河野談話を守る会のブログ2

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「れ」の字を知らないウヨの亡国論

 
慰安婦の人達の証言が、時に揺れ動き、しばしば変わるところもあるからという理由で、「ウソつきババア」と毒づく[ウヨのブログ]が存在している。
歴史学」の「れ」の字も知らないと言う以前に「礼儀」の「れ」の字も知らない連中である。
 
悪態と暴言を吐くだけの彼らは、悔い改めて癒されることがない。
 
真実は
「日本国家の責任を否定する元軍人や元総督府職員の証言だけを事実として取り上げる彼らのやり方」で探求されるものではあり得ないだろう。
 
以下は吉見義明中大教授による名言集である。当たり前の事を言われているのだが・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吉見語録
 
証言を信用できないという主張の特徴は
「何箇所か怪しい証言があれば、全体として信用できない」とするところにある。
 
確かに被害者の証言は、時に揺れ動き、しばしば変わるところもあるが、それは意図的にウソをついている場合をのぞけば、何十年も前の証言を聞くときにはしばしば起こることです。
 
しかし、何箇所か、おかしいところがあれば、その証言は一切採用できないというのでは、文字記録を残していない人々の歴史を伝えるオーラル・ヒストリーは成り立たない。
 
自伝なども一切使えない。
自己のライフヒストリーを語る場合、思い違いや自己弁護はだれにでも少なからずあるからです。
 
 
重要なのは、証言の信用できる部分とできない部分を区別する史料批判を徹底して行うことです。そして間違ったり、誇張されたりした部分があるとすれば、なっぜそのような証言となるのかを検討することでしょう。
 
このような点からみると韓国挺身隊問題対策協議会がまとめた『証言ー強制連行された朝鮮人慰安婦達』は一部に疑問に思われるところがあるとは言え、相当信頼性の高い記録です。
 
信頼できる証言記録は、証言を基礎にして、それに対する資料批判を行いながら、他の文書資料などと照らしあわせて事実に迫っていくという方法がとられています。このような成果を無視した議論は暴論といわねばなりません。
 
もちろん、完全無欠の記録というものはありえません。現存するあらゆる記録の史料批評を行いながら、信頼性の高い部分を選び出し、再構成して実像に迫ることが必要です。被害者の証言に不正確な部分があるからと言ってそのすべてを否定し、逆に日本国家の責任を否定する元軍人や元総督府職員の証言だけを事実として取り上げるやり方は、非科学的ではないでしょうか。
 
P92,93
『「日本軍慰安婦」をどう教えるか』 梨の木舎1997/.8  石出法太、金富子、林博史