神社本庁と「新しい歴史教科書をつくる会」の同志的関係
まっとうな歴史研究を「自虐史観」として攻撃してきたのは誰か?
の続き
神社本庁と「新しい歴史教科書をつくる会」の同志的関係
そこで、どんな運動を展開したのかを、長曽我部延昭総務が本部で開かれた神道政治連盟の役員会で語ったという記事である。

当時の状況については読売新聞(2002年8月16日)はこう伝えている。

この時期の愛媛県知事は、最近話題になったあの加戸守行であったこともついでに書いておこう。
〇加計学園問題と加戸守行
最近、2017年7月10日の閉会中審査で加戸は「愛媛県にとっては、12年間加計ありきだった。今さら1、2年の間で加計ありきじゃない」「安倍首相にかけられた、あらぬ濡れ衣を晴らす役に立ちたい」と発言し、「加計学園ありきでない」とする内閣府の根拠を崩してしまい、なおかつ安倍との臣下のようなつながりを匂わすという離れ業をやりながら、前川喜平・前文科次官に反論して、笑わせてくれた人物である。日本会議の有力者たちの間では、安倍を支えようとする姿勢が広く共有されているようだ。
この姿勢は『読売新聞』にも見られ、『産経新聞』ではさらに露骨である。
〇愛媛県 中村時広知事 愛媛維新の会
加戸が辞めた後、知事になった中村時広も加計学園の答弁で「私たちはオープン」と弁明した(『朝日新聞デジタル2017年5月24日 https://www.asahi.com/articles/ASK5S5JQZK5SPTIL01N.html)。彼は「愛媛維新の会」を造った人物であり、橋下元市長の「盟友」だという。
「愛媛維新の会」は、三島由紀夫らを賛美し、愛媛縣護國神社社務所で開催された建国記念の「日奉祝愛媛県中央大会」の実行委員会に参加した松山市議員若江進(ホームページ http://wakae.net/katudo/h23.htm)なども参加している極右グループである。
若江は市教育委員会に育鵬社の侵略美化教科書採択を迫っている(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-09/2012100904_03_1.html)。
さて話を戻すが、加戸守行は「つくる会」教科書採択について、「教育委員会の見識だ」と言いながら(『読売新聞』2001-8.9)、裏では「扶桑社版がベスト」と発言し、これが県教育委員会に影響を与えたとして訴訟が起こっている(『朝日新聞』2002年7月11日付)。
政治の教育への介入事件である。
これより早く、「つくる会」の各県支部は、市町村の教育委員会で決定するように求める請願を各地自治体に提出しており、2000年11月26日の記事で『朝日新聞』は、15の県議会で請願書が採択されたと述べている。これまで現場の教師の意見が教科書採択につよく影響していたが、教育委員会の選択させるなら、後の横浜市と大阪市がそうであったように、意見を共にする教育委員を選んだり、圧力をかければよいだけになる。
しかし当時の全国紙は、それ以上、「つくる会」教科書の採択運動を追及していない。
神道政治連盟が2000年頃の愛媛県の教科書採択にどような運動をしたのか?・・・どころか関わっていたことを伝える記事さえ一つもない。『赤旗』や「子どもと教科書全国ネット21」さえ、神政連の動きはまったく伝えていないのである。
ゆえに、このブログ記事が私の知る限り、唯一の追及記事なのだ。

この記事では、『新しい歴史教科書』について、「教科書として採択を求めるだけでなく、副読本として学校に寄贈する方法もある」と塙神社庁長が述べている。「採択を求める」のはすでに当然の事だったのだろう。県神社庁研修所の講演に「つくる会」の宮崎正治事務局長が呼ばれていることも見逃せない。
宮崎は後の2006年の内紛、八木秀次が会長を辞めさせられた時に「経済的損失を与えた」という理由によって事務局長を辞任させられている。
次のこのカテゴリの記事は、「「自虐史観」という言葉のその後の歴史と藤岡の右翼化の軌跡について」書く予定である。
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