河野談話を守る会のブログ2

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「国体」信奉者であることをできるだけ隠そうとした安倍 晋三

 

       1、美しい国柄を守るとは?

安倍 晋三には、美しい国へ』という著作がある。

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書籍情報を掲載しておこう。

この本には、「偏狭なナショナリズムという批判」以下「天皇は歴史上ずーと象徴だった」「国民のために祈る天皇」「「公」の言葉と「私」の感情」という右翼向けの項目がある。

目次だよ
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そこにこんな事が書かれている。

「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストーリーだといった。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。」

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「日本の国柄の根幹」が「天皇制」なのだという。

だから、安倍が「日本の国柄を大切にしよう。」とか「日本の国柄を守る」とかいうとき、それは「天皇制を大切にしよう」「天皇制を守る」と言っているのだ
安倍はしばしば「美しい(麗しい)日本の国柄を守る」という主張をしている。
(2015年11月10日の国会 稲田とのデキレースのようなやりとりでは、安倍は「日本の国柄はしっかりと守っていく」と答えている。)


それは「国体を大切にしよう」「国体を守れ」というのと同じである。
要するに、戦時中の政府や軍の人達とあまり意識が変わらないのである。敗戦期、ポツダム宣言を受諾するか否かを大日本帝国政府内ではもめていたが、全員が「国体護持」の方針では一致していた。誰ひとり「国体なんかどうでもいい。それより国民の生命と財産の方が大切だ。だから早く降伏しよう。」とは言い出さなかった。
そんなまともな事を言えるような国じゃなかったのだ。
 

 
戦前はそういう社会だった。
多くの人が、日本は神々の国で、天皇は神だと信じていた。
こうした事を強く信じこんでいる人々は、天皇が統治する国の臣民であることに誇りを感じていた。
誇りを感じるから、他のアジアの人々をバカにしていたのである。
また、信じていない人でも「天皇は神である」と言い、神のごとく礼拝しなければならなかった。

そういう暗黒の社会に戻したい人々が今でも存在するということを知っておくべきだ。




【ウンチク】天皇制を考察する
天皇制という国柄=国体」は、神道という宗教の一部である

宗教というよりも、疑似宗教というべきかもしれないが、要するに「天皇アマテラスオオミカミという神の子孫である」という日本神話が産み出す観念(考え方)がなければ、天皇制は成立しないからである。
天皇制とは神道という(疑似)宗教の王権神話の産物である。

天皇制を「日本固有の制度」という人もいるが、それはお角違いである。古代世界では、「神の子」を称する王が無数にいた。有名なエジプトのファラオは、太陽神ラーの息子を称した。古代ローマ皇帝たちもしばしば、神の子を自称した。古代においてはむしろありふれたシステムだったのである。
日本では、ガラパゴスのように、世界で滅んだ制度が明治維新期に蘇ったのである。

天皇制が神道の一部だから、神道信者ら(神道家や右翼)は、「国体の復活」をもくろむのである。
先日の記事でお伝えしたように、神社本庁は、国体復活を企むし、http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65689333.html
その下部機関ともいうべき右翼団体は、天皇制崇拝者である。そして神社のお札の前で襲名式などの式典を行う。また、安倍晋三神道政治連盟国会議員懇談会の会長である。神道政治連盟は、「神道を国政の基礎に置く」ことを目的とする団体である。http://www.jinjahoncho.or.jp/introduction/concerned/

神道を国政の基礎に置く」とは、どういう事なのだろうか?
それはいうまでもないだろう。戦前のように、憲法に国体を盛り込み、神道儀式を国や地方自治体が行い、神社を国営か国営に近いものにしたい、という事なのだ。それは国家神道の再興である。

だから、神道政治連盟パーティの席上で安倍のボスであった森元総理は、「日本が神国であることを、国民の皆様に承知していただく」と挨拶したのであった。
口がすべったのではない。
本音がポロリと出ただけだ。
安倍がこうした神道信者の野望に共鳴する人物であることは、言うまでもない。
もし共鳴していないなら、なぜ神道政治連盟国会議員懇談会
会長になったり、「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である」
などというセリフが出て来るのであろうか?

