元憲兵・松田才二が語ったラバウルの慰安所 「女たちの3分の1は病気で伏せって、そしてまた多くが死んでいきましたよ。」
「女たちの3分の1は病気で伏せって、そしてまた多くが死んでいきましたよ。」
と松田才二氏
「女たちはひどい生活でしたね、廊下の左右にうなぎの寝床のように布で仕切られただけの2畳ほどの部屋があってね・・・食事は乏しいもので、ごはんと味噌汁におしんこだけ。健康を維持するにも足りません」
まるで昔の吉原だ。
この酷い「タコ部屋」環境で重労働を強いられて、女たちは命を落としたのである。
この時代、「国体」というわけのわからないものの価値が高く、人の命などまるで価値を置かれていなかった。
歪んだ国では歪んだことが起こる。
皇軍のいたところでは、様々な酷い出来事が起こったのである。
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松田氏は、昭和18年3月ラバウルに到着
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