河野談話を守る会のブログ2

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討伐に行って、女性を狩り集め、強姦して殺した という元日本兵



石田甚太郎
『殺した殺された―元日本兵とフィリピン人200人の証言』径書房、1992

ルソン島南部で討伐ということで住民虐殺を行った日本軍部隊に所属していた元日本兵2人の証言の一節。

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昭和20年、フィリピン・ルソン。
「フィリピンで忘れられないのは、なんといっても討伐だな。ある村に行った時に、若くて美人の娘たちを20人ばかり集めて、連れ帰って家に閉じ込めておいた。俺は遊ばなかったが、みんなが女たちをもてあそんでいたよ。そのうちに、上の方針が変って、女たちを減らすことになった。12、3人にしたんだから、残りの7、8人程は井戸に投げ込んで殺してしまったわけだ。その後だが、初年兵が当直しているときに眠ってしまったので、女たちに逃げられてしまったよ」(p125)

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「考え直してみると日本軍は残酷だったよ。女や子どもから老人にまでひどいことをやった。討伐に行く度に18、9の娘を見つけて連れてくると、囲ってピー屋(慰安所)にしていた。しかも、アメリカ軍が迫って用がなくなると、生きたまま井戸に投げ込み、上から石や土を入れて殺してしまった。一人だけ逃げた女がいたけどな……」
(p197)
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この2つの証言は、要するに日本兵は「討伐」をすると、そこで女性を捉えてきて、性奴隷にしたあげく、殺したということである。

我々はこうした証言が元皇軍将兵から、出てきていることを記憶しておくべきだろう。

そしてこうした証言は、慰安婦にされてしまったフィリピン女性たちの話を裏付けているのである。


1993年に提訴された[フィリピン「従軍慰安婦」国家補償請求訴訟]の訴状で(http://www.awf.or.jp/pdf/193-f1.pdf )、マリア・ルナ・ロサ・ヘンソンさんは、薪を集めている時、日本兵に強姦され、後に今度は他の6人の女性とともに、病院に監禁され、性の慰みものにされたという。


トマサ・サリノグさんは、まだ初潮もない13歳で、食堂に監禁され集団強姦された。一度逃げても再び捉えられ、監禁されている。

エスティリタ・モランダンテ・サラスさんもやはり初潮前に強姦され、やく2年間監禁され、強姦されつづけたという。

ロザリオ・チャリング・ノブエトさんの村は日本軍の襲撃を受け、村人の多くが殺された。ノブエトさんは結婚し妊娠していたが、駐屯地の小屋に連れ込まれ、3ヶ月間強姦されつづけた。

フランシスカ・ナベサ・アウスタリさんは、18歳の時、日本兵の使いに騙されて連れていかれ、昼は洗濯婦、夜は慰安婦として約1年間監禁された。


訴状では「強姦行為の組織化である従軍慰安婦の対象として大量のフィリピン女性が被害を受けた」としている(p14)。

フィリピンに関してはすでにここでも書いている。


これに対して、安倍は謝罪もしないのだろうか?
日本政府は「慰安婦問題は解決した」としたいようだが、一体何が解決したというのだろうか。
ひとりよがりな解決済み論というしかない。