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『鴨緑江に題す』(中原 雄一)の簡単解題




慰安婦資料としてあまり引用されたのを見たことがないが鴨緑江に題す』(中原 雄一)という本がある。(たぶん引用したのは高崎宗司の『植民地朝鮮の日本人』(p182)ぐらいだろう)
熊本県退職警察官の機関誌『あけぼの』に昭和38年から長期連載したものをまとめたものだ。
著者は、国境警察官として鴨緑江北朝鮮側に配属される。
元警察官の機関誌に掲載されていただけあって、かなりキレイ事で書いている感があるのだが、その中に「慰安婦募集に微力を致す」という小見出しがある。
「北支方面に江界美人を、皇軍慰安婦として引率活躍、要員を募集するため隅々厚昌邑内に帰省した「軍属」金原始彦と面接の機会を得たが、兵隊のおかげで活躍できる事思いを致すとき、一人でも多くの娘子軍を集め、戦力増強に寄与しなければと覇気満々たるものがあり、彼の壮行を祝福した。変な処でも聖戦完遂に添える道がある事を認識、改めて半島人女性の挺身をより多くと、陰ながら応援した鴨緑江解氷前後の日々が偲ばれる。」と書かれている。
さて情報を整理すると

①北支方面に皇軍慰安婦を連れていく業者がいたということ。故郷周辺から女性を連れては慰安所に送りこんでいたのであろう。

②「帰省」と書いているので、金原始彦はおそらく朝鮮半島出身者だが、「軍属」であったということ
「軍属」が軍の意思に従って女性を集めたのである。
(▼業者は「軍属」または「軍従属者」であった https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65462350.html

③対して警察官の筆者は彼を応援し、「より多く」集めることを願った、ということ。
「聖戦完遂」が絶対の価値観のように叫ばれていた時代なので、全てはそのために正統化されており、文章からもそれが読み取れる。

④女性を慰安婦にすることを「半島人女性の挺身を」と表現している事。これは当時の人々が「挺身」という言葉と「慰安婦」を結びつけていた事を示している。
(▼これについてはすでにここでhttps://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65237164.html


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