河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

都合の悪い情報を、外務省が国民の目から隠そうとしてきた歴史


歴史を隠蔽することと歴史を改竄することは、同じ方向性を示すものである。本当の歴史を隠蔽し、それから改竄した嘘の歴史を本当の歴史のように広めようとする。
歴史修正主義の原点は単純である。
国王、皇帝などが絶大な権力を持っていた時代には、それが当たり前のようになされていた。ただその隠蔽が全て上手く行ったとは言えないだろう。「大塩平八郎の乱」はその典型であった。幕臣自らが訴え出たこの反乱は、当時の徳川幕府にとって都合の悪いものであったので、徹底的に事件の隠滅を謀った。にもかかわらず大阪の庶民たちは、口頭で語り継ぎ、障子に記録を書き遺したりして後世に伝えたのである。

歴史の中には一時的に非真実が優位なこともある。それは権力者が真実を隠蔽したい場合の話である。しかし時代は民主主義へと変化した。
我が国の場合、つい70年ほど前までは、絶対王政に近いような国家体制の中で、歴史の隠蔽や改竄はいたるところでなされた。とりわけ15年戦争の中の軍部の嘘は国家を滅亡の淵まで追いつめたのである。
そのような時の政府、時の権力者による歴史の隠蔽と改竄が、民主主義国家の一員となっている今日までなされているのである。




「外務省が米の機密解除に反対」 史実を隠す「外交の闇」 元諮問委員が証言
西日本新聞 1月6日(水)13時40分配信


ワシントン】1994年10月に発覚した米中央情報局(CIA)による自民党政治家らへの資金提供に関する米機密文書について、日本の外務省が米政府に公開に強く反対する意向を伝えていたと、国務省刊行の外交史料集「合衆国の対外関係」編さんに携わったマイケル・シャラー米アリゾナ大教授(68)が西日本新聞に証言した。
 当時、米メディアの報道で問題が表面化した後、自民党が否定した裏で、外務省が米側に文書が露見しないよう事実上、要請。時の政権に都合の悪い情報を、外務省が国民の目から隠そうとしてきた歴史の一端が明らかになった。

【関連】日本政府と外務省が長年にわたり国民を欺き続けた

【その1】CIAから自民党へ資金提供裏付ける資料、公開に反対
 日米外交史などの研究者でCIA資金提供問題にも詳しいシャラー氏は95年から2000年まで、30年を経過した米機密文書の機密を解除し、史料集に収録すべきか協議する国務省の諮問委員会委員を務めた。在任中、日米関係史料の柱の一つが、50年代後半から60年代にかけての資金提供を裏付ける文書約10点の取り扱いだった。
 同氏によると「約10人の委員の総意は、資金提供に関する全ての文書を機密解除して収録すべきだとの意見だった」という。ところが、政府側との非公開折衝の中で ▽CIAが強硬に反対 ▽国務省も「日本の外務省が在日米国大使館に対し、政治的立場がある関係者が生存しているなどの理由で、文書公開に強く反対すると伝えてきており、大使館も反対している」などと抵抗した-と明言。「大使館は、公開されれば日本国内にも日米関係にも問題を生じさせるとの認識で外務省と一致したとのことだった」と証言した。

 同時期に諮問委に所属し委員長も務めたウォーレン・キンボール米ラトガース大名誉教授(80)も本紙の取材に「(テーマについては)正確に記憶しておらず記録もない」とした上で、国務省の口頭説明の中で「日本の外務省からの(文書の非公開)要請についての話はあった」と語った。
 諮問委には決定権はなく、文書は結局公開されなかった。2006年7月刊行の「合衆国の対外関係」第29巻第2部「日本」は、政党名や個人名には触れず、CIAの資金提供の概略だけ編集者の注釈の形で明記。問題の文書は現在も機密指定されたままだ。
 シャラー氏の証言について国務省に見解を求めたが、コメントしなかった。日本の外務省は「米側との外交上のやりとりに関するものであり、お答えは差し控えたい」としている。

【その2】「外交の闇」隠蔽躍起 「核密約」も米に要請か
 米中央情報局(CIA)の資金提供に関する公文書についてのマイケル・シャラー米アリゾナ大教授の証言は、1960年の日米安全保障条約改定をめぐる密約問題で明らかになった外務省の隠蔽(いんぺい)体質を再び浮き彫りにした。背景を探ると、外務省が過去にも米政府に対して、特定分野の公文書を公開しないよう要請していた事実が明らかになった。

 「これは完全で、正確な報告書ではない、ということだ」。アリゾナ州ツーソンの同大研究室。本棚にある外交史料集「合衆国の対外関係」第29巻第2部「日本」を指さして、シャラー氏は無念さをにじませた。
 編さんに携わり、全公文書に目を通した約10人の諮問委員会の総意は「30年以上経過しており、全て公開し収録」すべきだった。こんなに「ひどい政策」をかつて米政府が行ってきた史実は、正確に後世に伝えなくてはならない-。しかしシャラー氏の考えはCIA、在日米国大使館、日本の外務省の反対に阻まれた。
 同氏在任中の96年10月の諮問委議事録(一部非公開)には、資金提供などに関連するとみられる米公文書を「報道陣より先にチェックするために在米日本大使館が、職員を米国立公文書館に派遣した」との米政府の報告も記録されており、外務省が神経をとがらせていた状況がうかがえる。

「機密解除担当者は日本の圧力に抵抗した」
 実は以前にも日本政府が米公文書の非公開を米側に求めた事実が昨春、国務省が刊行した「『徹底した、正確で信頼できる』編さんに向けて-合衆国の対外関係」に明記されていた。膨大な記録を基に、史料集編さんの歴史を国務省歴史学者らがつづった共著だ。
 同著は86、87年に日本政府から50年代の「幾つかの慎重な取り扱いを要する問題」についての文書が公開され、史料集に収録されないよう要請があったと明記。「機密解除担当者は日本の圧力に抵抗した」など情報公開を進めたい米政府幹部らの不満も記している。
 この章を執筆した歴史学者のジョシュア・ボッツ氏(36)によると、80年代以前、米国は自国作成の公文書の刊行については他国から非公開要請があっても拒否。しかし複数国の懸念を受け、レーガン政権は82年、自国作成文書についても当該国と協議するように対応を変更。相手国の意向に十分な注意が払われた。国務省の説明では、他国との協議は現在も行っている。

ボッツ氏によると、日本からの86年の要請は非公式に、87年は1、3月に在米日本大使館作成の公式な申し入れ書が国務省東アジア・太平洋局に提出されたとの記録が米公文書に記されている。しかし、全て要請通り非公開になったわけではないという。
 外務省の具体的な要請項目をボッツ氏に尋ねたが、回答があったのは「北方領土問題」だけ。それ以外の記述はいまだに機密指定されているため、明らかにしなかった。安保改定をめぐる密約関連文書などが含まれている可能性が濃厚だ。
 「核密約」については90年代後半、米国が関連文書をいったん公開し、それが報道などされた後、再び機密指定され非公開になった例が少なくとも2件ある。

 今回、西日本新聞は外務省に対し、CIA資金提供問題以外にも、米側に文書の非公開を要請したことの有無、その内容、いったん公開された文書が再び非公開になったことへの関与などを問い合わせたが、いずれも「米側との外交上のやりとりに関するものであり、お答えは差し控えたい」。歴史が隠されてきた真相もまた、隠されたままである。

西日本新聞社