靖国神社「英霊」思想の成立を考察する
ザックリ言うと
「英霊」思想は、日本の伝統でも何でもなく、ここ200年程度の新興宗教の主張の産物である。
1、「死者を神」とする風習の発生
藤田東湖(後期水戸学の学者)は江戸時代末期に書いた『正気歌(せいきのうた)』で「英霊」という言葉を使った。
靖国神社や護国神社は、「天皇のために戦闘して死んだ人を、一律と神として祀る神社」だが、そこには、まず「人を神として祀る」という思想があり、さらに「天皇のために戦闘して死んだ人は、死後日本国を見守る神となる」という思想がある。
しかし、神社(神道)を調べるとこのような思想は古代には存在せず、江戸時代の末期になって初めてその萌芽が生まれている。
古代の神社(神道)には、「死者を神」とする風習さえほとんど無かったからだ。
まず、そこから追及しよう。
この神道研究者は、古代日本において「死者を神」とする風習がほとんど無かったことを告げている。
↓ (部分掲載)
2、中世 詐欺から生まれた吉田神道の暗躍
まず、中世には、人を神として祀る神社がいくつか生まれたが、それは上で見たように、極めて大きい制約があり、特別な人物が長い時間をかけて神として祀られたのである。
そして、やがて神社界を支配した詐欺師・吉田神道によって、その人霊祭祀の考え方が定着していくことになる。
<吉田神道を俯瞰す>
以下、『神道の本』(学研)から抜粋

①策略をめぐらし、神器が自分の神社に出現したと報告し、裏工作をして認めさせる
②加茂川の上流に塩俵を埋め、神が飛来したという奇跡を演出
③太古神典を作成
④家系図を造り変える
中世の神社界を支配し、江戸時代の神道に大きな影響を与えた家元吉田家は詐欺から始まったのだ。
人騒がせな詐欺師もいたものだ。その吉田家が人霊祭祀を広めて行ったのである。

なぜなら、江戸時代末期までは、神道界においても、死んだ人は皆、黄泉の国に行くと考えられていたからだ。
『古事記』の中でイザナミが黄泉の国に行ったように・・・・である。
ウンチク
「黄泉の国」はアテ字であり、「夜見の国」と書くこともあり、「下津国」「根の国」と言うこともある。
「人は死んだら、じめじめと暗い<黄泉の国>に行く」というのが、神社(神道)の世界では、長い伝統であった。
だから、「死穢」などという日本独自の観念を産んだのである。(こうした観念は日本仏教にも浸透した)
「死は穢れている」というわけだ。
たとえ、「人霊祭祀」が多少広まったからと言って、それは変わらない。
また、こういうところから、「死」を扱う職業への差別が生まれる。中世には動物を殺す役目の人を穢多と呼んだが、それは神社が持っていた「死」の観念から生まれたのである。 (『日本奴隷史 』阿部 弘臧著)
平田篤胤 (1776年-1843年)
平田篤胤はまず、黄泉の国に行くという説を退けた。
こういう。

『日本の名著』p230
つまり、「死んだら黄泉の国に行くというのは嘘だ」というのだ。
篤胤にとって師であるはずの本居宣長が「死ねばみな夜見の国に行く」と述べていたことについては、こんな風に述べている。

呆れてものも言えない話だが、当時の人達は古代においては「人霊祭祀」の風習さえ、ほとんど無かった事を知らなかったし、この篤胤の説にたぶらかされる人もたくさんいたのだろう。
4、人は死んだら、国土に留まるとした平田篤胤
では、平田篤胤は人が死んだらどうなると言うのだろうか?
見てみよう。

(p241)
人は死んだ後、「永久にこの国土にいる」のだそうだ。それは「現に聞く事実から明らかだ」という。
そんな事実は知らないが、そういう意見らしい。
篤胤は『新鬼神論』において、「・・・まづ人は、生てありし時の情も、死て神霊となりての情も違うことは有るまじければ、生たる時の情もて、神霊となりての情をはかるべし。」 (「日本思想体系50」平田篤胤『新鬼神論』(岩波書店)、昭和48年、p160) という。
つまり「人は死ねば神となるが、情は変わらない」というのだ。こうして死ぬと人は神となり、国土にあって生者を見守る」という世界観が生じるのである。
篤胤のこの思想は、同時代の神道界の2大勢力であった白川家と吉田家に影響を与えた。1808年(文化5)には白川家が、1823(文政6)には吉田家が古学教授委託をする(吉田真樹『平田篤胤ー霊魂のゆくえ』p242)。また明治維新に影響を与えている。
明治維新に影響を与えた ↓
5、結論
●古代においては、人霊祭祀さえほとんど無かった。
●中世になると、選ばれた一部の人だけが、神となって祀られるようになったが、それは詐欺によって家元となった吉田家が進めたことだ。
●やがて、近代になって、平田篤胤が「人は死ねば、神となり、生前の情のままに国土にとどまり、子孫を見守る」という世界観を形成した。
●ここで神葬祭が始まった
最初から、日本の伝統を無視した平田篤胤が造ったまるでデタラメな理論である。参拝している人々は、この理論が正しいと言えるのだろうか?
私は靖国に神霊など存在しないと思っている。
そもそも、人が死んだからと言って、神になるなどとは考えていないし、「死後国土にいる」などとも考えていない。
ゆえに参拝することは無意味であると思う。
(ウンチク)

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戦慄の「侵略思想の淵源】シリーズ http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/folder/1576386.html
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