「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」すること」の意味
大暴れ教授だ「なぜ彼ら〔ホロコースト否定論者〕が歴史の歪曲に心血を注ぐのかその動機の深層を知ることはできない。動機を求めること自体意味がない。彼らの主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することにも意味がない。彼らは合理性のルールの枠外にあるため、真の意味では論破できないからである」 https://t.co/xtOaY7g6Gp
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2021年10月23日
(このツイートは考える材料になりました。)
「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することに意味がない」という意見について
歴史修正主義に対して、「彼らの主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することに意味がない」という意見がある。
理由は「彼らは合理性のルールの枠外にあるため、真の意味では論破できないから」だという。
なるほど、「論破できない」というよりも、たとえ論理の上では打ち破っていても、彼らにそれを認めさせる事は難しいだろう。歴史修正主義は心の迷路ようなものだからだ。信念の病と言うべきだろうか。ただし彼ら自身に認めさせる事は必要でさえない。必要なのは、まだ入り込んでいない人や浅い人に、これ以上広まらないようにする事だからだ。
「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することには意味がない」という意見は欧米では多分その通りだろう。だが我が国ではそうではない。それは日本では歴史修正主義言説の方が、政府の主張や行動になっているからである。我々の知らない内に我が国政府は「歴史戦」とやらにうつつを抜かしているのだ。ゆえに我々の方が政治権力への抵抗者なのである。
そのために「論破」はしておく必要がある。「合理性のルールの枠外」にいる彼らには通じなくても、まだ今のところは「合理性のルールの枠内」にいる人にメッセージになるからである。
日本の歴史修正主義は、約40年前は右翼団体や神社本庁の機関紙の中だけで叫ばれていた小勢力だった。それは彼らの信奉する世界観の産物だからだ。
1997年、〈新しい歴史教科書をつくる会〉、〈教科書議連〉、〈日本会議〉などの団体が誕生し、羽佐間社長の売り上げ戦略の下〈産経新聞〉が完全にそっち側に行ってしまった時点でも、まだ日本の言論空間を大勢に占めるには至らなかった。彼らの歴史論説は幼稚ではあったが、執拗であり、「反日」「自虐史観」罵倒を駆使しながら政治活動を繰り広げていた。教科書問題では右翼団体による暴力的な脅迫さえなされている。そしてやがてインターネットを媒介に広まり、教科書から「慰安婦」記述が消え、そして歴史改竄のために暗躍していた安倍晋三が総理大臣の地位につき、政府自体が歴史修正主義化していくという事態に陥るのである。要するに公的な言論空間を占めているのだ。
彼らは今日どんな活動をしているだろうか?
「政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになった」
安倍晋三などに親しい西岡力麗澤大学(麗澤大学客員教授 公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長)はこう自慢げに述べている。
