河野談話を守る会のブログ2

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【再掲】「集娼制度の内容は、一種の奴隷制度」とか「忽ち奴隷制度」とか書いておいて、「慰安婦制度は公娼制度だから、性奴隷ではない」とよく言えるものだな、読売は!!



         ●読売新聞の「性奴隷表記」取り消し+おわび


慰安婦報道で「おわび」=英字紙で不適切表現―読売新聞
 読売新聞社は、同社発行の英字紙「デイリー・ヨミウリ」(現ジャパン・ニューズ)が1992~2013年、従軍慰安婦問題を報道する際に「性奴隷」(sex slave)などの不適切な表現をしていたとして、読売新聞の28日付朝刊に謝罪記事を掲載した。(時事通信)

という記事が出たのは2014年11月28日だった。

読売自身によれば
読売:本社英字紙で不適切な表現…慰安婦報道でおわび
2014年11月28日 07時00分



いわゆる従軍慰安婦問題の報道で、読売新聞発行の英字紙「デイリー・ヨミウリ」(以下DY、現ジャパン・ニューズ)が1992年2月から2013年1月にかけて、「性奴隷」(sex slave/servitude)など不適切な表現を計97本の記事で使用していたことが社内調査で明らかになりました。   読売新聞は、誤解を招く表現を使ってきたことをおわびし、記事データベースでも該当の全記事に、表現が不適切だったことを付記する措置をとります。本日付ジャパン・ニューズにもおわびを掲載し、ウェブサイト(the‐japan‐news.com)で対象記事のリストを公表しています。

    ◇

慰安婦問題に関する読売新聞の翻訳やDYの独自記事で、「性奴隷」にあたる単語を不適切に使用していたものは85本あった。「慰安婦」(comfort women)という表現が関連知識のない外国人読者には理解困難だったため、外国通信社の記事を参考に「性奴隷となることを強制された慰安婦」などと、読売本紙にはない説明を、誤った認識に基づき加えていた。

たとえば97年8月30日付の1面コラム「編集手帳」は、「『従軍慰安婦』などの記述について」としているのに、DYの英訳記事では「the issue of ”comfort women,“ who were forced into sexual servitude by the Imperial Japanese Army」(大日本帝国陸軍によって性奴隷となることを強制された慰安婦の問題)と記述した。

「性奴隷」という言葉は用いていないが、慰安婦を「日本軍によって売春を強要された女性たち」などと定義し、政府・軍による強制を客観的事実であるかのように記述した記事も、12本あった。93年に発表された河野談話について、当初は「官憲等が直接これ(慰安婦募集)に加担したこともあった」と正確に訳していたが、その後、「軍当局による強制連行を認めた」と単純化し、誤解を招く表現を用いたこともあった。



と言う事だ。

日本では、「性奴隷」と書かないくせに、海外では「Sex Slave」と97本も書いていたという。日本国内では「性奴隷」と書けばたちまち売れなくなるが、海外では逆にSex Slave」と書かないと売れないのだろう。商魂の産物として宣伝してくれていたのである。

くウヨクサイドから突き上げを食わないな、と思うがそこは100年近くも生きて来た妖怪ナベツネである。安倍政権への協力を欠かさない事がその秘訣だろう。NYTはナベツネと安倍首相の親密な関係も書いている。



読売が「Sex Slave」の表記取り消し、謝罪した件を書いた海外メディアを並べて置こう。



さて、これについては、読売新聞取材班が書いた  慰安婦問題世界の眼日本の声という著作が「性奴隷表記」を取り消した理由を書いている。

慰安婦について)戦前日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけ」(p84)だから、という理由である。

しかしこれはまったくのデタラメな理屈だ。なぜなら、公娼制度自体が性奴隷制度に他ならないからだ。ゆえにもし「慰安婦制度が公娼制度の戦地版」であったとしても、「Sex Slave」表記を取り消し、謝罪するような理由にはならないのである。

    
            ●読売新聞のデタラメ


 読売新聞は今から80年も前だが、
1934年5月18朝刊3面に<社説 公娼制度廃止に就いて>という記事を書いている。

これによれば、「特にわが国の公娼制度は、甚だしく時代錯誤的なものであるばかりか、現に行われている集娼制度の内容は、一種の奴隷制度にも類すると見られているものである。」としている。

再掲載しておこう。


社説 公娼制度廃止に就いて 読売新聞1934年5月18朝刊3面より
 内務当局に於いては、いよいよ公娼制度廃止の方針を取ることになり、すでに大体の腹案も出来上がったということである。明治初年以来、各方面から叫ばれた廃娼運動も伝統(習慣)*1等の障壁に遮られて、解放甚だ困難と見られていたが、当局のこの一大決定によって、近く実現の運びに至るだろうと伝えられることは、まことに結構なことである。特にわが国の公娼制度は、甚だしく時代錯誤的なものであるばかりか、現に行われている集娼制度の内容は、一種の奴隷制度にも類すると見られているものである。社会的道徳的に見て、適当の機会に於いて之が全廃を計るべきはいうまでもないことであって、国家がこれを正業と認めて公許し居ること自体に甚だしき矛盾があるのである。数百年来伝承して今日に至ったこの制度を、急速に改めることの困難はいうまでもない話であるが、近来業者自体に於いて家業継続の非を悟り、自然衰退の傾向を辿りつつある際、この機運を利用してその絶滅に努力することは時期的に見ても当を得たものと思う。

(後略)
※漢字と仮名遣いは現代風に改めた

さて今日はこれにもう一つ資料を追加しておく。
1935年(S10)3月16日の読売新聞朝刊 9面である。

『娼妓解放は明治5年!だが忽ち奴隷制度へ 幻滅の悲哀をなめた「自由の櫂!」』
と書かれている記事である。「忽ち奴隷制度」とか書いておいて、「慰安婦制度は公娼制度だから、性奴隷ではない」とよく言えるものだ。




公娼制度自体奴隷制だったのである。
公娼制度自体が性奴隷制度であれば、その戦地版である慰安婦制度は性奴隷制度であったと言える。
読売は少し、自社の過去記事を調べた方がいい。

*「慰安婦制度は公娼制度の戦地版である」という意見だが、これは正確ではない。慰安婦制度は公娼制度の延長にある」が正しい。イコールの関係ではないのだ。
公娼制度は大日本帝国の国内法によって整備されており、
軍が(未成年を含む)売買された女性を海外に連れて行き慰安婦とする事を許可するいかなる国内法も存在しない。
②性奴隷の観点から言えば、公娼制度は名目上廃業の自由が謳われていたが、慰安婦制度は名目の上でも廃業の自由が存在していない。(慰安婦が廃業する場合、借金を返し、業者と軍の許可を得なければならなかった。)