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秦郁彦の民族比率説はどんな使われ方をしているか? 日本政策研究センターの根拠

 

   日本政策研究センターが「完全に否定」と書く根拠としての秦の推論


すでに在特会藤岡信勝などが、秦郁彦慰安婦と戦場の性』の民族比率に関する推論を根拠に、(その論説を多少捻じ曲げながら)他者批判を行うという行為について述べたが、こうした使い方はほかにも様々に存在している。


また、「八割が朝鮮人」も秦郁彦氏によって完全に否定されている(『慰安婦と戦場の性』)。

として、秦郁彦完全に否定した」ことにしている。

しかし、秦はこの部分を断定さえしておらず、実際にはこう書いている。


こうした諸条件を考慮しつつ、私としては民族別比率は日本人(内地人、沖縄含む)で、現地(中国人、満州人、フィリピン人、インドネシア人、ビルマ人、混血女性など)がそれに次ぎ、朝鮮人は第3位と推定したい

(『慰安婦と戦場の性』p410)
この文章が秦の結論である。

つまり私としては・・・・推定したい」というだけであって、完全な否定などできていない。断定できるほどの根拠が無いからであろう。

これをもって「完全に否定した」などと書いてしまうのは、”歪曲”というしかない。どのあたりが「完全に否定」なのか、教えていただきたいものだ。


岡田邦宏はこれを1992年1月11日の朝日新聞の記事への批判として書いているのだが、秦は、1993年の著作の中で自分でも、

消息通が語る3(内地人)対7(朝鮮人)ないし2対8あたりの比率が妥当かもしれない。

 (昭和史の謎を追う(下)』
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と書いている。近現代専門の歴史家がこんな事を主張している以上、その頃の朝日新聞の記者たちが、そう書いたとして何か問題があるのだろうか?

何の問題も無いのである。
この程度のものを根拠に言いがかりのような文句をつけられるとは、朝日新聞も本当についていない新聞である。まあ、ウヨクはそういう人々だが。

後で出てくるが、秦は1991年の『日本陸海軍総合事典』でも同じような事を書いている。

当時の秦の歴史研究がそういう内容だったのだ。

この時代にはまだ慰安婦慰安所)に関する本格的な研究は始まっていなかった。

吉見義明が、従軍慰安婦資料集』を刊行したのが1992年の終わりである。その後『戦争責任研究』が創刊され、歴史研究者たちが論文を発表するようになる。もちろん研究者としてこの手の数字を断定したものは存在していない。断定できるほど十分な資料が存在しないからである。


 

     人数も断言してるよ、「まったくの虚偽だ」といつ分かったんだ?


岡田邦宏のこの文には
朝日新聞は、今は「挺身隊」は「誤用」だとしているが、では「八万とも二十万とも」はどうなのか。実はこれもまったくの虚偽だということが判っている。

と断定した文章も見られるが、人数に関しても「まったくの虚偽だ」と言えるほどの明確な数字が分かっているわけではない。

下限は秦の2万人以下であり、上限は中国の蘇智良の41万人説だろうから「約2万から約40までの説がある」とするべきかも知れないが、そうしなければならないわけでもない。

いずれにせよ、この時代(90年代初頭)はまだ2万人説さえ存在していない時代であって秦郁彦8万人説を長く唱えていた。

(例えば秦が編纂した『日本陸海軍総合事典』(1991年)では)




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と書いている。

つまり、朝日新聞がこの記事を書いた頃には秦も「8万人」説を唱えていたのである。この岡田邦宏が「朝日新聞がこう書いた」と言って批判している内容は全て秦が昔書いていた内容であり、朝日を攻撃するのはお門違いである。秦を批判した方がいいだろう。


さらに岡田邦宏は

千田は数字の出所はソウル新聞だと証言している・・・
とも書いているが、千田は証言しておらず、それは金英達のただの推測である。

(参照:高崎宗司 『半島女子勤労挺身隊』p41、http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf

なんだ、かんだとデタラメばかり書いているが、もう少しちゃんと調べてから主張をして欲しいものである。


(全敬称略)