歴史修正主義の淵源(2)慰安婦問題否定論について
(全文 敬称略)
神社勢力が、南京虐殺否定論を積極的に支援してきたことを論証してきた。
では、慰安婦問題はどうだろうか?
彼らは「慰安婦は、軍の制度によって苦しめられた。謝罪すべきだ」と言っているだろうか?
もちろん、そうではない。最初から「謝罪」を批判しており、南京虐殺否定論と同様に、大日本帝国の軍隊がそんな悪いことをするはずがないという前提の否定論を活発に展開し、様々な面で右派論壇をリードしてきたのである。
これから紹介する1992年2月の論稿は、様々な虚偽を含むという意味でも、ヘイトな文言を含むという意味でも極めて不快である。
筆者は、1990年12月『大東亜戦争への道』を書いて、大きく歴史改竄(歴史修正主義)への道を切り開いた中村粲である。663ページも使い「正しかった日本の歩み」(p658終章)を書いた『大東亜戦争への道』は、通州事件を強調し、南京事件を否定する、ここ数年間ネトウヨがよく使っていた詭弁の先駆的著作でもある。
1、中村粲が書いた論稿
( 『神社新報』1992年2月24日号6面)
この論文の特徴は、
①ただの公娼論

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(赤線は全て当会による)
②善意の関与論
(この「1965年の日韓請求権協定で解決された」という盲説は、同時期の『文芸春秋』1992年3月号「謝罪するほど悪くなる日韓関係」という田中明と佐藤勝己の対談でも「歴史問題を含めて65年の協定で全て解決」と書いている。佐藤勝巳は60年代以降10数年間、北朝鮮は地上の楽園と宣伝し、北朝鮮出身者の帰国事業をリードしていたが、その後旗色が悪くなると共産主義から国粋主義者に転向し、今度は右派論壇で慰安婦問題をミスリードしているという酷い人物である)

小林よしのり、秦郁彦、西岡力などは、この全てを踏襲しており、逆に踏襲していない右派論壇(『産経』、『正論』、『WILL』,『諸君』、『Voice』、『文芸春秋』、桜hなど)の論者を見つけるのは難しいほどである。
④朝日新聞攻撃
神社界や日本会議界隈の朝日新聞への反感は、『新編日本史』騒動にさかのぼる。朝日新聞は『新編日本史』を「復古調教科書」と的確に批判したのだが、採択率が低かったのはそのためだと思ったらしい。過剰反応した『神社新報』は「悪質な妨害」と述べて糾弾姿勢を示した。朝日に対する反感はその後の右派論壇において大きく展開する事になる。
⑤ 日本政府を批判しながら誘導
③で「政府は韓国側に反問したらいいだろう。・・・それさえ言わないのは政府に勇気がないからだ。」と中村粲は述べている。
後に産経新聞は2013年から始めた歴史戦の中で、しばしば同じように「日本政府が反論しないから、いわれなき糾弾を受けている」として反論を催促したが、それと同じことを先駆けたのである。
⑥ 慰安婦否定の文脈にヘイト・スピーチの混入
しかし、さらに重要な問題がある。
慰安婦問題に反論をするのに(反論にはならないにも関わらず)嫌がらせのような民族性攻撃を行っている。

●「血は争えぬもので、謝罪をすれば金を出せとねだってくる点では南も北も同じである」
●「一を譲れば二を欲し、二を与えれば四を求めるのが、韓国・朝鮮人に通性なのであるから・・・・・」
民族性に絡めて慰安婦否定論を展開したのはこれが始まりであり、後に2000年代にはヘイトデモの現場やネトウヨサイト、ツイッターによって当たり前のように書かれる【否定論へのヘイトの混入】が、今から25年も前にすでに姿を現していたのである。
この時期に、『神社新報』につづいて【否定論へのヘイトの混入】をしたのは元憲兵達(憲友会)が発行していた『憲友』であり、これについてはいづれ詳しく書こうと思う。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65525832.html
今日のネトウヨの【否定論へのヘイトの混入】例をいくつか挙げておこう。
A


