業者はたいてい「軍属」または「軍従属者」であった
例えば元軍医の田中保は、将校クラブの主人を「軍属」にした様子を書いている。
佐官というのは、少佐、中佐、大佐の事でその上は少将である。将校クラブの主人にその高い地位を与えたと言う事だ。地位の高い軍人による軍の私物化だが、皇軍は戦地や占領地でこうした私物化を抑制しなかったので占領地では、まるで戦国大名のような悪逆な行為が蔓延したのである。
「・・・『黄』というよりも、陸軍慰安所「えびす」のおやじといったほうが貴方には判るかも知れない」・・・「あの黄の奴、実にひどいことをやったからな、……あれで陸軍軍属であったかと、実に情けないよ」(p89・90)
黄という慰安所の楼主が「陸軍軍属」であったというのだ。
また、有名なスマラン事件などで従犯格の慰安所経営者たちも、みな軍属であったと資料は告げている。
目下チビナン刑務所に拘禁中の9.古谷巌当40歳 東京都浅草出生(明治40.10.9)軍属10.下田真治11.森本雪雄12.葛木健次郎当38歳( 山梨県北都留郡出生(明治42.1.25)軍属
第9被告 古谷巌
a.昭和19年2月・3月及び4月の間、スマランのヘニーランにある「ホテル・スプレンディッド」、当時「スマラン・倶楽部」と称した慰安所の経営者であったが、・・・
第10被告 下田真治
昭和19年2月・3月及び4月の間、スマランのチアン・バルウにある当時「青雲荘」と称していた慰安所の経営者であったが、・・・
第11被告 森本雪雄
a.昭和19年2月・3月及び4月の間、ベラカン・ケボンにある先の「支那ホテル」後に「ホテル・デュ・ハピロン」、当時は「日の丸」と称した慰安所の経営者であったが、・・・
第12被告 葛木健次郎
昭和19年2月・3月及び4月の間、スマランの当時「スマラン・倶楽部」と称していた慰安所の経営者として、・・・
では「軍属」になっていない場合は完全に「民間人」なのだろうか?
そうではない。その場合、「軍従属者」という立場になるだろう。
在サイゴン鈴木六郎支部長代理『仏印ヨリ内地、満洲国、支那、「タイ」向旅行許可ニ関スル件』(1943年2月8日付) 極秘 昭和18 二八〇 暗 西貢 二月八日前発 本省 八日後着 青木大東亜大臣 第一〇号 今般南方軍総参謀長ノ名於テ当地軍ニ対シ仏印ヨリ内地、満洲国、支那、「タイ」ヘノ軍人、軍属以外ノ旅行許可ハ爾今大使府ニ於テ与ヘラレルヘキ旨電報アリタル趣ヲ以テ当地軍側ヨリ当方ニ聯絡越セルモ軍従属者(御用商人、飲食業者、慰安所従業員等)ニ対シ当方ニ於テ其ノ旅行ノ際旅券又ハ国籍証明書等ヲ許与スルコトニ疑義アリタルヲ以テ本省ニ稟請スルコトトシ一応返答ヲ留保シタル処 〔以下略〕 (吉見義明編『従軍慰安婦資料集』147~148頁) |
在ハノイ栗山茂事務総長『軍従属者ニ対スル旅行許可ノ件』(1943年3月10日付) 極秘 昭和18年 三二九七 暗 河内 三月十日後発 本省 十日夜着 青木大東亜大臣 栗山事務総長 第二一二号 (軍従属者ニ対スル旅行許可ノ件) 貴大臣発西頁宛電報第四三号及西頁発貴大臣宛電報第一六二号ニ関シ 軍従属者ノ現地解除後ニ於ケル身分ノ変更ニ関シテハ従来確タル原則ナキ処事情ヲ見ルニ便宜上軍従属者ノ資格(例ヘハ御用商人、慰安所員、酒保員等)ヲ取得シ軍ト共ニ或ハ現地軍呼寄ニ依リ入領セル者ニシテ其ノ後軍従属者ノ資格ヲ離脱シ軍発給ノ証明書(軍紹介状又ハ呼寄証明書等)ヲ当府ニ提示ノ上一般邦人トシテノ旅券若クハ国籍証明書ノ下付ヲ願出ツル次第ナリ然ルニ 〔以下略〕 (吉見義明編『従軍慰安婦資料集』149~150頁) |
その他の「軍属、軍属待遇」資料
昭和17年9月、北ボルネオ・クチン「大東亜戦争に突入した。事態は1億1心挙げて戦う時代となった。すでに小笠原島で海軍関係の仕事をしていた白山三業の芸妓屋『三浦家』主人は、この機会に吾が職域で奉仕することが吾等の勤めだと決心し、南方現地慰問を志していた。陸軍省にその許可を申請したところ、昭和17年5月に話は進み7月には軍属待遇としてボルネオ方面司令官前田利為中将のき下に配属されることになった。『三浦家』は芸妓20名、髪結3名、女中その他で合計30名。目的は現地慰問と芸能文化の紹介宣撫建設の一助であった。で、98梱包の衣装・楽器・料亭用調度品を携行することになり、白山三業から千代竜・小梅・ハム子などの芸妓が参加することになった」