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強制連行・強制使役資料 ①オランダ政府提供公文資料


2007年3月16日の事だ。辻元清美議員の質問に安倍政権は「軍や官憲による・・強制連行を示すような記述は見当たらなかった」と答えた。そのため、オランダのバルケンエンデ首相が激怒し、日本大使を召還して詰問した。1994年には強制連行を示す資料を日本政府に送っていたのにそれを完全に無視したからだ。ではそのオランダ政府が公表した資料はどんなものだったか?を見てみよう。

しかしこんな資料を無視して「強制連行は無かった」などと言ってしまうとは、なんと無神経な人間なのだろうか?そんなのが世襲で議員になって今や首相なのだから、日本の外交がおかしくなるのは当然である。先日、日本が欧州と「パートナーシップ」を結ぼうとすると欧州側は、「(日本で)人権侵害が起ったらただちに解消する」という条件を付けていたが、それは当たり前である。「慰安婦」を否定し、「秘密法」を造った日本ではいつ重篤な人権侵害が起ってもおかしくないからである。
時事ドットコム:EU、日本に「人権条項」要求=侵害なら経済連携協定停止 
さて

1994年1月24日。
オランダの外相P・H・コーイマンスは、オランダ下院議長に日本の慰安婦問題に関する報告書を提出した。なんせオランダには、たくさんのバタビアBC級戦犯裁判の資料が眠っていたからだ。



            侵略する日本軍

第2次世界大戦当時、オランダはインドネシアを植民地としていた。そのインドネシアにはたくさんの黒いダイヤ(石油)が埋蔵されていた。そしてそれほど大量ではなかったが、インドネシアにはオランダ人も住んでいた。

日本軍は、太平洋戦争と共に、石油を求めてインドネシアを侵略した。侵略すると油田は陸軍と海軍に均等に分けられたのである。

瞬く間に追い散らされたオランダ軍に変わって、日本軍とその配下の日本人州長官がインドネシアを支配するようになった。当初、「アジアの解放者」として日本軍を歓迎したインドネシア人であったが、その期待はすぐに裏切られることになった。


イメージ 1

「日本はオランダよりも残虐な植民地支配者だった」と記述が。 
【翻訳】
2.インドネシア国民に対して日本が行なった労務者動員の原因と結果
過去の日本は現在の日本とは全く異なっていました。その昔、日本はインドネシア国民にとって 非常に残虐な植民地支配者でした。現在、日本は主に産業分野で非常に発展した国として知られています。

日本占領期において、インドネシア国民は非常に苦しみました。これは日本がオランダよりも残虐な植民地支配者だったためです。日本が自国の利益を求めた結果、インドネシア国民はつらく苦しい生活を送りました。そればかりか、食べ物が不足し、至る所で飢餓が発生しました。衣類も不足し、国民はバゴール(麻袋の素材から作られた布)で体を覆わざるを得ませんでした。国民は惨めな暮らしをし、財産は日本に奪われ、取り上げられました。全ての活動が戦争の利益を目的としたものでした。例えば、ヒマ(トウゴマ)の栽培強制などです。国民がヒマの栽培を強制されたのは、ヒマからとれる油を日本が戦争で使用する自動車や飛行機などの潤滑油として用いるためです。


横暴ではあったが、まだ節度があったオランダ人にとって変わったこの新しい支配者は、はるかに横暴で、残忍、好色であった。賃金も払わないで男たちを「ロウムシャ」と呼ぶ辛い労働に駆り立てたかと思ったら、女たちは強姦され、その中でも若く美しい娘たちは「イアンジョ」と呼ばれる暗い場所で毎日のように強姦される運命が待っていた。


             報告書

報告書によると、ラカン、メナド、バンドン、パダン、フロレスの各所で強姦事件が多発したが、その中でもブレラで発生した強姦事件は、20余名のヨーロッパ女性を2軒の家に監禁するという悪質なものだった。3週間の間そこに連隊が通りかかるたびに一日数回に渡って軍人により強姦された。

しかしこれはまだ序の口にすぎない。この報告書によれば、1944年になると、さらに凶悪な組織的集団強姦事件が発生するようになる。しかもそれは、軍の将校によって発案され、州長官や警察を支配する憲兵隊によって実行されるのだ。マゲランでは、憲兵が選んだ選んだ娘たちが暴力的な方法で連れていかれた。44年1月、4人の未成年者を含む13人の女性たちがマゲランにつれていかれ、強姦され、売春を強制された。
     
