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『反日種族主義』批判 ファクトチェック 「女子挺身勤労令」は朝鮮では施行されていない?

 

 

 
 
反日種族主義』批判 ファクトチェック 「女子挺身勤労令」は朝鮮では施行されていない?
 
 
 

「1944年8月、日本は「女子挺身勤労令」を発布し、12歳から40歳の未婚女

性を軍需工場に動員しました。ただし、この法律は朝鮮では施行されませ

んでした」(p266)

とイ・ヨンフンは書いている。

 

 

   (『反日種族主義』p265,266)

 

 

 

 

2008年の論文でイ・ヨンフンは「・・・日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、12歳から40歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象としており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」と書いていたが、少し表現を変えたようだ。

(「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話」小森陽一編『東アジア歴史認識のメタヒストリー「韓日、連帯21」の試み』p97)

 

この『反日種族主義』では「施行されませんでした」にしている。

 

しかし、金富子(東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授)は、「女子挺身勤労令は1944年、8月22日に、勅令519号として日本と朝鮮で同時に公布、施行されました」と書いている。

(『朝鮮人慰安婦」と植民地支配責任』P19)

 

さて、どちらが正しいのか?

 

そこで勅令519号を確認したところ、どこにも内地限定にする文言がないばかりでなく、<第二十一條>でこう書かれている。

 

第二十一條 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮總督、臺灣ニ在リテハ臺灣總督トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、臺灣ニ在リテハ州知事又ハ廳長トシ市町村長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹(京城府ニ在リテハ區長)又ハ邑面長、臺灣ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖廳ニ在リテハ廳長)トシ國民勤勞動員署長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹、郡守又ハ島司、臺灣ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖廳ニ在リテハ廳長)トシ都道府縣トアルハ朝鮮ニ在リテハ道、臺灣ニ在リテハ州又ハ廳トス

 

(第21条 本令中厚生大臣とあるは、朝鮮に在りては朝鮮総督、台湾に在りては台湾総督とし、地方長官とあるは、朝鮮に在りては道知事、台湾に在りては州知事又は庁長とし、市町村長とあるは、朝鮮に在りては府尹(京城府に在りては区長)又は邑面長、台湾に在りては市長又は郡守(澎湖庁に在りては庁長)とし、国民勤労動員署長とあるは、朝鮮に在りては府尹、郡守又は島司、台湾に在りては市長又は郡守(澎湖庁に在りては庁長)とし、都道府県とあるは、朝鮮に在りては道、台湾に在りては州又は庁とす。)

 

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

 

 

 

 

 

なるほど、これは朝鮮半島や台湾にも公布・施行している。 「本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮總督・・・」と書いてあるのは、この勅令を朝鮮でも公布することが前提だからである。

 

結局、イ・ヨンフンは自分で資料を読んでおらず秦郁彦の書いたものを鵜呑みにしているのであろう。

 

こうした鵜呑みはイ・ヨンフンだけではなく、イ・ウヨンやチュ・イクジョンの論じる内容にも見られる。ほとんどが日本の右派・・・要するに産経新聞や「正論」誌、WILLなどに書かれている論文、特に西岡力秦郁彦の受け売り・鵜呑みか、多少変形しただけの内容が多い。

 

「私の立場は、これまでの歴史研究における方法論を批判、反省するという意味合いを強く持っている。」とイ・ヨンフンは述べているが

https://www.j-cast.com/2019/11/21373279.html

元史料を確認せず、ファクトを日本の右派に追従するという方法論が「批判、反省するという意味合い」らしい。

 

    (当会、堀家のブログから転載)