西岡力 私はかねてから、歴史問題は 外務省に任せるのではなく、政府に 担当部署をつくるべきだと提言していました 。すると二〇一二年 、 第二 次安倍政権が発足し 、官邸で政治家 として首相補佐官(衛藤晟一、木原稔) が歴史問題を見ることとなり、内閣官房の副長官補室(二〇〇一年 、中央官庁再編以前は外政審議室)が実務を担当することになった 。外務省 出身の兼原信克副長官補が長らく担当していました 。ユネスコの「世界の記憶遺産」に南京事件の資料が登録されたという”失策”はあったのですが 、安倍前総理 が激怒してすぐに外務省の担当者を 更迭し、それにより一層 、歴史問題 での副長官補室のリーダーシップが 強まった 。「世界中に慰安婦像が建ったらどう するんだ」と政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになったんです 。こうし て記憶遺産に慰安婦の資料が登録さ れようとしたとき 、徹底抗戦して防ぐことができました 。 もちろん官房長官として内閣官房のトップは菅総理が務めていました。今回の毅然とした対応は 、 まさしく”安倍路線の継承″といえます。
(『WILL』2021年7月号 「従軍慰安婦はこうして抹消された」西岡力 馬場伸幸 対談)
今年4月に「従軍慰安婦」という言葉を否定する閣議決定がなされ、歴史教科書に「従軍慰安婦」という言葉が消えることになった。キッカケをつくった質疑をした馬場伸幸議員とともに凱歌をあげているのがこの対談である。
西岡力について知らない人もいるかも知れないので、説明しておくと第一次安倍政権の際に安倍ブレーン5人組の一人だと報道されていたが、その後つながりは強化されたらしく2018年安倍晋三首相(当時)が強制徴用判決(徴用工)に関して「(徴用されておらず)労働者だ」と妄言したのは、西岡がしむけた事だ。西岡は慰安婦問題や労務動員(徴用工を含む)に対して、まさに「合理性のルールの枠外」にあるような著作を大量に書いている。これが拉致問題とともに安倍晋三との繋がりを濃くしたのだろう。安倍晋三をはじめ自民党議員や維新の議員たちの助言者のようにになっている。また櫻井よしこの「慰安婦」「労務動員」の歴史に関する意見の多くは西岡の主張を模倣している。
インターネットの中では、2002年のW杯のころから、2チャンネルを中心に嫌韓・憎韓と共に小林よしのりやつくる会等の主張に影響を受けた歴史に関する主張が多くみられるようになった。2005年に『マンガ嫌韓流』が流行するとネトウヨblogが乱立するようになり、同時に「慰安婦」「南京大虐殺」などのウィキペディアの項目に彼らサイドの記述が目立つようになった。一方で、田母神論文に賞を与えた事で有名なように元谷外志雄のアパグループ、DHC、フジ住建などの企業が歴史修正主義者に資金を提供する人々も多く存在している。田母神俊雄は、自衛隊をクビになった代わりに全国で連日のように「あの戦争は聖戦だ」という講演の日々を送っていた。
やがて第二次安倍政権が2012年の終わりころに生まれると、安倍に支配された政府自体が「慰安婦」問題否定や南京大虐殺否定宣伝に前のめりになっていく。2015年には「歴史問題」を含む日本の宣伝のための予算は500億円が計上され、翌2016年には700億円になっている。こうした政府の動きにごく近い位置にいるのが西岡力であり、「首相補佐官(衛藤晟一、木原稔) が歴史問題を見ることとなり、内閣官房の副長官補室が実務を担当した」という。そして慰安婦像阻止活動などで「政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになった」というのだ。こうした事は、彼のフェイクな慰安婦論・徴用工論と異なり、事実なのだろう。内閣官房がどのくらいの予算を使って、”歴史戦”をしているかは分からない。イヨンフンやラムザイヤーに産経新聞と自民党や政権の影を感じるのは私だけではないだろう。
公的な歴史見解に影響を与える日本の歴史修正主義
以上、ざっと見てきたように今日では政府が歴史修正主義宣伝に前のめりになっているのだ。
その意味では、欧米の歴史修正主義と日本の歴史修正主義は異なる位置づけと対処が必要である。
なぜなら、欧米の歴史修正主義は何と言っても、マイナーなグループであり、政権をとるにはいたっていないからである。しかし日本の歴史修正主義はついに政権にまで到達しており、政府としての行動にその影響が濃いからだ。対してテレビや新聞はその歴史修正主義を批判するようなものはほとんど存在しない。
こうした状況は極めて危険である。日本国民はかつて、右翼勢力の主張に屈服し戦争になだれ込んで行った経由があるからだ。