その頃、別の日本の将校達はヨーロッパ人を拘留していた抑留所に目をつけた。36人の女性が連れ出され、スマランの「イアンジョ」で監禁され集団強姦された。2人の若い女性は逃げようとしたが、連れ戻され、一人は自殺を謀り、一人は気が狂ったふりをして精神病院に入った。一人は妊娠中絶している。

同様な事件がフロレス、ボンドウオソ、スマトラ、パダンなどでも引き起こされた。

・・・・・・・この報告書は、1994年に公表され2007年には米国下院決議やカナダ決議、欧州決議に影響を与えた。しかし日本の右派と政府はこれを完全に無視しているのである。


        マゲラン事件解説

インドネシアの事件ではスマラン事件ばかりが有名だが、マゲラン事件もかなり凶悪である。日本人州長官と憲兵将校が相談し、軍人とその傀儡と化したインドネシア人警官を使い「暴力を使って」最終的に4人の少女たちを含む13人に強制売春させた。ネトウヨはきっと「集めたのはインドネシア人警官だ」などと言うんだろうが。

ほとんどの場合が将校の強姦から始まっており、これは朝鮮や台湾の慰安婦も同様である。スマランやフローレスは集団強姦に近いが、それは慰安所全体に言える事である。被害者が”軍人”と述べる場合も軍の階層構造上、首謀した将校が水揚げしたと考えるのが妥当。「将校が」という証言も多数存在している。

           フロレス事件解説

フロレス事件は、1944年スマラン事件の結果慰安所は閉鎖されたのだが、にも関わらず、その同じ場所で再び組織的強制売春事件を起こしたという救い難いものだった。日本軍憲兵隊は、現地人警官に指示して、あらかじめ目をつけておいた女性たちを警察に出頭させ、20人の少女を選び、強制売春させた。

この事件で舞台となった「スマラン倶楽部」の経営者の古谷厳(スマラン事件で禁固20年の刑)は法廷で事実を認め「こっちの事件は軍に頼まれ場所を貸しただけだ。」と抗弁している。それにしてもすでに制空権も制海権も失っていたような時期に、下半身の欲望充足に血道をあげてるんじゃあ、負けるに決っている。いったいこの連中は何をするためにインドネシアに行ったのか?

120人の内、17人がフロレス島に連行され、そこで女性たちは毎日20人を相手にした。毎週100枚の切符を集めるノルマを強いられている。切符があったという事は完全に慰安所形態。しかも連行したのは「憲兵になっている。どこから見ても軍の直接的強制連行事例であり、この事件を国会で取り上げるべきである。
その後敗戦時にインドネシアでは日本軍憲兵は徹底的に怨まれ、手配までして捕えているのは、こうした事情があったからだ。犯罪を取り締まるべき憲兵がむしろ犯罪に加担というより、犯罪の主役になっており、それがオランダの公文書に語られているのに、「強制連行は無かった」などと言うバカがどこにいるんだ?

以上はこの本に詳しい ↓
本書には、オランダ政府の報告書の全文が翻訳されている。


米下院公聴会でのジャン・ラフ・オヘルンさんの証言はここで。



         特徴を考える

①例えばフローレス島事件では、毎週100人以上の兵士の性の相手をしないと殴られたと供述いている。これは暴力によって性行為を強制しており、スマラン同様に逃げる事もできず、軍による強制売春「性奴隷」化の例であると言える。

②マゲラン事件では日本人州長官憲兵将校が相談し、軍人とその傀儡と化したインドネシア人警官を使い「暴力を使って」最終的に4人の少女たちを含む13人に強制売春させた。これに日本の国家として責任が無いとすれば、一体どうすれば日本の国家責任が生じるというのだろう。言うまでもなく公務員(軍人を含む)の権力を使った横暴は、罰せられなければならないはずだが、どの事件の首謀者も日本軍によっては罰せられておらず、戦後バタビアで戦犯として裁かれたのである。


③罰するどころか、インドネシアで「櫻倶楽部」という慰安所を経営者した日本人の青地鷲雄は、戦後オランダ軍によるバタビア臨時軍法会議で「強制的売淫のための婦女子の誘拐および売淫の強制」として10年の刑を宣告され獄中で病死。靖国神社はその青地鷲雄を「英霊」として合祀している。
東京新聞2007年3月29日の記事では1967年に「厚生省と靖国神社が合祀を決めていた」のだそうだ。つまり靖国に参拝する人は強制売春で戦犯となった慰安所の経営者を「神」として拝んでいるという無神経な事を政府からみでやっているのである。