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ハテナに移動されていなかった昔の記事を転載)蘇りつつある言葉・イデオロギー・・・・が戦前回帰・右傾化を証明する

 蘇りつつある言葉・イデオロギー・・・・が戦前回帰・右傾化を証明する

 2016/7/11(月) 午前 8:47

 

 

1、「国賊」という言葉
 
東京新聞が、『雑誌に「売国」「国賊」「反日」などの言葉が踊っている』と書いたのが2014年10月である。
 
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東京新聞【特報】  2014年10月3日

朝日バッシング 飛び交う「売国」「反日

朝日新聞バッシングに血道を上げる雑誌には「売国」「国賊」「反日」の大見出しが躍る。敵を排撃するためには、あらん限りの罵詈(ばり)雑言を浴びせる。まるで戦前・戦中の言論統制だ。ネットではおなじみの風景だが、活字メディアでも「市民権」を得つつある。「嫌韓本」で一線を越えた出版界には、もはや矜恃(きょうじ)もタブーもないのかもしれない。安倍政権が「戦争できる国」へ突き進む中、「売国奴」呼ばわりの横行は、あらたな「戦前」の序章ではないのか。 (林啓太、沢田千秋)
 
これについては、予言がある。
 
予言したのは読売新聞であり、1959年・・・60年安保闘争を迎え、政界は白熱した議論が繰り広げられていた頃の話だ。
 
今から57年も昔、1959年の記事である。 ↓
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今もそうだが、当時も自民党は反対者を「アカ」呼ばわりしていたらしい。それを嘆いた読売新聞の論説委員は、『戦前の”国賊”なんていう言葉がいつかは復活するかも』・・・と危機感を募らせている。
 
ところが、最近その「国賊」が復活したというわけだ。残念ながら・・・
 
 
上の東京新聞と同じ趣旨の記事を毎日新聞も書いているから記載しておこう。
 
 
慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国国賊 
田原総一朗さん「メディアが使うのまずい」 渡辺治さん「右翼が攻撃に使った用語」

 売国国賊、国辱……。21世紀、平成ニッポンとは思えない言葉が飛び交っている。従軍慰安婦問題などを巡り、誤報記事を取り消した朝日新聞に浴びせられるこのフレーズ、インターネットの匿名掲示板などではなく今やメディアが乱発している。さすがにおかしくないか?

 外国人観光客も多い築地市場を望む朝日新聞東京本社(東京・築地)。ここで週2回、保守系団体による抗議集会が続いている。

 10日昼の集会に参加したのは十数人。植え込みに日の丸やプラカードを林立させ、朝日新聞不買を訴えるTシャツを着たメンバーが「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」と記されたビラを配っていた。「こんなことは言いたくないが、朝日新聞は地獄に落ちろと言いたい!」。スピーカーを使った演説に、メンバーから「そうだっ」と合いの手が入る。

 向かいのブロックには国立がん研究センター中央病院がある。病院前でのスピーカーの音量は気になるが、その言葉遣いについて、もはや驚かない自分がいる。

 何せ、朝日新聞が記事を取り消した8月上旬から「朝日新聞 『売国のDNA』」(週刊文春9月4日号)、「中国共産党に国を売った」(同9月18日号)、「1億国民が報道被害者」(週刊新潮9月4日号)、「売国虚報32年」(同9月25日号)、「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(月刊誌「正論」10月号)、「言い逃れできぬ『慰安婦』国辱責任」(同11月号)……といった文字・記事が書店やら電車の中づり広告やらにあふれているのだ。

 例に挙げたのは、いずれも大手出版社や新聞社が発行する媒体だ。誤報は批判されて当然だが、このおどろおどろしい言葉遣いは何なのか。

 時に朝日新聞以上のバッシングを浴びてきたかもしれないジャーナリストに聞いてみた。討論番組の司会でおなじみ、田原総一朗さん(80)だ。

 「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」とストレートに切り出した。

 「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」

 自身も左派からは「体制の犬」、右派からは「売国奴」などと言われ続けてきたという。「一番すごかったのは靖国神社参拝問題かなあ。『A級戦犯がまつられている以上、首相参拝はダメだ』と言ったら、『田原は国賊だ』という視聴者からの電話やらファクスやらがじゃんじゃん来て。ま、あえて波風を立てるのがジャーナリストの仕事ですからねえ」

