河野談話を守る会のブログ2

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菅野完のデタラメ発言を考察する(2)@noiehoie 菅野完@noiehoie



菅野完氏は自分を「民族派」であり「天皇の臣」であるというアイデンティティを持っている。

こう述べている。

そりゃ、一般の人なら別にいい。皇室典範はどうあるべきだ、こうあるべきだ、とご議論なされればよろしい。しかし少なくとも我々民族派は、そういう立場ではないのだから、黙ってるしかないではないか。それが、日頃自分たちに課している、草莽のとしての矜持ではないか。
posted at 09:24:43



「草莽の臣としての矜持」を日頃から持っているという。
「草莽の臣」とは、「諸侯やその体制に〈臣〉として忠誠を誓う在野の協力者」のことであり、この場合、天皇の臣のことである。

戦前、日本人は皆、天皇の臣下として「忠君愛国」教育を受けていた。民主主義化した現代でも、その感覚をいまだに持っている人達がいて、自分を草莽の臣であるとか「民草」などと呼ぶのである。


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しかし、民主主義下で教育を受けている我々には、もちろんそんな感覚で生きていたりはしない。民主主義は民が主人であり、生まれた時から貴い人間がいて、その誰かの手下として生まれついているなどという思想ではないからである。
もし、そんな矜持を持っているとすれば、それはあの暗い戦前の人というしかない。

菅野完氏はまた、2013年9月にやはり扶桑社から出版した『保守の本分』p3で、自分を「右翼であり保守主義者であると自認する私」と書いている。

もちろんどんな自認をしても勝手なのだが、