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歴史修正主義の淵源(4)WGIP妄想の源流=「日本人は洗脳された」という論説



ざっくり言うと

① 「日本人は占領軍(GHQ)によって洗脳された」という主張を、神社界は1958年ころからしていた。

高橋史朗江藤淳はその路線に沿ってWGIP論の著作物を書いている。





        神社本庁の「日本人は占領軍に洗脳された」という主張


神社新報に、「占領軍(GHQ)の洗脳」という主張がなされ始めたのは、1958(昭和33)年からである。

赤線は当会による)


4月19日の記事『神社崇敬者の決議』では「7年間の占領の意義は日本人の心理を”洗脳したばかりでなく、もっともよく洗脳された人間に国家と社会の枢要な地位を占めさせることにあったのである」という妙な論が張られている。

1960(昭和35)年9月3日の国学院大学に対する神社人の大きな期待』という論説では、「占領軍は、日本人の思想界、思想界、業界、教育界に対しても、「洗脳」を要求した。」というこれまたよく分からない意見が表明されている。一体いつ「洗脳を要求した」のかは分からないが以来、神社新報の中では「占領軍の洗脳」既製の事実となったらしく、盛んに吹聴されている。

                  ①            ②












(1946-2008までに「占領 洗脳」で48 記事、いくつかはかぶるが「GHQ 洗脳」で9記事が書かれており、その全ての記事が占領下の洗脳の不当さを攻撃している。)

1966(昭和39)年1月4日、1966(昭和41)年8月13日、1968(昭和43)年4月20日、1968(昭和43)年9月21日・・・・と続いており、1980年までではおよそ17記事が書かれ神道指令」(政教分離の問題)「憲法」「歴史教育」に関して「占領軍が洗脳した」として「占領時代の亡霊」「苛烈な占領政策「不当な歴史」と非難している。

1969年に発足した神道政治連盟の活動内容に常に「憲法改正」「教育正常化、正しい歴史観を後世に伝える、教科書問題」が入っているのは、こうした流れを受けているのである。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66029472.html
そして70年合流してきた日本青年協議会(会長;椛島有一)などの右翼団体と共に、今日では日本会議という大所帯でその目的を果たそうというわけだ。

ウンチク :菅野完は、椛島や安藤を「右傾化の淵源」と述べていたが、証拠を提示していない。そもそも何をもって「右傾化」と呼んでいるのかさえ理解しがたい内容となっている。菅野自身が「国体信奉者」であってそれゆえに国体への批判神社界への批判を避けているのが日本会議の研究』という著作であった。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/folder/1563105.html

神社新報「占領軍(GHQ)の洗脳」という主張がなされはじめたのは、1958年からだが、それは中共の捕虜となった人たちの思想改造を「洗脳」として主に米国タブロイド紙が宣伝し、1953年日本でもE・ハンターによる『洗脳 中共の心理戦争を解剖する』などが出版されてポピュラーになったからである。つまり、GHQの民主主義化を中共思想改造になぞらえたわけだ。

 洗脳に関する信頼すべき研究   
中共による「思想改造プログラム」では、捕虜3000人の内50人足らずしか転向を表明しておらず、25人を注意深く追跡調査したロバート・J・リフトンによれば、わずか2,3人しか思想改造に本当の意味で成功したとは言えないという。そこでリフトンは「共産主義の世界観に彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムは確かに、失敗だと判断されねばならない」という結論を書いている。(
ロバート・J・リフトン思想改造の心理』p253)
収容所内において、暴力・拷問・死の恐怖さえ伴う”洗脳”さえ、大きな効果が無いのに、GHQがやったようなゆるい統制がどのくらい”洗脳”効果があるのかは疑問である。もし効果があったとしたら、押し付けられた戦争や宮城遥拝、天照崇拝などに内心で、辟易としていたからだろう。そして中共思想改造と同様(ある意味、さらに過酷な)拷問や死の恐怖を伴う思想改造をしていたのは、敗戦までの大日本帝国の官憲である。日韓のキリスト教徒、反戦反軍論者、朝鮮独立運動家(不逞鮮人と呼ばれた)、共産主義者(と見なした者)に対する圧力や拷問は苛烈を極めた上に、大日本帝国内地では社会全体が相互監視と密告に彩られ、異質な思想を許さない全体主義国家化していたのである。

こうして「洗脳」という言葉を神社界は覚え、便利に使うようになったわけだ。しかし、それ以前から神社本庁を中心とする神社界には、GHQの政策ーーとくに神社と国家のつながりを断とうとした《神道指令》に対する不満と怨嗟の声が満ちていた。

神道指令は、「政教分離」の原則に従って国家と神社の特殊な結びつきを切り離したが、民間の宗教団体としては存続することを許した。http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317996.htm 要するに神社を他の宗教団体と同じ条件にしたわけだ。(実際には広大な土地持ちなので神社がはるかに有利な出発点なのだが)同じ条件にされただけなのに、不満が続出するというのは、要するに「VIP待遇じゃないと嫌だ」と言っているわけだ。ヤレヤレ。


