2016-06-30 山崎 雅弘と菅野完の「日本会議」に関する考察の違いについて 現代の翼賛会 日本会議を探る #練習用 もうすぐ発売、山崎 雅弘の『日本会議 戦前回帰への情念』 ・・・ツイッター情報 山崎 雅弘 @mas__yamazaki 6月24日 菅野完氏の本では全然触れられていない、日本会議の主張と戦前の国家神道や国体思想との数多くの共通点にも広範囲に光を当てた本『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)が、来月発売されます。田久保忠衛氏や櫻井よしこ氏など、菅野完氏の本で全然触れられていない幹部の言動も分析しています。 https://twitter.com/mas__yamazaki/status/746197284606480389 実は、菅野完氏はこの『戦前回帰』という考え自体を否定してるのです。 ↓ 菅野完 @noiehoie (連続RT)これが僕がいつも言ってる、「日本会議的なものに、『国家神道復活路線』とか『戦前回帰』なんて視線で考えるのはアホのすること。あれは国家神道ですら、戦前ですらない、もっとくだらないものなのだ」と言う平仄でもある。 2016年5月30日 14:07 「アホのすること」だそうで。 『国家神道復活路線』というのは、島薗進氏が『国家神道と日本人』などで述べています。 島薗進氏のツイートはこんな感じです。 島薗進 @Shimazono2016-05-22 09:09:53 英国エコノミスト誌“Rebuilding bridges,” May 21, 「憲法改変への序曲、戦前の国家神道体制に近づく意図」「神殿の前で二礼二拍手の手順に沿って深々とお辞儀をし、日本の天皇家の祖先である天照大神 - 日本の太陽の女神と祖先の霊にぬかずくことはないでしょう」 http://pbs.twimg.com/profile_images/1288384355/___254_normal.jpg島薗進 @Shimazono2016-06-10 08:33:29 【伊勢志摩サミットと安倍首相と国家神道への回帰志向】togetter.com/li/978981 特定の宗教団体の施設を日本の精神文化を代表するかのように誇示する。実際には「日本の精神文化を代表する」神宮=天皇崇敬が戦前の精神指導理念となり、自己犠牲を賞揚し国を破滅に導いた。 http://pbs.twimg.com/profile_images/1288384355/___254_normal.jpg島薗進 @Shimazono2016-06-10 09:27:49 【日本人と宗教―「無宗教」と「宗教のようなもの」】nippon.com/ja/in-depth/a0… 「実は天皇崇敬こそ国家神道の主要な牽引役だったのだ。国家神道は神社以外の場、とりわけ近代国家の国民になじみが深い学校や国民行事、あるいはマスメディアを通して広められた。」 ちなみに菅野完氏は『朝日ジャーナル』増刊号で島薗氏と対談したのに、これには触れていないので拍子抜けしました。日頃、「アホ」とか言っている以上、もっとバトらなきゃダメでしょ。 それはともかく、上記 山崎 雅弘氏の言う 「日本会議の主張と戦前の国家神道や国体思想との数多くの共通点」は、非常に興味深いところです。 前著作 『戦前回帰 「大日本病」の再発』も説得力のある内容でしたから、今回も楽しみですね。 扶桑社の戦略に乗ったと思われる菅野完氏の『日本会議の研究』は、それなりに売れたにしても、内容的には今一でした。谷口雅春原理主義者に光を当てすぎたので、他の部分が影になってしまったと思います。特に光が当たっていないのは、日本会議全体を覆う神道思想についてです。 自民党憲法案に見る戦前の思想 我々が自民党の憲法案を読んで、思うのは、「こりゃもう、戦前の人権感覚だな」です。この点では、リテラさんが追及してくれています。http://lite-ra.com/2016/05/post-2210.html 《すべての国民は、個人として尊重される》を自民党は《全て国民は、人として尊重される》に変えようとしている。 その屁理屈は、《人権規定も我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました》(自民党「改憲草案のQ&A」http://constitution.jimin.jp/faq/) であり、「天賦人権」を否定し、「歴史、文化、伝統を踏まえる」というわけです。 この「個人」を「人」に自民党憲法案が変えていることについて、山崎氏は、それは「戦前、戦中の「国体」思想が最も嫌っていた「西欧由来の価値観」である」と看破しています。(『戦前回帰』p328~) つまり、それは戦前の考え方が復活して来てるのだというわけです。 菅野完氏の場合は、自民党憲法案に関する考察、位置付け自体が最初からまるで無いのです。そこが第一の問題ですね。 さらに日本会議が教育問題に力を入れるのは、「左翼に対する反発」にしてしまっています。「左翼がどうこうするから、連中もこうするんだ」という左翼先行の対立にしたいわけです。 こういう「左翼が悪いから」という対立の図式はネトウヨがよく使います。 人権抑圧と戦前社会 日本の歴史というと人権が無いのが当たり前のような歴史でした。 安倍自民党も日本会議もそういうことには目を閉じて、戦前に回帰したいわけです。 要するに昔の日本に戻りたい。戦前、政教社は不戦条約の第一条の「人民の名において」という文言に文句をつけ、「天皇の大権への侵害だ」と主張しましたが、自民党憲法案には似たものを感じます。あるいは、政党政治を攻撃した桐花学会でしょうか。そもそも、吉野作造がデモクラシーを「民主主義」と訳せず「民本主義」と訳したように、戦前社会は「民主主義」という言葉さえ使うのがはばかられるような社会でした。なぜかというと「民主」は「天皇主権」とぶつかるからです。だから、明治維新後の自由民権運動は大日本帝国憲法が生まれた頃には終息してしまい、米国のキリスト教と連動していたキリスト教会の中で密やかに語られる程度のものにされていたのでした。そのキリスト教会も第2次世界大戦の時期には、弾圧を受け、おかげで民主主義も民本主義もデモクラシーも知らない人ばかりになってしまったのでした。 ところで、山崎氏によると、戦前回帰の動きはサンフランシコ講和条約の後、神社界に起こっていました。それが起元節復活運動であり、靖国神社国家護持法案だったといいます。 慰安婦問題否定論も、広い意味での神社界を中心として生まれ、支持されて来たことを考えると興味深い。そして朝鮮人差別や侵略戦争も、神道(神社)の主張を発生源としているhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/folder/1576386.html。 現代社会の病巣の多くの淵源が神道(神社)にあるのは、偶然ではないでしょう。 神社で改憲署名 「かみのくに」だそうだ。 http://togetter.com/li/920653 より z