秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解2 「金学順さんの証言」について(その1)」
さて、まずこの表を見て欲しい。
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これは『慰安婦と戦場の性』p181に掲載されている【金学順証言異同表】である。
Bは『金学順さんの証言』
Cは『証言従軍慰安婦女子勤労挺身隊』
であり、秦は「こんなに証言が違うんだ」という指摘のために、この表を造ったのである。
秦本人によると「重要なポイントでいくつかの差異が見られるのは問題だろう。例えば再婚した実母が娘を40円で売った事実(Ad)は訴状にも、BCにも出て来ない。」(p180)・・・と言う。
「事実」でないものを「事実」と書く秦論説
しかし、まず「実母が娘を40円で売った事実」などというものは、このAの著作(『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』)にも書かれていない。金さんは「私は40円で売られた」などと証言していないのである。この「実母が娘を40円で売った」は、秦の解釈に過ぎない。
原文を提示しておこう。

金さん自身は、「養女に出された」と証言していたものを、秦が「 実母が娘を40円で売った」と解釈したのである。
物事に対する解釈や意見・論評は、個々人の自由なので、勝手にすればよいわけだが、「再婚した実母が娘を40円で売った事実」と書いてしまえば、「そんな事実は書かれていない」と指摘するしかない。
「金さんは、40円で養女に出されたと証言しているのが事実」である。
そこを間違えてはいけない。
「娘を40円で売った」は「事実」ではなく「秦の解釈、意見、論評」に過ぎないことをまず、明らかにした。
これも、「秦氏が頭の中で作り上げた「事実」が一人歩きしている」 例の一つであろう。
秦の言う「(金学順さんの証言の)重要なポイントでいくつかの差異」(p180)は、秦自身の頭の中で造り出されたものに過ぎない。
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「事実」でないものを「事実」と言い張ること」と「「事実」であるものを「虚偽」と言い張ること」は表裏一体の関係にある。秦は自分が考えた内容をいつの間にか事実にしてしまうという特技を持っているらしい。
証言が違うという印象を与えるために秦がやっている事
この表には他にも、作為的と思われる問題が存在している。例えばBbには父親の経歴として「独立運動家で」と書かれているが、この「独立運動家で」と書かれているのは、Cの『証言従軍慰安婦女子勤労挺身隊』も同じなのに秦はこれを書いていない。
元々、それほど大きな差異が無い証言を一部を書かないことにより、まったく違う証言なのだと印象付けようとしている。


今、私の手元には、
B『金学順さんの証言』
C『証言従軍慰安婦女子勤労挺身隊』
および『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件』の「金学順さんの訴状」
が全て在る。
つまり、秦がここで使用した全ての資料、著作物が手元に在るのだが、読み比べてみても、それほど大きな矛盾点はない。ただ、他の著作では「死んだ原因は知らない」と述べているのにBの『金学順さんの証言』では「父は日本軍に撃たれて亡くなる」と述べているのが、矛盾しているぐらいであり、その他の点ではほとんど問題が発見できない。
もちろん、話をする際にごく細部まで詳しく話したり、細部を削って大まかに話している部分もある。それは誰が講演をしても、与えられた時間があり、表現の仕方が変化するものであり、まったく同じ話をする人はいない。矛盾していなければ問題はない。金さんの証言も詳しく話したり、まったく話さないものはあるが、互いに矛盾している部分は少ない。また訴状の場合、訴訟に必要な部分だけを弁護士がピックアップしているのが当然である。
金学順さんをどうしても「元々売春婦」にしたい秦の悪意
これについては、以前指摘したが、もう一度述べて置きたい。
「職業的売春婦の出身という点で、韓国の第一号と似ている」というのだが、「韓国の第一号」とは金学順さんのことである。
つまり秦はここで、金学順さんを「職業的売春婦の出身」にしてしまったのである。
まったく根拠の無い話であり、”嘘つき”というしかない。それは自分でも知っているはずである。秦自身が金学順さんの証言を検証した『慰安婦と戦場の性』p179~p182では「売春婦だった」などとは一言も述べていないのだ。
つまり、ハッキリとは「金学順さんは売春婦出身」とは書けないが、何かのおりには、どさくさにまぎれて「職業的売春婦の出身」と書いたのである。「金学順さんは元々売春婦だった」という誤謬を広めたいわけだ。捏造による中傷である。
これが歴史学者の名によって書かれた文章だというのだから、恐ろしい話である。
こんな詐欺みたいな文章では、厳しい専門家の眼は誤魔化せないからである。査読されれば、批判されるのは必至であり、もしこのレベルのものが万一学会誌に掲載されれば、他の学会の専門家から批判の嵐になってしまうだろう。
事実、すでに批判はなされているわけだが。
要するに、歴史専門誌に載せるレベルではないのだ。
このようにして、悪意ある捏造的解釈を、歴史学者の名を使いながら、まるで事実のように装いながら、広めているのが秦の著作である。
(つづく)