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ブログに書いている。「朝鮮売春ババア」などというヘイトデモにありがちな言葉
自体が、「ただの売春婦論」へのヘイトの混入なのだ。
2、日本の差別主義(レイシズム)の源
と菅野完は述べているが、もちろんこれは、日本の右翼思想がどこから産まれたのか、まるで理解していない意見に過ぎない。
週刊誌『サンデー毎日』(2014年11/23号)にそのヘイトスピーチが書かれた吉水神社の佐藤一彦宮司は、〈共産支那はゴキブリと蛆虫、朝鮮半島はシラミとダニ。慰安婦だらけの国〉とネトウヨのような酷いヘイト発言をしていた。http://lite-ra.com/2014/11/post-629.html
またやはり神職の資格を持ち、神道の小学校を造ろうとしていた森友学園の籠池元理事長は、「日本精神を育てる」と述べながら、同時にヘイト発言をしている。http://lite-ra.com/2017/02/post-2920_5.html
熱心な神道信者がヘイトスピーチをするのはある意味当然である。その根は、国学院大学が神職希望者に熱心に教えている近世以来の神道理論である国学自体にあるからだ。中世の北畠親房の『神皇正統記』は「日本は中国よりも優れた国」としたが、本居宣長はさらに進み、外交史を書いた『馭戒慨言』(ぎょじゅうがいげん)では日本賛美と共に、琉球や朝鮮への蔑視が始まっている。

「アマテラスの出現した日本はすぐれているので、朝鮮や琉球は奴(奴隷、身分の低い者)のように日本に仕えるべきだ」というのだ。
尾藤正英の『尊王思想の原型 本居宣長の場合』によれば、本居宣長の思想は、幕末に広く拡散し、明治の国家主義へのかけ橋となっている。つまりは、日本の国家主義の元祖が本居宣長なのである。その本居宣長は近現代の朝鮮差別思想及び反中国思想の元祖でもあるわけだ。国家主義全盛期に差別主義が横行したのも頷ける。<日本はすばらしい国>と<中韓は劣る国>と<アジアを支配する>は、3点セットなのである。
ゆえに今日において、神道の原理主義的信奉者である右翼(さらには多くが自称「アイコクシャ」の国家主義者であるネトウヨたち)や神社の構成員が、「日本すごい」と日本賛美を行いながら差別主義行動をとるのは、必然的なのだ。
1978年8月21日に、敗戦時に慰安婦を伴って北京を脱出したという記事があるが、これはただの思い出話である。しかしこの後、慰安婦問題が始まる1991年以降になると127もの慰安婦問題否定ないしは否定するための活動記事を掲載している。
97年までの記事についていくつかレポートしておこう
● 1993年 3月9日「村上正邦に聞く」という記事なのだが、この中で服部は「中国や韓国は常に日本を悪者にし、攻撃対象にし、それによって国内の混乱を治めようという政策かも知れません」と述べている。これも後の右派論壇に唱えられている。
●1993年7月19日 「主張 教科書検定の問題」
「教科書会社の商業主義と残留左翼学者の結託によって」教科書に慰安婦が登場したとしており、政府が削除させるべきである、という。「性格的に教科書にふさわしいものか検討すべき」という。
産経は極めて神社に近しい新聞なのである。
●1996年12月23日 「従軍慰安婦」謝罪派を嗤う みことのり普及会 佐藤楠雄」
そこで、何ら検証もしないうちに、感情的反発をしてしまうのである。
「感情の確信」という奴で、今日では神社の敷地に豪邸を構えて住んでいる桜井よしこも、何ら検証する以前に「血の中から」反発があったことを述べている。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63637118.html
また「国粋主義による歴史改竄」と言えば、敗戦によってすでに排除されている皇国史観自体がすでに歴史修正である。本居宣長らが唱え松蔭を通じて明治国家に蔓延した「皇国の優れたる国」という観念はやがてアジア・太平洋戦争期には国中に蔓延し鼻持ちならない傲慢さを発揮していたのである。
そしてその傲慢さを「誇り(アイデンテティ)」としたい人々が「日本を取り戻す」と叫びながら、日本を破壊しているのが今日なのだ。ゆえに彼らは「皇国の優れたる国」を宣伝してやまず、それに反して事実を述べる人々を「自虐史観」という特殊な用語を用いて攻撃するのである。この「自虐史観」という言葉も神社界から拡散したことをこのシリーズで書こうと思っている。
さてこうして反発した神社界では
●1997年4月14日 「神社本庁顧問・長老・参与会 恒例の意見交換を実施」
つまり、神社本庁という組織全体が教科書の慰安婦記述を消すように動いてきたし、今後も働きかけるという事である。これは神社本庁と表裏一体である神道政治連盟や神社界が実質的にその指向性を支配している日本会議を使ってなされて行ったのであろう。