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【侵略思想の淵源】 侵略主義者・佐藤信淵を「経世の大学者」と賛美していた大日本帝国

【侵略思想の淵源】シリーズ



人は誰でも、誉められたい、認められたい要求を持っている。子供たちを見ているとよく分かる。子供は親が誉め、称え、認める方向に伸びて行く。親だけではない。社会の人々が誉め、称え、認めてくれる方向に向かって自己を伸ばして行くものだ。

すると例えば、ある人を偉人として称えるような社会に生きていたとしたら、その称えられる方向へと進んでいくと言えるだろう。奴隷を解放したリンカーンを偉人として称える社会は、「奴隷を解放することには価値がある」という価値観を持っているのである。持っているだけではなく、その価値観を示し、教えている。こうして価値観の伝播がなされる。その人物を顕彰することは、その人物像の中の行動、思想、言葉などを「意味あるもの」「価値あるもの」として伝える事になる。
(実はこれは神話というものがどのように人に影響を与えるのかを示しているのだが、それはまた別の機会に)

では例えばこんな人を偉人として称えたら、どうなるだろうか?
その人はこんな主張をするのである。

「我が国は最初に生まれた国で、世界の国々の根本だ。だから、世界各国を我が国の一部となし、各国の王はみな臣下・僕としてしまうべきだ!」

つまり、「我が国が世界の中心だから、他の国を支配しろ」と唱えているのである。

[侵略思想]と言えるが、もしこんな人を偉人として称え、尊敬している社会があれば、その偉人の侵略思想を引き継ぐ人が何割かは生まれることになるだろう。

戦前の大日本帝国はそのような国だった。世界征服を理想化したり、詭弁で正当化するような人を偉人として誉め、称えていたのである。(さらにそのために死んだ人々を顕彰する装置:それが靖国神社である。価値観伝達機能を持っているのである。)

その人物の筆頭こそ、佐藤信淵である。

佐藤 信淵 世界征服の野望を語る











「皇大御國(日本)ハ大地ノ最初ニ成レル國ニシテ世界萬國ノ根本也故モ能ク其根本ヲ經緯スルトキハ即全世界悉ク郡縣ト為スヘク萬國ノ君長皆臣僕ト為スヘシ」で始まる自民族至上主義と、国内の統治及び世界征服の方法を書いている。
佐藤信淵は、海外征服について「凡ソ他邦ヲ經略スルノ法ハ弱クシテ取リ易キ処ヨリ始ルヲ道トス今ニ當テ世界萬國ノ中ニ於テ皇國ヨリシテ攻取リ易キ土地ハ支那國ノ滿州ヨリ取リ易キハナシ」と書き、中国征服を世界征服の第一歩として捉えた。軍事的及び経済的に満州以北を征圧した後に、中国本土台湾と寧波から侵攻し、そして南京に仮の皇居を定め、の皇帝の子孫を上公に封じて従来の祖先崇拝を認めた上で、神社や学校を建てて教育せよと述べている。中国を征服した後は、周辺の国も容易に征服出来ると考え、最後にヨーロッパへ侵攻せよという。<リンク>
軍や右翼の中には、この佐藤信淵の影響を受けた者が多く占領地に神社を作ったことを含め実際の歴史のかなりの部分がこの本の指示の通りに進んでおり、先の日本の侵略戦争の第一の原因者はコイツだろう。

「出雲松江や長州荻から朝鮮半島東海岸を経路し、博多からは朝鮮半島南岸を攻略すべき」 なんて細かい指示まで出している・・・お前はショッカーか?


ところが、この侵略思想の主導者が戦前の日本では、「憂国の士」「世界的経世の大学者」などと宣伝され、学校の教科書にまで掲載されていたのであった。

例えば、

大正時代の尋常小学校の教科書には、佐藤家の「五代の苦心」が学ぶべきものとして語られ、成功譚とされている。

●( 内外教育資料調査会 編 『応用練習を主としたる尋五読本教授細案. 前期用』http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/938279/232?viewMode=  p438~p449 、大正11年(この授業に5時間をかけ、「信淵が成功するまでの話を聞かせるように」指導している。明らかに偉人扱いである)

教授法研究会 『尋常小学国語読本新教授書. 第3種 巻9』 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919799/51?viewMode= p83~p102、大正11年)

(芦田恵之助 『国語読本各課取扱の着眼点. 尋常科 第5学年』 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1102549/20?viewMode=  、p33~p42 、昭和4年

1935年、右傾化・軍国主義化が強まる中で造られた教科書である『青森県青年学校教科書. 巻1』(青森県教育会 編)のp120(コマ72)では、佐藤を「日本のみならず世界的経世の大学者」と述べている。
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● 中島九郎によれば、「あらゆる問題に対し、的確緻密なそしてものによりては頗る革新的な識見を供うると同時に烈々たる尊王愛国者であった」という。(『佐藤信淵の思想』http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038529

● 中野八十八 の『憂国の志士』では、「佐藤信淵の世界統一策」を「慧眼卓見」と高い評価を与えている。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1039497/33?viewMode= p287~)

● 昭和17の『日本国防思想史』(松原晃 著)は、「カムサッカとオボッカを日本の領地とし、北アメリカを開拓すべし」という佐藤の主張を「卓見である」と書いている。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460227/112?viewMode=


戦前の佐藤信淵礼賛本一覧
(戦前も森銑三は批判本を書いたが、これをとりあげる人はほとんどいなかった)(戦後のものも混じるがそれはたいていは批判である)

このようにして侵略思想を述べる佐藤信淵をまるで預言者のように扱っていたのが、大日本帝国だったのである。大日本帝国侵略戦争をしてしまったのは、このような人物たちを誉め、称え、偉人として認めていたからである。



<ウンチク>

ところで昔、<新しい歴史教科書をつくる会>がその作成した教科書に「本多利明や佐藤信淵は、各国と積極的に交易して国を富ませるべきだと主張した」と書いた。これに対して谷沢永一『 「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』という本を書いて、佐藤をとりあげることは「私どもへの挑戦を通り越して決闘を挑むごとき所業である」と激しく批判したことがあった。

谷沢永一という人は、よく 渡部昇一とつるんで歴史修正本を出している人で、渡部昇一歴史修正主義の片棒を担ぐ、という印象しかない人である。例えば『拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿』という渡部との共著では、満州事変の前に戻す事を勧告したハル・ノートを「明治以来の一切の権益を放棄して4つの島にひっこめ」にしてしまっている。こうしたデタラメを述べながら「(ハルノートは)国を解体せよとせまったアメリカの最後通牒」だとしている。だから「日本に戦争責任は無い」という理屈である。この手のデタラメな理屈は田母神俊雄の得意技だが、まあガチガチの侵略戦争否定論者と言えるだろう。

歴史修正主義者が歴史修正主義者を批判するというよく分からない話だが、専門は日本文学(近代)である。
『 「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』では、「佐藤信淵は・・最初から最後まで嘘をつきハッタリで通した」のであり、「5代にわたって学者を輩出した家系」というのが「これがまず大嘘であった」としている。
ネタ本銑三の佐藤信淵ー疑問の人物』である。

やはり渡部との共著『こんな「歴史」に誰がした』p188-p193でもほとんど同じような事を書いている。

『 「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』にしろ『こんな「歴史」に誰がした』『拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿』にしろあんまり価値が無い本なので古本屋で二束三文で売られている。(私は100円で買った)

しかし佐藤信淵に関してだけは正解である。この詐欺師のいう事を信じて世界征服に乗り出したのが帝国臣民の不幸であった。