるわけですわ。」
高級将校だけは、全然違う生活をしていたわけですね?
「海軍は差別が激しかった。・・・海軍いうところは身分の格差が激しいんですわ。・・・軍の考え方は、人間の命として考えとるのはこっち(将校)の命。我々、下士官兵の命はそこいらの虫けらの命。それぐらいの差があるんですよ。『お前らは虫けらと一緒や。貴様らが何人死んでも、1銭5厘のハガキでなんぼでも補給できるんやから』と将校にしょっちゅう言われました。それが軍隊の本当の姿なんですわ」
「基地全滅ですわ。やられた人間が1万5千人。飛行機やられたのが350機。海軍の船やら55隻やられました。全ての施設が全滅」(23分40~)
「その後配属されたトラック島では、4万人の兵士のうち2万人が餓死。毎日仲間の兵士が餓死していく。自分も与えられる食料は一日小さな芋一つで、ジャングルから採って来た木の葉を海水で煮て食べて飢えをしのいだ。そんな状態でも上官は銀めしを食べていた」
「そんな経験を経て気持ちが変わった。17歳の時は軍国少年で志願して軍隊に入ったが、『これはおかしい、国に騙された。こんな死に方があるか?南洋の島で骨と皮になってのたれ死んで、椰子の木の肥やしになって、何が国のためだ!』そう思った」
「もう敗戦が決定的になっても、原爆を落とされるまで戦争を止めることができなかったのは、日本の指揮官が腐っていたから。彼らにとっては自分のメンツだけが大切だった。今の官僚と一緒。今の国自身がそうですよ!…私らに言わせれば。昔とひとつも変わっていない。彼らが考えているのは己の出世と、己の命だけを大切にする…この2つだけ。政治家も含めて。戦争を始める奴は、絶対に戦地には行かない」