言い方を変えれば、日本では、歴史修正主義が既存の主流歴史観、歴史認識のようなものになっており、対して歴史学会などが危機感をもって叫んでいる歴史観、歴史認識は、正しくてもマイナーなのである。それは歴史学会の主流な主張がテレビや全国紙にまったく取り上げられなかった事からも明らかだろう。
2015年5月25日には、日本の16の歴史団体が声明を出し(その後賛同は20団体に増えている)、「日本軍『慰安婦』強制連行の事実が揺るがない」「性奴隷状態だった」と指摘しているが、現状ほとんど知られていない状態である。https://www.restoringhonor1000.info/p/blog-page_1.html
最近、裁判が終わって刑が確定した自民党の参院選広島選挙区の大規模買収事件では、インターネットやSNS対策の業者が「克行先生にネガティブな書き込みがあれば、検索に表示しにくくする、逆にポジティブなことを表示しやすくして、イメージを良くする、そのような業務をしていました」と証言している。https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=691363&comment_sub_id=0&category_id=1167
政府なら、さらにたやすく、そうした操作ができるだろう。あるいは歴史学者たちが造ったサイト<fight for justice>が検索に引っかかりにくいのは、そういう事かも知れないのだ。
ようするに日本では我々の側が権力を持たない挑戦者なのである。
すると論破もしていかなければならないし宣伝しなければならないだろう。すでに述べたように、論破されていても彼らは認めないし「合理性のルールの枠外」にいる彼らには通じない。しかしまだ今のところは「合理性のルールの枠内」にいる人たちが歴史修正主義に感染するのを防ぐ必要があるからだ。
さて、こうして「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」すること」の意味もある事を力説したのにもわけがある。つまりは次回から連続で、有馬哲夫の「慰安婦」論の矛盾や欠陥を列挙してみようと思っているからだ。
米国でラムザイヤー論文の問題点を指摘している歴史学者グループの一人SayakaChatani氏による連ツイ
「映画とネット情報を融合させてみました」主戦場 Einsteinさんの映画レビュー(感想・評価) - 映画.com
慰安婦陰謀論の世界 - 河野談話を守る会のブログ2 似たような構造が考えられる。そのマイケルヨンも「無名ブログ」は掲載している。
『反日種族主義』批判 ファクトチェック 「女子挺身勤労令」は朝鮮では施行されていない?
「1944年8月、日本は「女子挺身勤労令」を発布し、12歳から40歳の未婚女
性を軍需工場に動員しました。ただし、この法律は朝鮮では施行されませ
んでした」(p266)
とイ・ヨンフンは書いている。
(『反日種族主義』p265,266)
2008年の論文でイ・ヨンフンは「・・・日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、12歳から40歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象としており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」と書いていたが、少し表現を変えたようだ。
(「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話」小森陽一編『東アジア歴史認識のメタヒストリー「韓日、連帯21」の試み』p97)
この『反日種族主義』では「施行されませんでした」にしている。
しかし、金富子(東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授)は、「女子挺身勤労令は1944年、8月22日に、勅令519号として日本と朝鮮で同時に公布、施行されました」と書いている。
さて、どちらが正しいのか?
