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「挺身隊」情報【女子挺身隊制度強化方策要綱】ー秦郁彦の問題

 
勤労女子挺身隊は、1944年8月23日公布の「女子挺身勤労令」に始まった。
しかし、「挺身隊」あるいは「女子挺身隊」という組織は、それ以前から始まっていたのである。
右派は歴史教科書に「女性たちまで挺身隊という名で連行され、日本軍の慰安婦として犠牲になりました」と書いてあったのを批判・非難しているのだが、その理由が「挺身隊とは勤労女子挺身隊だから」というものである。

しかし、「女子挺身勤労令」の前に「挺身隊」あるいは「女子挺身隊」という組織が存在していたことをこのブログでは何度も述べてきた。
 
下の資料もその資料の一つである。
「女子挺身勤労令」を出す半年も前の閣議決定で、「女子ノ勤労動 員ヲ促進強化スル為女子挺身隊ノ制度ヲ強化シ 其ノ勤労能率ノ昂揚ヲ図ルモノトス」と述べている。
あくまで「女子挺身隊ノ制度ヲ強化シ」であり、「女子挺身隊ノ制度ヲ新タニ新設シ」ではないのである。

これについてはすでに、1942年には陸軍がその名もずばり「女子挺身隊」を設立したこと、またそもそも、「挺身隊」と言う言葉は1930年代から敗戦までの日本では、特に軍関係に広く使用されていた言葉であったことなどを証明している。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65362131.html

まったく研究などしていない右派論壇に騙されてはいけない。
 
 
 

資料の12 女子挺身隊制度強化方策要綱 
(昭和19年3月18日)
  •  防衛省防衛研究所
  •  陸軍一般史料
  •  中央
  •  軍事行政
  •  軍需動員
  •  勤労査察調査関係資料(其の1) 昭和19年
C13120773600
中央-軍事行政軍需動員-584(所蔵館: 防衛省
日本語
昭和19年(1944 - 1944)
昭和19年3月18日(1944/03/18)
5
資料ノ十二 女子挺身隊制度強化方策要綱 (昭一
九、三、一八 閣議決定) 第一 方針 女子ノ勤労動
員ヲ促進強化スル為女子挺身隊ノ制度ヲ強化シ
其ノ勤労能率ノ昂揚ヲ図ルモノトス 第二 要領 
一、女子挺身隊ノ結成 (一) 学校長、女子青年
団長、婦人会長其ノ他適当ナル職域又ハ地域ノ
団体ノ長ヲシテ女子挺身隊ヲ組織スル必要ナル
措置ヲ執ラシムルコト (二) 女子挺身隊ニ依リ
勤労ニ従事セシムベキ者ハ国民登録者タル女子
ニシテ家庭ノ根軸タル者ヲ除キ尚身体ノ状況、
家庭ノ事情等ヲ斟酌シテ之ヲ選定スルコト 尚戦
時農業要員タル女子ニ付テハ之ヲ隊員トシテ選
定セザルコト (三) 右ニ依リ選定セラレタル者ニ
対シテハ必要ニ応ジ挺身隊組織ニ依リ必要業
務ニ挺身協力スベキコトヲ命ジ得ルモノトスル
コト
 
 
一応全文を張り付けておくが、読む必要はない。ただ、赤線の部分は注目してほしい。

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赤線で「女子挺身勤労令」を造る前の閣議決定で、結婚すれば離隊できる規定が決定されていることに注目してほしい。(正確には「結婚その他」だが)

梨花女子専門学校に行った尹貞玉氏や女学校生だった金文淑は、その体験談の中で、挺身隊に行かない方法として、「結婚すること」を挙げているが、それはこうした閣議決定があったからだろう。また、閣議決定する前にすでに存在していた「女子挺身隊」においても、慣習としてすでに存在していたことも、想像できる。

秦郁彦は、「未婚女性を対象」と書きながら「挺身隊を免れるのは、「結婚するか教員」しかなかったとするのも正しくない」と断定している(『慰安婦と戦場の性』p372)
しかし閣議決定で、結婚すれば離隊できる規定が決定されているのだから、それを情報として得ていた人たちが、「結婚すれば、挺身隊を免れる」と考えたとしても、一定の根拠が存在していたのである。

「正しくない」とする秦の断定の方が問題が多い。