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強姦するために監禁する場所をどう名づけるべきか?







松岡環編 『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』 社会評論社、2002

元兵士102人の証言から


当時・第16師団歩兵第33連隊第3機関銃中隊(兵士の証言)」「私らが行く所は慰安所というのはなかったし、いつも一線ばかりだったので慰安所なんかは行ったこともないし、あるということも知らなかった。その代わりに「女を徴発して来い」と言いわたされることがあります。夜中に1ぺん、「女を洗濯婦として徴用せよ」と言われたことがありました。それは小隊に出た命令です。いい顔の女は皆連れて来ました。大体向こうに行くとクーニャンは一人で部屋にいるんですな。夜中に襲撃して、寝ている女性を20人から30人ぐらい連れて来て、各分隊に3人ぐらい配分する。それが朝になったら全部逃げてしまってどこにもおらなくなっていたのです。こっちは連れて来て(強姦して)からは安心して寝てしまったので、うまいこと逃げられたこともありました。分隊に配分された場合は分隊長からやるんです。連れて来たときは抵抗するよりも泣いていましたな

(p97)



「女を洗濯婦として徴用せよ」と命じられて、夜中に襲撃して、寝ている女性を20人から30人ぐらい連れて来て、各分隊に3人ぐらい配分して強姦するという話だ。中国やフィリピンでは多い話だ。



皇軍はいろいろなところに、慰安所の初期形態のような強姦所を造ったのである。


泰緬鉄道建設時の話

E・J・H・コーナー著 『思い出の昭南博物館』

人夫が女であり、若くてきれいだと、カタンの近くにある兵舎に送られ、兵士たちの慰みものになった。通行人は彼女らがジャワ語で「助けて」と悲鳴をあげるのを耳にし、胸をしめつけられた。



右派論壇では、慰安所を造ったのは日本だけではない、という意見が多いが、さすがにこの手の強姦所を各地に造ったのは皇軍だけだろう。

しかし「兵士たちの慰みものになった」のだから、やはり「慰安所」というべきなのだろうか?