そこで勅令519号を確認したところ、どこにも内地限定にする文言がないばかりでなく、<第二十一條>でこう書かれている。
第二十一條 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮總督、臺灣ニ在リテハ臺灣總督トシ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、臺灣ニ在リテハ州知事又ハ廳長トシ市町村長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹(京城府ニ在リテハ區長)又ハ邑面長、臺灣ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖廳ニ在リテハ廳長)トシ國民勤勞動員署長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹、郡守又ハ島司、臺灣ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖廳ニ在リテハ廳長)トシ都道府縣トアルハ朝鮮ニ在リテハ道、臺灣ニ在リテハ州又ハ廳トス
(第21条 本令中厚生大臣とあるは、朝鮮に在りては朝鮮総督、台湾に在りては台湾総督とし、地方長官とあるは、朝鮮に在りては道知事、台湾に在りては州知事又は庁長とし、市町村長とあるは、朝鮮に在りては府尹(京城府に在りては区長)又は邑面長、台湾に在りては市長又は郡守(澎湖庁に在りては庁長)とし、国民勤労動員署長とあるは、朝鮮に在りては府尹、郡守又は島司、台湾に在りては市長又は郡守(澎湖庁に在りては庁長)とし、都道府県とあるは、朝鮮に在りては道、台湾に在りては州又は庁とす。)
附則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
なるほど、これは朝鮮半島や台湾にも公布・施行している。 「本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮總督・・・」と書いてあるのは、この勅令を朝鮮でも公布することが前提だからである。
結局、イ・ヨンフンは自分で資料を読んでおらず秦郁彦の書いたものを鵜呑みにしているのであろう。
こうした鵜呑みはイ・ヨンフンだけではなく、イ・ウヨンやチュ・イクジョンの論じる内容にも見られる。ほとんどが日本の右派・・・要するに産経新聞や「正論」誌、WILLなどに書かれている論文、特に西岡力や秦郁彦の受け売り・鵜呑みか、多少変形しただけの内容が多い。
「私の立場は、これまでの歴史研究における方法論を批判、反省するという意味合いを強く持っている。」とイ・ヨンフンは述べているが
https://www.j-cast.com/2019/11/21373279.html、
元史料を確認せず、ファクトを日本の右派に追従するという方法論が「批判、反省するという意味合い」らしい。
(当会、堀家のブログから転載)
西岡力の「韓国・北朝鮮」「労務動員」に関する論説を概観する
慰安婦陰謀論の世界
ここでいう陰謀論とは、「根拠が乏しいにも関わらず誰か、あるいは何らかの組織が謀略を企て、その結果こうなった」という、妄想的世界観をいう。その組織などへの反感や憎悪が伴いやすい。
「長州藩士らは倒幕の謀略をした」と誰かが書いてもそれはただの歴史的事実であって陰謀論ではない。世界には様様な陰謀も有りうるだろう。しかし、様様な陰謀妄想も有りうる。
誰かが何かの陰謀を企てる場合、陰謀を企てた会議などがなされ、発言がなされ、誰かによる実際の行動がなされ、あるいは報告書が作成されるなどするだろうが、陰謀論にはこうした資料はまったくと言っていいほど存在しない。こじつけた解釈があるだけである。(*注)時折「シオン議定書」のような捏造された根拠が出てくる事がある)
「慰安婦陰謀論」と当会で名づけたものは、1992年に『憲友』に掲載されたものに始まり、ほとんどまったく根拠を提示しないまま、北朝鮮(朝鮮人)、韓国、中国・・などが「日本を貶めるための謀略を企てた」というような主張になっている。
①慰安婦問題は北の思想に共鳴するか組織的つながりをもっている人々がやっている(藤岡信勝)
②中国共産党の国際的反日謀略 北朝鮮も加担(西岡力)
▽▽▽ 責任転嫁するために生じる世界観
右派は陰謀論が好きである。
古谷経衡は菅野完との対談で、
「これが自称保守かよ……」という幻滅の連続でした。単に差別主義者、トンデモ陰謀論好きのオッサンたちが愚痴をこぼしているだけ。最近ではユダヤ陰謀論、国際金融資本陰謀論なんてのも、もう何度目かわからないですけど、流行っているようです。到底、表現や言論の場ではありませんでしたね。
とその差別者ぶりと陰謀論好きを語っている。https://blog.goo.ne.jp/root41_1942/e/469334e8c2ab3a9b30c1e05f63a2d1d4
国粋主義者のネット放送・チャンネル桜に長年参加し、『正論』や『WILL』に寄稿してきた古谷経衡は、若いころ小林よしのりの「ゴー宣」に洗礼を受け、彼自身が慰安婦問題否定論を述べていたこともある。しかしやがて渡辺昇一の著作を批判するなどして右派離れするようになった。
では彼らはなぜ、陰謀論的な発想をするのだろうか?
