河野談話を守る会のブログ2

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「よい関与論」、ヘイトと慰安婦問題否定の歴史修正主義の原型



                1、初期の慰安婦問題否定論

1991年、金学順さんがカミングアウトされてから、国粋主義者(右翼)にはしばらく何の動きもなかった。当時の産経新聞も現在のように「歴史戦」と称して、取材もせずデマばかり流したりもしていない。
読売も同様である。
しかし水面下では徐々に空気が張りつつあったのだ。

西岡力が編集長をつとめていた『月刊コリア』では、1992年1月号で新井佐和子の『従軍慰安婦に思う』が掲載されている。
論文というよりエッセイみたいな軽い文章だが、
「民間業者に任せておくと暴利を貪るので軍が管理するようになったというのが、真相だと思います」「軍が管理することによって料金は直接彼女らの手に入り」と後の「よい関与論」につながる理屈を述べている。
従軍看護婦の月給が7円程度だった」とハテナマークが3つぐらい並ぶことも述べていて歴史知識がまるで無いことを露呈させている。


看護婦雇入ニ関スル件(昭2・6・9)

今般海軍病院に於て赤十字社看護婦傭入致度に付左記各項御承知の上何分の御配慮相煩度右照会す
ニ、傭入期間 本年六月下旬より向ふ約二箇月とす…
三、手当 看護婦長 月額七三円 看護婦 月額五八円…
標題:看護婦傭入に関する件【 レファレンスコード 】C04015847500
http://www.jacar.go.jp



この新井佐和子は後になって『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか : 帰還運動にかけたある夫婦の四十年』を書いて、日本政府の正当化を謀っている。


          2、「よい関与」論

よい関与論をはじめて明確に書いたのは、中村であろう。掲載しているのは、神社本庁の機関誌『神社新報』1992-2-24日号である。
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「善意もあった軍の関与」と明記している。まるで輸送だけが軍の果たした役割であるかのように書いており、さらに「一を譲ればニを欲し、四を求めるのが韓国人の通性なのであるから」とヘイトスピーチを混じえながら、慰安婦問題否定を行っている。

後に、小林よしのり在特会などが行ったヘイト混じりの慰安婦問題否定の原型がここにあるのだ。