森元総理は安倍のボスでもある。

 
この本には、つづいて、「国民のために祈る天皇」という小見出しで、天皇の長所のようなものが書かれている。しかし天皇の長所について述べるのに、三宝に帰依した聖武天皇の「仏の前での平等」を例に挙げて、「そういう天皇の性格は今も変わらない」というのだから、バカじゃないかと思う。それは仏教の長所だからだ。
いや彼は『古事記』や『日本書紀』さえ読んでいないのだろう。

記紀に書かれている天皇の歴史は、謀略に満ちており、陰惨である。第二代綏靖天皇は、腹ちがいの兄のタギシミミノミコトを殺して、自分が天皇になった。第十一代垂仁天皇の時には、皇后サホ姫の兄サホ彦が、妹である皇后と共謀して天皇を殺そうとしたが失敗し、逆に天皇に殺された、仁徳天皇の即位のときに、ウヂノワキイラツコとオオサザキノミコトとは、互いにけんそんしたというので有名だが、しかしこの二人は、共謀してオオヤマモリ皇子を殺したし、ハヤブサワケ皇子は、オオサザキノミコを殺そうとしてかえって殺された。第二十代の安康天皇は、おじのオオクサカ皇子を殺してその妃ナカタラシ姫を自分の皇后とした。オオクサカ皇子の子マユワ王は、10歳で安康天皇が酒によって寝ているとことを父の仇としてさし殺し、安康天皇の弟オオハツセ皇子は、ただちにマユワ王とその味方を殺し、皇族の男子を一人残らず殺した。こうして雄略天皇が誕生したのだ。

記紀に書かれていることが全て事実でないかもしれないが、これを編纂した時代の人が、殺し合う天皇家の物語りに違和感をもたなかったのは事実であろう。どの国の王宮でも、盛んに権力闘争はなされたが、ここまで兄弟、親戚の間で陰惨な事件が続発するのは珍しい。一体古代の天皇に善政の時代など本当にあったのだろうか?全てが地獄の底で悶えているように見える。
 
なるほど聖武天皇が大仏建立に救いを求めたのも良く分かる。聖武天皇にとって、乞食僧でありながら、人々の尊敬を集めた行基菩薩は、まさに神のごとく見えたであろう。だから三宝の前にひれ伏したのである。
三宝とは仏、法、僧である)


       2、国会では自分が国体信奉者であることを隠した安倍

総理になってから安倍が自分の本性、本音を隠した例は多い。例えば、2012年の総裁選で公約していた「河野談話破棄」「村山談話破棄」は、米国に批判されるとあっさり「継承」に変わった。「継承」に変わったから、継承しているのかといえばそうではない。両談話を実の無いものにしようとやっきである。[河野談話作成過程の検証]を鳴り物入りで行ったかと思えば、外務官僚に国連で「強制連行は無かった」と宣べさせる始末である。そして去年の安倍談話だ。
要するに、破棄したいが、対外的に破棄したとは言えないので、内容を少しづつ毀しているのである。コスイやり方をするもんだ。

こうした「面従腹背」とか「本音と建前の使い分け」としか言いようの無い昔の京都の貴族のようやり方を一国の総理大臣がしている。

面従腹背」とか「本音と建前の使い分け」とは、端的に言えば「嘘をついている」ということだ。要するに、表面上は社会に批判を受けないような事を言うのである。あくまで表面上の話だ。
しかし、実際にやることは、言葉とは裏腹である。
”腹黒い”というのは、こういう場合に使う言葉なのだろう。
政治家というものは、昔からそういう面があったが、民主主義の世の中になって70年。これほど腹黒い政治家を見たのは初めてだ。

安倍が、天皇制信奉者であることを公言しないようになったは、国会で小沢一郎氏にこの点をつつかれたからではないかと思う。
2007年5月16日(水曜日)国家基本政策委員会合同
での答弁である。

小沢にこう質問されてしまったのだ。
 
 