            占領終了直後から噴出する神社界の不満

占領直後の神社本庁とその機関紙神社新報の歴史を見ると、占領軍に対してひたすら恭順の意を示しており、抵抗はほとんど見当たらない(神道指令と戦後の神社』神社新報社編、p97)。ところが占領が終わると不満が噴出しはじめる。当初その不満は、「神道指令」に対するものが多かったが、それは結局は現在の日本国憲法が規定している体制や歴史教育にまで波及している。歴史教育への不満に最初に言及した記事は、1953(昭和28)年5月18日①面の『占領治下の社会科から独立国の歴史教育へ・・・』であろう。この記事は、国史教育をテーマとしており、『国の歩み』(占領下で編集された小学校教科書)などが占領軍の産物として非難されている他に、すでに日教組が俎上にあがっている。歴史教育を重視する神社本庁の姿勢はこの頃から始まっており、平田神社本庁事務局長は「神道的な歴史教育家を多数輩出することが先決である」とコメントしている。なるほど、こうした呼びかけにより、右翼教師会が生まれたのだろうか?神社新報には、神社界が敵視する日教組に対抗する右翼教師会の話題もしばしば登場している。当サイトで、小林よしのりに影響を与えた慰安婦論を書いた人物として登場している上杉千年も、高校教諭であり、右翼歴史観を生徒に教えるべく精を出している日本教師会>の代表であった。上杉は神社の子息であり、兄は宮司、父親は初代神道政治連盟の会長である上杉一枝であることも再度述べておこう。神道政治連盟の会長の息子が右翼教師団体の牽引役だったのだ。


   高橋史朗『占領下の教育改革と検閲 : まぼろしの歴史教科書』

江藤淳WGIP論は、こうした神社界の「日本人は占領軍に洗脳された」という主張に、資料的根拠を与えながら再構成しようとしたものである。しかし江藤について言及する前に、高橋史朗が書いた占領下の教育改革と検閲 : まぼろしの歴史教科書』に言及しておくべきだろう。

この著作は、これまで見てきた「神社本庁神道指令への不満」路線を継承するものであり、神道指令がいかに不当な行為かを高橋が米国留学の際に得た資料を元に強調したものである。著作自体も突っ込みどころ満載で、第六章『概説・占領下の教育改革』では、●「民主主義は占領前から根ざしていた」●「恐ろしい闇市を産んだ」とか●「軍隊の狭量」●「メディアの検閲」いう理由で占領政策に否定的だったメイヨー女史の考えを無条件に称賛したりしている。
また、「これまでの占領初期の教育改革をめぐる論争は、左右の政治的、イデオロギー的立場が先行し・・・」(p215)と書いて、自分の立場が「左右の政治的、イデオロギー的立場」ではないとしている。こうした事をわざわざ書くのは歴史を改竄したい人々の特徴である。偏っているからこそ、「自分は偏っていない」と強調しなければならないのだろう。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64901048.html
p241でも、同じようなことを書いており、「研究者の特定の価値基準に基づいて、歴史の断定的評価を下し、過去の歴史を冷たく裁断するような事は歴史家としては極力避けるべきであると筆者は考える。」「歴史は決してイデオロギーの産物ではないし、イデオロギーによって裁断されるべきものではない。」などという。それ自体は正しいわけだが、この本を書くにあたって3年間の留学の成果を神社界に報告したり(『神社新報1984-2,13)している”おまえが言うな”というしかない。そもそも、高橋が所属する日本青年協議会日青協は、橿原神宮で結成しhttp://www.seikyou.org/nihonkyogikai.html、その後も神社界と共同行動することが多かった。いわば神道信者の団体である。そしてすでに証明してきたように、神社界は「南京虐殺否定論」「慰安婦問題否定論」などの歴史修正主義の砦であり、高橋自体がその情念と思考法に染まっているではないか。自分が神道イデオロギーずぶずぶなのに、どうして「左でも右でもない」と言えるのだろうか?

高橋史朗は1984年2月13日の『神社新報』に「神道指令の成立を追って」というレポートを書いている。

内容の精査はいずれやっておきたいが、今はこの本のごく表面的情報については書いておこう。




ハリー・レイとの共著なのだが、掲載されている6つの論文の内ハリー・レイが書いたのは一つだけであり、実質的に高橋の著作物である。高橋は3年間米国留学し、ワシントンの国家記録センターなどに眠っていた占領文書を発掘し、CIE(民間情報教育局)文書917箱の中から神道指令関係文書を発掘し、バンス元宗教課長にもインタビューしてこれを書いたという。

目次を示しておこう。















   <掲載元>
●第1章『神道指令の成立過程に関する一考察』 ・・・ (『神道宗教』第115号、神道宗教学会、昭和59年)
●第2章『教育勅語の廃止過程』 ・・・・(『占領教育史研究』創刊号、明星大学占領教育史研究センター、昭和五九年)
●第3章『占領下の教育改革と検閲』 ・・・・(『文化会議』第182号、日本文化会議、昭和二九年)
●第4章 『一九四六年暫定歴史教科書・苦悶の誕生』・・・・(『占領教育史研究』創刊号・第2号、明星大学占領教育史研究センター、昭和五九年)
●第五章 『紀元節及び学校儀式の廃止過程に関する一考察』・・・・(『占領教育史研究』第三号、明星大学占領教育史研究センター、昭和六一年)
●第六章『概説・占領下の教育改革』・・・・・『現代のエスプリ』第二0九号、昭和五九年)

さて次回、このカテゴリの続きを掲載する予定である。WGIP論成立の過程をさらに追ってみて、できれば江藤が使った資料と高橋が使った資料を照合して、読者は退屈かもしれないが、可能なら<まとめ>まで行きたい。それからいよいよWGIP論のどこが問題なのか、集中的にやってみよう。乞うご期待。