 自身への批判はさほど意に介する様子はないが、話題が朝日新聞批判に戻ると声色が沈んだ。

 「売国国賊、ですか。本来、決してメディアや言論人が使ってはならない言葉です。視聴者からの批判と違って、メディアがこの言葉を安易に使うのはまずいな、と心配しています……」

 それはなぜか。

 「今起きているのは、戦後70年で初めてと言える、重大な社会現象と捉えるべきです」。日本政治史に詳しい一橋大名誉教授、渡辺治さん(67)を訪ねると、嘆息しながら想像以上に重い言葉が返ってきた。渡辺さんは、売国国賊という言葉がこれほど“市民権”を得たのは、ごく最近だと見る。

 戦前でいえば、例えば1918年、シベリア出兵など当時の国策を批判した大阪朝日新聞を政府が弾圧し、さらに右翼が襲撃する事件(白虹事件)があった。この時、社長は右翼に縛られ、首に「国賊」と記された布を巻き付けられたが「右翼の活動家の世界でのことで、今の『朝日バッシング』のような社会的な広がりはなかった」という。

 なぜなら、戦前は新聞紙法や治安維持法などの言論弾圧法があり、政府が危険視する言論は国民の目に触れる前に封殺されたからだ。法律で取り締まれないリベラル派政治家に対し、右翼団体が使ったのが「売国」「国賊」という言葉で、現在のようにちまたに氾濫する言葉ではなかった。

 「状況が一変するのは30年代の満州事変以降、政府が国民を戦争に引っ張る時代です。政府は戦争に反対・批判する言論を容赦なく取り締まり、『非国民』『売国奴』というレッテルは、戦争に消極的な言論や言論人に向けられ、マスメディアをより積極的な戦争協力に駆り立てるために使われたのです」

 戦後、言論への弾圧法はなくなった。自民党政権も軍事力による海外進出は志向せず、安定的な高度成長を目指した。売国国賊という言葉は、国策面で必要とされなかった。

この言葉を振り回したのは戦前同様、過激な右翼団体だ。記者が殺害されるなどした朝日新聞襲撃事件(87〜88年)や長崎市長銃撃事件(90年)、河野洋平衆院議長らが脅迫された建国義勇軍事件(2002〜03年)、加藤紘一自民党幹事長宅放火事件(06年)などの政治・言論テロの犯行声明や脅迫文、裁判陳述で頻出する。

 「そんな言葉を大手メディアが使い出したのは驚くべき事態です。考えてみてください。『オレは売国奴だ、国賊だ』と思っている人がどこにいますか? 『改憲に賛成か反対か』という議論と違い、『売国か愛国か』という議論など成り立ちません。つまりこうした言葉は自由な言論を生むのではなく、言論封殺のための暴力でしかない。朝日の誤報問題とは別次元の深刻な問題です」と渡辺さんはショックを隠さない。

 田原さんも「売国とか国賊という言葉は相手を問答無用でたたきつぶし、致命的な打撃を与える言葉です。このような言葉を吐くことで、何か自分が『正しい側にいる』『勝った』ような気になるのでしょう。本当に自分の主張や考えが正しい自信があるのなら、こんな言葉は決して使いません。特に自由で多様な言論によって立つメディアが使う言葉ではない。メディアの自殺でもあるし、民主主義の否定につながりかねません」と目を怒らせた。

 批判と罵倒は異なる。メディアやジャーナリスト、作家らが、「言論を封殺する罵倒語」を使えば、それは当然市民にも広がっていく。

 ◇高橋源一郎さん「容認こそ問題」

 作家、高橋源一郎さん(63)は「批判とレッテル貼りは違う」と指摘する。「『国家の敵』は世界共通のレッテルで、みんなでたたくいじめと同じです。昔はこんなことをやっていいのかという意識があったが、今は一線を越えてしまっている」。さらに「売国とか国賊とか反日とかいう言葉へのメディアの批判が少ないことに驚いています。批判しないことは容認することと同じだからです。僕ははっきり言ってこっちの方が重大な問題だと思う。かつてナチスについて、ドイツの知識人はまともに相手せず批判しなかった。そのナチスは政権を取ってしまった。日本だって、言論を圧殺するような連中が政権を取らないとは限りません」。