2018年の9月頃、『慰安婦の真実国民運動』の藤井実彦が台湾の慰安婦の碑に対して、足でそれを蹴るパフォーマンスを行った。ところがその様子が防犯カメラに捉えられており、台湾の全国放送ニュースで流れたから大変である。
9月11日、『慰安婦の真実国民運動』はFBで、現在調査中とする文章を載せたがこれについたコメントがコレだ。
同様な意味で、「日本は中国に戦争に引きづりこまれ、米国に太平洋戦争に引きづりこまれた」という陰謀論は、戦争を引き起こした大日本帝国の責任を転嫁し緩和するものであり、「中国や北朝鮮が日本を貶める謀略を企て」という考え方は慰安婦問題への日本の責任を転嫁し緩和しようとする試みと言えるだろう。
③慰安婦問題は日本赤化革命を狙う左翼の思想謀略だ。半島民族が将来日本侵略を企てている (元憲兵)
⑤「中国は膨大な資源と時間を性奴隷のペテンにつぎ込んできた」「中国は日本に情報戦をしかけて日本を弱体化させる情報戦争をしかけ」「性奴隷はデッチアゲ 中国の毒エサ 膨大な資金をバックに中国が・・」マイケル・ヨン
2014年11月1日の産経新聞は「著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた」として、マイケル・ヨンを紹介した。しかし映画『主戦場』の中で、インタビューされたケネディ日砂恵は「日本に有利な記事を書いてもらうために6万ドルを渡した」と苦し気に告白している。
日本人にとっての「愛国」とは何か?=日本人は「お国自慢」が大好き
明治時代中期に日本にやってきて、普通の外国人が行かないような奥地まで旅をしたイザベラ・バードは、案内役兼通訳の日本人男性・伊藤についてこう書いている。
愛国心が彼のもっとも強い感情であろうとであると思われる。スコットランド人やアメリカ人を別にして、こんなに自分の国を自慢する人間に会ったことがない
世界中を旅したイザベラが「こんなに自分の国を自慢する人間に会ったことがない」というほどのお国自慢とは、どんなのだろうか?
それから約50年後、永井荷風も日記にこう書いている。
(p126~127)
日本人の愛国は田舎者のお国自慢に異ならず。その短所欠点はゆめ〰口外すまじきことなり。歯の浮くような世辞を言うべし。腹にもない世辞を言へば見す〰嘘八百と知れても謗るものなし。此国に生まれしからは、嘘で固めて決して真情を吐露すべからず。
嘘で固めてお世辞をいうのが、日本人にとって「愛国」だというのだ。
なるほど、人間の性向というものは変わらないものだ。
多少、デマが入っていても関係ない。国を褒めておけば、嘘でもOKなのだ。
そういうわけで愛国者さんたちは、朝日新聞のデマは許せないが、産経新聞の(愛国)デマは問わないのである。
21世紀の前半、我々はテレビや雑誌で外国人が日本を褒めまくったり、インターネットの中のネトウヨたちが日本を賛美し、他国を貶め続けるのを見ている。
毎日のように、自尊心をくすぐる日本スゴイ情報が流れては消えていく。
彼らによれば、日本は経済もうまく行ってるし、外交もうまく行っている、戦前も悪いことは何もしなかったという事になるのだが、それは荷風のいう「田舎者のお国自慢」であろう。
だから「美しい国(柄)」という言葉が、流行病のように増えるのは日本的なお国自慢では当たり前なのだ。
戦前の 自国を「美 しい国」と称える本
大日本帝国には「日本ヨイ国」とか「天下無敵の関東軍」などと自慢げな言葉も蔓延していたのである。
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戦前の「日本ヨイ國」
戦時下の天皇ネタは事欠きませんが、やはりこの「日本ヨイ國」はスゴい。昭和16(1941)年12月20日発行。とにかく、これを疑っちゃいけなかったというのが敗戦までの日本。庶民は、この考えに従える人だけが社会の下支えとして生きることを許された国。もちろん、支配者、財界人は除くでした。 pic.twitter.com/pwRLihbK9a
