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日本でも「軍服の男」が「騙して」連れて行った



慰安婦の方々が話される体験談の中には、しばしば「軍服の男」が登場します。大抵の場合、朝鮮人と日本人の2人連れであったりしますが、村長や警察官がついて来ることもあります。

こんな感じです。

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『強制連行された朝鮮人慰安婦たち』 
金台善(キムテソン)さんの証言







ところで、「軍服の男」の話は、1957年に元報道班員が書いた著作の慰安婦話の中にも登場します。場所は日本ですが、徴集の状況と方法が実によく似ているのです。

濱本浩著『火だるま大佐』という著作の話です。

「1957年」の著作です。
千田夏光が、従軍慰安婦を世に問うたのが、1973年ですから、それよりも16年も前に書かれている。あの戦争が終わって、まだ記憶も新しい時期です。
「軍服の男」が登場するだけではなく、その男は「村役場に本部を置き、前線行の篤志看護婦を募集した」と言います。村役場を使えたということは、つまり、「公務」であった事を示しています。
ここで思い出されるのは、慰安婦の徴集を「公務旅行の証明書」と書いた山田清吉氏の武漢兵站です。
引用します。
 
孝感から来た朴景道という50位の朴訥な朝鮮人が、武漢楼の権利を買いとって商売をはじめた」「朴はいちど朝鮮へ帰って新しい妓をつれて来たいというので、公務旅行の証明書を持たせて朝鮮へ帰してやった。

( 山田清吉 武漢兵站p117)




山田氏が「公務旅行」と書き、濱本氏が「村役場に本部を置き、前線行の篤志看護婦を募集した」と記録した。それは慰安婦の徴集が「公務」としてなれていたことを意味しているのです。

さて濱本氏によると、ラバウルで、その日本女性は騙されたことを訴えたと言います。


院長室に通してみると、その女は突然、「私は、騙されました。お願いします、お願いします」と、声をあげて泣き出した」
「その女は、静岡の田舎の者で27歳になっていた。ある時、女の村へ、海軍の徴募兵と自称する軍服の男がやって来て、村役場に本部を置き、前線行の篤志看護婦を募集した。愛国の血に燃えていた田舎娘は、軍需工場へ徴用されるより、白衣の天使として軍病院で立ち働くほうが、はるかに理想的であったにちがいない。そこで勇躍して応募し、横須賀から、同志の娘達と輸送船に乗り込んでラバウルに到着してみると、看護婦というのは真っ赤な嘘で、その晩から客をとれと強いられた。泣く泣く奉仕はしたものの、娼婦を志願して来たものではないから「ぜひとも初志どおり、看護婦に採用して下さいませ、お願い致します」と、掌を合わせ、院長に嘆願した。(略)

(濱本浩 『火だるま大佐』)


これは、明らかに朝鮮半島での慰安婦の徴集に似ていると言えるでしょう。太平洋戦争が始まった後、こうした犯罪が公的機関を使いながら、頻発していたにも関わらず、皇軍やすでに皇軍の配下であった警察は、まるで取り締まる事さえなかったのです。
そして朝鮮人元軍慰安婦たちの証言と濱本浩さんの書いた話が非常によく似た情景を示していることに気付くでしょう。

共通点)
①「軍服の男」
②「騙して連れて行く」