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「多様だから」という言い回しについて

       「多様だから」という言い回しについて

慰安婦は多様であった」という言い回しがある。朴裕河氏や熊谷奈緒子氏がしきりに唱える意見であり、「多様だから、性奴隷ではない」という論理構成である。しかし、「多様」であればなぜ、「性奴隷」とは言えないのだろうか?

意味が分からない。
もし、手を鎖でつないだり、銃をつけつける連行のみを想定するなら、米国の奴隷さえ大部分がそうではなかった。2世以降はそんな動員はなかったからだ。また米国の奴隷の中には賃金を得ていた者もいる。執事頭であったり、熟練工であったり、大工の棟梁をしている者もいた。奴隷を解放するために起こった戦争である南北戦争の際には南部の人達は、奴隷が決して虐待されていない事を示そうとしたし、事実解放された後も元の主人の農場にとどまり、従業員となったものも多かった。もしそれほど虐待されていたら、どうして元の主人と共にいたいと思うだろうか?有名なアンクル・トムにしても、執事頭として重用され、花が咲き乱れ果実がふんだんに実るすばらしい住宅に住んでいた。狭いアパートに暮らす我々の方が、逆に奴隷みたいである。(苦笑)
もちろん、ムチ打たれる奴隷たちもいたのが事実である。
米国の奴隷も多様だったのである。
「多様だから●●」が何の意味も無い事が分かるだろう。

しかし我々が憎んでいるのは、制度である。「奴隷制度」を問題視しているのだ。そこでは人が人に売買される事によって所有権が生まれてしまう。誰かが誰かを所有し、自由に扱う。主人が善人ならよいが、悪人なら苦しめられてしまう。
アンクルトムで言えば、老年期まで、善良な主人の下で満足しうる生活をしていたトムだったが、その主人が経済的困難からトムを転売したのである。すると転売先でムチ打たれ、苦しんだのであった。

人が人を所有することが問題なのだ。奴隷制条約を造ったセシル侯爵たちが述べたように、人が人を所有する事を許してはならないのである。
すると慰安婦たちはどうだっただろうか?彼女たちはいかなる制度の中にいたのだろうか?それは国際連盟からの勧告にも関わらず、国内の人身売買を看過した日本政府の怠慢によって蔓延していた人身売買の日本的風習と将兵の性の慰み者にしようとした軍の造った慰安婦制度の複合的な制度の中にいたのである。もしそこで「辛酸なめた」としたら、大日本帝国に責任が無いという意見は入り込む余地が無いではないか。
なるほど慰安婦たちの中には、比較的優遇された者もいただろう。特に日本人慰安婦の場合は一日に1人を相手すればよい将校クラブにいた者も多く、さらに高位の軍人の現地妻、妾として優雅な生活をした者もいたようだ。しかし、こうした多様性は、人身売買や慰安婦制度の問題を緩和しないのである。
制度が問題だからだ。
その制度を造ったのは誰か?あるいはなぜ存続していたか?が大きな問題なのである。「多様だから」という言い回しにはまるで意味が無い事がわかるだろう。

秦郁彦が『慰安婦と戦場の性』p276の中で、「(慰安婦たちの)居心地は千差万別であったろう」(p276)と書いているが、この「千差万別」は慰安婦の悲惨さを薄めるために使っている。しかしこの時点では、大きなトピックではない。
「「慰安婦」の存在は単一ではなく多様である」という意見を意味あるもののように扱ったのはフリーセックス的なフェミニスト上野千鶴子である。http://readingcw.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html

             
    労務動員の話だが
元朝総督府官僚であった大師堂経慰氏は『復命書』という強制連行資料について、「この報告は朝鮮総督府への要求を緩和させるための、陳情の目的もあった事を理解して頂きたい」「これは朝鮮全体として見ると、決して一般的ではなかった。地方地方で事情が異なっており、各人により対応が異なっていた」
杉本幹夫『センター入試 文科省は「朝鮮人強制連行」の定義を明らかにせよ』自由主義史観研究会 2004年2月会報、http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/0402.html

と語ったらしい。
それで、「事情が異なり、対応が異なっていた」から何なのだろうか?
ここにも「多様である」が何かの根拠になると思い込んでいる人間がいたらしい。全てのものは一様ではない。いろいろあるのが当たり前ではないか。いろいろあるかどうかを誰ひとり問題にしていないにも関わらず、いろいろあることが何かを証明すると思っているらしい。朴裕河氏はこういうところから直接・間接に影響を受け、その言説を造ったのではないだろうか?