 朝日新聞の論壇時評(9月25日付)で高橋さんは「誤報は擁護のしようもないし、批判を受け入れるべきだ」と書いたうえで、米国の作家、スーザン・ソンタグさん(04年死去)を紹介した。彼女は01年の米同時多発テロ直後「まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない」「現実を隠蔽(いんぺい)する物言いは、成熟した民主国家の名を汚す」と反撃にはやる米国民をいましめた。

 「ソンタグは国中から怒りを買い『売国奴』と見なされましたが、それでも発言を続けた。母国が憎悪にかられて暴走するのを止めたかったのでしょう。僕は彼女のような人が愛国者だと思う」

 そのうえで「従軍慰安婦についての朝日の誤報が日本をおとしめた」という論調に一番違和感があると強調する。「戦後の朝日新聞がだれかを殺したり、女性を暴行したりしたでしょうか。日本を本当におとしめたのは、軍事力をもって他国に踏み入った戦前の日本国と日本軍ではないですか? 批判すべき先を間違っていませんか」

 淡々と、自らに言い聞かせるように続けた。「ソンタグ9・11直後、即発言できたのは日ごろから自分の思想を鍛えていたから。今こそ、私たちの知恵と勇気が試されているのではないでしょうか」

 言葉は、発する者を映す。心して選ばねばなるまい。【吉井理記】

 
 
 
                  2、「八絋一宇」という言葉
 
「八絋一宇」なんていう言葉を使った、国会議員もいた。しかも「日本が建国以来大切にしてきた価値観」とか述べて称賛している。ご存知三原じゅん子さんだが、今日の参議員選挙で神奈川の断トツトップ当選である。
 
発言を記録して置こう。
 
189 - 参議員 予算委員会 - 6号 
平成27年03月16日

三原じゅん子君 ありがとうございます。
 私は、そもそもこの租税回避問題というのは、その背景にあるグローバル資本主義の光と影の影の部分にもう私たちは目を背け続けるのはできないのではないかと、そこまで来ているのではないかと思えてなりません。
 そこで、今日、皆様方に御紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下覆いて家となさむとおっしゃったことに由来する言葉です。
 今日、皆様方のお手元には資料を配付させていただいておりますが、改めて御紹介をさせていただきたいと思います。これ、昭和十三年に書かれた「建國」という書物でございます。
 八紘一宇とは、世界が一家族のようにむつみ合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができたとき、初めて世界は平和になるということでございます。
 これは戦前に書かれたものでありますけれども、この八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです。
 麻生大臣、この考えに対していかがお考えになられますでしょうか。
 
これに答えて、麻生はこう言う。
 
国務大臣麻生太郎君) もうここで戦前生まれの方というのは二人ぐらいですかね、ほかにおられないと思いますけれども。これは、今でも宮崎県に行かれると八紘一宇の塔というのは建っております。宮崎県の人いない。八紘一宇の塔あるだろう。知ってるかどうか知らないけど。ねえ、福島さんでも知っている、宮崎県に関係ないけど。八紘一宇っていうのはそういうものだったんですよ。
 日本中から各県の石を集めまして、その石を全部積み上げて八紘一宇の塔というのが宮崎県に建っていると思いますが、これは戦前の中で出た歌の中でもいろいろ、「往け八紘を宇となし」とかいろいろ歌もありますけれども、そういったものの中にあって、メーンストリームの考え方の一つなんだと私はそう思いますけれども、私どもはやっぱり、何でしょうね、世界なら世界の中で、千五百年以上も前から少なくとも国として今の日本という国の同じ場所に同じ言語をしゃべって、万世一系天皇陛下というような国というのはほかにありませんから、日本以外でこれらができているのは十世紀以後にできましたデンマークぐらいがその次ぐらいで、五世紀から少なくとも日本書紀という外交文書を持ち、古事記という和文の文書を持ってきちんとしている国ってそうないんで、そこに綿々と流れているのは多分こういったような考え方であろうということでこの清水さんという方が書かれたんだと思いますけれども、こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのにちょっと正直驚いたのが実感です。
 
「日本という国・・・・万世一系天皇陛下というような国というのはほかにありません」だそうだ。
 
「八絋一宇」に加えて、万世一系」なんていう言葉も、肯定的に登場してしまっている。戦前は 万世一系天皇の赤子」 なんて言ってたものだ。
 
 
そして、戦前の「天賦人権」否定の思想が入った自民党憲法案である。
 
戦前の膨張主義をささえたイデオロギーが、今この時代に復活して来ているのである。