データを考える 管賀江留郎著『戦前の少年犯罪』を読んで
政治学者や評論家たちの中には、「近年の凶悪な少年犯罪は、戦後に特有であり、人心の荒廃を示すものである」という意見を述べる者がいる。
つまり、戦後の教育は、「教育勅語」に代表される道徳教育を廃止したから、凶悪犯罪が起こる。だから、道徳教育・人格教育を復活すべきという意見である。
例えば、『戦後社会はA少年に対抗できるのか』(佐伯啓思、『正論』1997-9月)では、「神戸の小学6年生殺人事件」を「道徳教育、人格教育そして教師の権威を全て否定しさった戦後教育の方向そのものの問題」「学校教育の崩壊」「虚構」として捉えながら、戦後民主主義教育の「人権、平等ー戦後社会への虚構」をあげつらっている。さらにそれは「共通した物語の喪失」なのだという。
この意見は言うまでもなく、戦後レジ-ム否定から日本神話の教育へと進んでいる現在の安倍政権の指向性へとつながっている。
しかし、こうした意見は正しいのだろうか?
もし、戦前に「少年A」のような凶悪な少年犯罪がまるで無かったとしたら、戦前の道徳教育が正しかったと言えるだろう。しかし、もし戦前も「少年A」のような凶悪な少年犯罪が存在していたならどうだろうか?
いや、むしろ戦前は、理由も分からない猟奇的なまでの凶悪犯罪が多発していたのである。
それをデータで示したのがこの本である。
管賀江留郎著 『戦前の少年犯罪』
著者は<少年犯罪データベース>というサイトを運営している。
戦前の少年犯罪 [著]管賀江留郎
■犯罪記事、徹底的に洗い出す
「最近、少年の凶悪事件が増加している」と聞かない日はないが、本当なのか。戦前の新聞を丹念に読み込んだ著者は、そこから「同級生殺し」「親殺し」「幼女殺人」といった少年や若者による犯罪の記事を徹底的に洗い
出す。そして、戦前は数的にも質的にも今よりはるかにひどい少年犯罪があふれて
いたこと、さらに「いじめ」「ニート」といったいかにも現代ならではと言われる現象も、
実はその時代から存在していたことを浮き彫りにする。
なるほど、ここに並べられた目をおおいたくなる事件を眺めていると、“昔の子ども
はよかった”“現代の子どもはモンスター”的な言い方には何の根拠もないことがよ
くわかる。しかし、「ジャーナリストも学者も官僚なども物事を調べるという基本的能
力が欠けていて、妄想を垂れ流し続けています」という著者の憤りはよくわかるのだ
が、戦前の子どもは「簡単に人を殺し」、現代の子どもは「ほんとにおとなしくなっ
た」とまで言うのもやや断定的すぎるのではないか。データは少年犯罪の増加を示
していないのに人々の不安は高まる一方、というところにこそ子どもをめぐる最近
の問題の本質があるのでは、とこの労作の著者に尋ねてみたい。