— 信州戦争資料センター (@himakane1) November 9, 2019
↓
現代の日本スゴイ本たち(一部)
ところで上記のイザベラの文章で、伊藤は「女性の知能を軽蔑する」と書いているのが興味深い。現在の国粋主義者の中にも極端なセクシストが存在するからである。
ハテナに移動されていなかった昔の記事を転載)蘇りつつある言葉・イデオロギー・・・・が戦前回帰・右傾化を証明する
蘇りつつある言葉・イデオロギー・・・・が戦前回帰・右傾化を証明する
2016/7/11(月) 午前 8:47
東京新聞【特報】 2014年10月3日
朝日バッシング 飛び交う「売国」「反日」
朝日新聞バッシングに血道を上げる雑誌には「売国」「国賊」「反日」の大見出しが躍る。敵を排撃するためには、あらん限りの罵詈(ばり)雑言を浴びせる。まるで戦前・戦中の言論統制だ。ネットではおなじみの風景だが、活字メディアでも「市民権」を得つつある。「嫌韓本」で一線を越えた出版界には、もはや矜恃(きょうじ)もタブーもないのかもしれない。安倍政権が「戦争できる国」へ突き進む中、「売国奴」呼ばわりの横行は、あらたな「戦前」の序章ではないのか。 (林啓太、沢田千秋)
◇田原総一朗さん「メディアが使うのまずい」 渡辺治さん「右翼が攻撃に使った用語」
売国、国賊、国辱……。21世紀、平成ニッポンとは思えない言葉が飛び交っている。従軍慰安婦問題などを巡り、誤報記事を取り消した朝日新聞に浴びせられるこのフレーズ、インターネットの匿名掲示板などではなく今やメディアが乱発している。さすがにおかしくないか?
外国人観光客も多い築地市場を望む朝日新聞東京本社(東京・築地)。ここで週2回、保守系団体による抗議集会が続いている。
10日昼の集会に参加したのは十数人。植え込みに日の丸やプラカードを林立させ、朝日新聞不買を訴えるTシャツを着たメンバーが「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」と記されたビラを配っていた。「こんなことは言いたくないが、朝日新聞は地獄に落ちろと言いたい!」。スピーカーを使った演説に、メンバーから「そうだっ」と合いの手が入る。
向かいのブロックには国立がん研究センター中央病院がある。病院前でのスピーカーの音量は気になるが、その言葉遣いについて、もはや驚かない自分がいる。
何せ、朝日新聞が記事を取り消した8月上旬から「朝日新聞 『売国のDNA』」(週刊文春9月4日号)、「中国共産党に国を売った」(同9月18日号)、「1億国民が報道被害者」(週刊新潮9月4日号)、「売国虚報32年」(同9月25日号)、「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(月刊誌「正論」10月号)、「言い逃れできぬ『慰安婦』国辱責任」(同11月号)……といった文字・記事が書店やら電車の中づり広告やらにあふれているのだ。
例に挙げたのは、いずれも大手出版社や新聞社が発行する媒体だ。誤報は批判されて当然だが、このおどろおどろしい言葉遣いは何なのか。
時に朝日新聞以上のバッシングを浴びてきたかもしれないジャーナリストに聞いてみた。討論番組の司会でおなじみ、田原総一朗さん(80)だ。
「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」とストレートに切り出した。
「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」
自身も左派からは「体制の犬」、右派からは「売国奴」などと言われ続けてきたという。「一番すごかったのは靖国神社参拝問題かなあ。『A級戦犯がまつられている以上、首相参拝はダメだ』と言ったら、『田原は国賊だ』という視聴者からの電話やらファクスやらがじゃんじゃん来て。ま、あえて波風を立てるのがジャーナリストの仕事ですからねえ」
自身への批判はさほど意に介する様子はないが、話題が朝日新聞批判に戻ると声色が沈んだ。