総理に御意見を伺う機会を得まして、さて何をお尋ねしようかなと思って考えたんですけれども、やはり一番は、総理御自身が書かれました、出版された美しい国という本にもう一度目を通すのが一番よかろうと、そう思いまして、美しい国へ」の本を目を通してまいりました。
 最初読ませていただいたときには、総理の美しい国というのが、どういうイメージで、どういう国を想定しておられるのか、字面は全部きちんと読んだつもりなんですけれども、よく分からなかったんですが、久しぶりに改めて見まして、何となく分かったような気がいたしたんですけれども。
 総理は、あの「美しい国へ」という本の中で、日本の国柄の表す根幹は天皇制であるというふうに述べておられます。また、日本の歴史は天皇を中心としてすべて組み立てられてきたというふうに述べておられます。そして、さらには戦後の経済復興、これは他の人の言葉をかりてですけれども、日本が戦後の奇跡の復興を成し遂げられたのも天皇制があったからだと、それが社会の安定、国の統一、その中で復興というものが成し遂げられたんだと、こういうふうに述べておられます。
 そういうことを改めて見てみまして、総理の描いておられる美しい国のそれこそ根幹に天皇制というものがあるんだなというふうに思いました。それが敗戦によって、占領軍によって、憲法を始め教育制度、みんな改変されたと、ある意味で美しくない国になったということかもしれませんけれども。
 そこで、これらは自分たちの手でつくり直さなきゃいけないと。特に憲法につきましては、この本でかなり厳しいというか、激しい文言で言っておられる。日本国憲法はGHQでわずか十日間ぐらいで書かれたものだと。それから、日本国憲法の前文は正に連合国に対するわび証文みたいなものだという言葉まで使われて述べておられると。だからこそ、我々は白地からこれをつくり直さなければならないと、こういう結論になっているんだと思います。
  (略)


 
と突っ込まれた安倍は、
 
 

 (略)
 私の本をよく読んでいただければお分かりいただけると、このように思うわけでありますが、私が目指す美しい国について、一つはやはりこの美しい日本の自然、そして長い文化、歴史、そして世界に誇るべきこの文化また伝統、こうしたものを大切にする国でありたい、このように申し上げているわけであります。その中から培われてきた家族の価値やそして地域のぬくもり、こういうものも守っていく、そういう国こそ美しい国である、こう申し上げてきたところであります。そして、日本人が織りなしてきたこの長い歴史、伝統、文化と言ってもいいかもしれません。それはある意味では、もし一つのタペストリーだとすると、その一本のたて糸の糸はこれは天皇であろうと、このように申し上げたわけであります。
 そして、日本の経済発展について、そして日本の戦後の発展について、マンスフィールド大使と私の父、安倍晋太郎との会話の中で、マンスフィールド大使が、日本の発展、どうして日本がこうして発展してきたんだと思いますかと父に質問をした際に、マンスフィールド大使が私の父の質問を受けた後、私はその秘密はやはり日本に天皇がおられたこと、その安定感だと思います、このようにおっしゃった。このことを紹介をしたわけでありまして、それが私は、一つのエピソードとして紹介をした日本のある意味のこの伝統、文化ということにおいて日本が誇るべきこの日本のやはり国柄ではないか、こんなように思い、それを書いたわけでございます。
 いずれにせよ、私の本の中で天皇陛下、またいわゆる天皇制についての記述というのはそんなに多くの量ではないということは申し上げておきたい、こう思うところでございます。
  (略)

 

と答えている。
 
自分が国体信奉者であることが、バレればまたアメリカの新聞に「極右」なんて書かれてしまう。
だから、誤魔化したのだろう。
 
天皇制についての記述というのはそんなに多くの量ではない」
という珍妙な言逃れをしている。
なんだ、その言逃れは?

残念ながら、小沢はこれ以上突っ込んでいない。
小沢には「口に出した以上、ちゃんと突っ込め」と言いたい。

 
         3、「美しい日本の国」という思想・言葉の源

さて、美しい国」という言葉が、生長の家統一教会の著作物からの影響を受けたものであるという憶測が昔ネットで流れていた。しかしこれは謬説である。
ちゃんと本源を述べておこう。

(つづく)