「売国、国賊、ですか。本来、決してメディアや言論人が使ってはならない言葉です。視聴者からの批判と違って、メディアがこの言葉を安易に使うのはまずいな、と心配しています……」
それはなぜか。
「今起きているのは、戦後70年で初めてと言える、重大な社会現象と捉えるべきです」。日本政治史に詳しい一橋大名誉教授、渡辺治さん(67)を訪ねると、嘆息しながら想像以上に重い言葉が返ってきた。渡辺さんは、売国、国賊という言葉がこれほど“市民権”を得たのは、ごく最近だと見る。
戦前でいえば、例えば1918年、シベリア出兵など当時の国策を批判した大阪朝日新聞を政府が弾圧し、さらに右翼が襲撃する事件(白虹事件)があった。この時、社長は右翼に縛られ、首に「国賊」と記された布を巻き付けられたが「右翼の活動家の世界でのことで、今の『朝日バッシング』のような社会的な広がりはなかった」という。
なぜなら、戦前は新聞紙法や治安維持法などの言論弾圧法があり、政府が危険視する言論は国民の目に触れる前に封殺されたからだ。法律で取り締まれないリベラル派政治家に対し、右翼団体が使ったのが「売国」「国賊」という言葉で、現在のようにちまたに氾濫する言葉ではなかった。
「状況が一変するのは30年代の満州事変以降、政府が国民を戦争に引っ張る時代です。政府は戦争に反対・批判する言論を容赦なく取り締まり、『非国民』『売国奴』というレッテルは、戦争に消極的な言論や言論人に向けられ、マスメディアをより積極的な戦争協力に駆り立てるために使われたのです」
戦後、言論への弾圧法はなくなった。自民党政権も軍事力による海外進出は志向せず、安定的な高度成長を目指した。売国、国賊という言葉は、国策面で必要とされなかった。
この言葉を振り回したのは戦前同様、過激な右翼団体だ。記者が殺害されるなどした朝日新聞襲撃事件(87〜88年)や長崎市長銃撃事件(90年)、河野洋平元衆院議長らが脅迫された建国義勇軍事件(2002〜03年)、加藤紘一元自民党幹事長宅放火事件(06年)などの政治・言論テロの犯行声明や脅迫文、裁判陳述で頻出する。
「そんな言葉を大手メディアが使い出したのは驚くべき事態です。考えてみてください。『オレは売国奴だ、国賊だ』と思っている人がどこにいますか? 『改憲に賛成か反対か』という議論と違い、『売国か愛国か』という議論など成り立ちません。つまりこうした言葉は自由な言論を生むのではなく、言論封殺のための暴力でしかない。朝日の誤報問題とは別次元の深刻な問題です」と渡辺さんはショックを隠さない。
田原さんも「売国とか国賊という言葉は相手を問答無用でたたきつぶし、致命的な打撃を与える言葉です。このような言葉を吐くことで、何か自分が『正しい側にいる』『勝った』ような気になるのでしょう。本当に自分の主張や考えが正しい自信があるのなら、こんな言葉は決して使いません。特に自由で多様な言論によって立つメディアが使う言葉ではない。メディアの自殺でもあるし、民主主義の否定につながりかねません」と目を怒らせた。
批判と罵倒は異なる。メディアやジャーナリスト、作家らが、「言論を封殺する罵倒語」を使えば、それは当然市民にも広がっていく。
◇高橋源一郎さん「容認こそ問題」
作家、高橋源一郎さん(63)は「批判とレッテル貼りは違う」と指摘する。「『国家の敵』は世界共通のレッテルで、みんなでたたくいじめと同じです。昔はこんなことをやっていいのかという意識があったが、今は一線を越えてしまっている」。さらに「売国とか国賊とか反日とかいう言葉へのメディアの批判が少ないことに驚いています。批判しないことは容認することと同じだからです。僕ははっきり言ってこっちの方が重大な問題だと思う。かつてナチスについて、ドイツの知識人はまともに相手せず批判しなかった。そのナチスは政権を取ってしまった。日本だって、言論を圧殺するような連中が政権を取らないとは限りません」。
朝日新聞の論壇時評(9月25日付)で高橋さんは「誤報は擁護のしようもないし、批判を受け入れるべきだ」と書いたうえで、米国の作家、スーザン・ソンタグさん(04年死去)を紹介した。彼女は01年の米同時多発テロ直後「まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない」「現実を隠蔽(いんぺい)する物言いは、成熟した民主国家の名を汚す」と反撃にはやる米国民をいましめた。
「ソンタグは国中から怒りを買い『売国奴』と見なされましたが、それでも発言を続けた。母国が憎悪にかられて暴走するのを止めたかったのでしょう。僕は彼女のような人が愛国者だと思う」
そのうえで「従軍慰安婦についての朝日の誤報が日本をおとしめた」という論調に一番違和感があると強調する。「戦後の朝日新聞がだれかを殺したり、女性を暴行したりしたでしょうか。日本を本当におとしめたのは、軍事力をもって他国に踏み入った戦前の日本国と日本軍ではないですか? 批判すべき先を間違っていませんか」
淡々と、自らに言い聞かせるように続けた。「ソンタグが9・11直後、即発言できたのは日ごろから自分の思想を鍛えていたから。今こそ、私たちの知恵と勇気が試されているのではないでしょうか」
言葉は、発する者を映す。心して選ばねばなるまい。【吉井理記】
189 - 参議員 予算委員会 - 6号
平成27年03月16日
○三原じゅん子君 ありがとうございます。
私は、そもそもこの租税回避問題というのは、その背景にあるグローバル資本主義の光と影の影の部分にもう私たちは目を背け続けるのはできないのではないかと、そこまで来ているのではないかと思えてなりません。
そこで、今日、皆様方に御紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下覆いて家となさむとおっしゃったことに由来する言葉です。
今日、皆様方のお手元には資料を配付させていただいておりますが、改めて御紹介をさせていただきたいと思います。これ、昭和十三年に書かれた「建國」という書物でございます。
八紘一宇とは、世界が一家族のようにむつみ合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができたとき、初めて世界は平和になるということでございます。
これは戦前に書かれたものでありますけれども、この八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです。
麻生大臣、この考えに対していかがお考えになられますでしょうか。
○国務大臣(麻生太郎君) もうここで戦前生まれの方というのは二人ぐらいですかね、ほかにおられないと思いますけれども。これは、今でも宮崎県に行かれると八紘一宇の塔というのは建っております。宮崎県の人いない。八紘一宇の塔あるだろう。知ってるかどうか知らないけど。ねえ、福島さんでも知っている、宮崎県に関係ないけど。八紘一宇っていうのはそういうものだったんですよ。
日本中から各県の石を集めまして、その石を全部積み上げて八紘一宇の塔というのが宮崎県に建っていると思いますが、これは戦前の中で出た歌の中でもいろいろ、「往け八紘を宇となし」とかいろいろ歌もありますけれども、そういったものの中にあって、メーンストリームの考え方の一つなんだと私はそう思いますけれども、私どもはやっぱり、何でしょうね、世界なら世界の中で、千五百年以上も前から少なくとも国として今の日本という国の同じ場所に同じ言語をしゃべって、万世一系天皇陛下というような国というのはほかにありませんから、日本以外でこれらができているのは十世紀以後にできましたデンマークぐらいがその次ぐらいで、五世紀から少なくとも日本書紀という外交文書を持ち、古事記という和文の文書を持ってきちんとしている国ってそうないんで、そこに綿々と流れているのは多分こういったような考え方であろうということでこの清水さんという方が書かれたんだと思いますけれども、こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのにちょっと正直驚いたのが実感です。