河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

朝日の誤報攻撃にかこつけて、歪曲報道するサンケイ


産経新聞 8月10日の記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140810-00000546-san-kr朝日新聞慰安婦報道」が触れなかったこと」(下に転載)への批判です。




              間違いの誘導をしている

この記事の特徴は、細かく順番を変えている事である。
ここでサンケイは、


記者会見で金さんは、「14歳で母親に平壌のキーセン検番(学校)に売られ、3年後に義父に日本軍の部隊に連れて行かれた。私は40円で売られた」と述べ、


と書いているが、金さんは、「売った」とは言っておらず、40円を受け取ったのは母親である。

さらに「3年後に義父に日本軍の部隊に連れて行かれた」とも述べていない。述べられているのは、「義父につれられ、中国に渡ったら、そこで分かれて慰安所に入れられた」である

だからこの部分は

記者会見で金さんは、「14歳のとき平壌のキーセン検番をしている義父に40円で養女に出され、3年後に義父に中国に連れて行かれた後、日本軍の慰安婦にされた」と述べ、

 
となるべきなのだ。



ところがサンケイ記事では、少し話しを変えた上に、わざわざ順番を変え「私は40円で売られた」を最後にもって来る事で、”義父が日本軍の部隊に連れて行って売った”という話しにしてしまっている。

それにしても、なんというセコさか。(苦笑)
いったい誰が誤報を製造しまくっているのだろうか?


さて、

朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」との誤報

に対して、

朝日新聞は「誤報」の責任をうやむやにした

 
 

と述べているが、本当にくだらない記事をかく新聞である。

        当時の秦郁彦の認識

当時、1991年と言えば、23年も昔であり、まだ慰安婦についての歴史学者による実証研究が始まっていない時代である。「慰安婦」研究論文そのものが存在していないのだ。ゆえ荒船清十郎のような根拠もない造り話http://www.awf.or.jp/1/facts-07.htmlも検証されておらず
サンケイが大好きな秦郁彦も、


・・・・昭和期の日本軍のように、慰安婦と呼ばれるセックスサービ
ス専門の女性を大量に戦場に連れて行った例は、近代戦史では
他にない。その7~8割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮出
身の女性だったが、建前上は日本軍の「員数外」だったから、公式
の記録は何も残っていない。・・・


と書いている。1985年発行、日本陸軍の本・総解説』P259からの引用だが、この時点では秦も「日本軍慰安婦は特殊」「7~8割は朝鮮女性」「強制連行に近い形の動員」を唱えていたのである。

さらに93年に初版の著作昭和史の謎を追う(下)』 でも

・・・・・・・その後も軍服まがいの服装に軍刀をぶらさげて「軍命令」をちらつ
かせたり、「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」と言葉巧みに持ち
かける業者や周旋人が横行した。ところが、1941年夏の関特演あたりか
朝鮮半島で官斡旋の募集方式が導入されたようだ。 
関特演は対ソ戦の発動に備え演習の名目で在満兵力を一挙に40万から
70万へ増強する緊急動員だったが、島田俊彦関東軍 の記述や千田
夏光が主務者の関東軍後方参謀 原善四郎元中佐からヒヤリングしたとこ
ろでは、約2万人の慰安婦が必要と算定した原が朝鮮総督婦に飛来して、
募集を依頼した( 千田『従軍慰安婦 正編』 ) 
結果的には娼婦をふくめ8千人しか集まらなかったが、これだけの数を短
期間に調達するのは在来方式では無理だったから、道知事 → 群守 → 
面長(村長) のルートで割り当てを下におろしたという 。 
実際に人選する面長と派出所の巡査は、農村社会では絶対に近い発言力
を持っていたので「娘達は一抹の不安を抱きながらも ”面長や巡査が言う
ことであるから間違いないだろう”と働く覚悟を決めて」応募した。実情はま
さに「半ば勧誘し、半ば強制」( 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦 )
になったと思われる。
 
昭和史の謎を追う(下)』 秦郁彦 著
第41章 従軍慰安婦たちの春秋  P334,335



と書いている。



1941年夏あたりから朝鮮半島で官斡旋が なされ、・・・・・実情はまさに「半ば勧誘し、半ば強制」



というのだから、つまりは、「官斡旋の動員が半強制だった」と言っているのである。これはあらかた「強制連行」を認めていると言えるだろう。

朝日の新聞記者は、歴史の専門家ではない。

しかし、秦は近現代専門の歴史学者である。言わば、「歴史」で飯を食って来た人間である。それが官斡旋の動員が半強制」を認めているのだから、専門家でもない朝日新聞の記者辺りが「強制連行」と書いたとしても何の問題はありはしない。

いずれにしても、まだ実証研究自体が始まっていないか、始まって間もない時期なので、この程度の間違いはどうでもいいレベルなのである。いわば、「プレ・実証研究時代」の出来事である。誤報」とさえ言えない。


        サンケイの営業戦略とダブルスタンダード

もし朝日を「誤報だ」と糾弾するなら、その前に専門家のはずの秦を糾弾すべきである。

ところが、サンケイは朝日を、うるさいハエのように「誤報だ」「誤報だ」と執拗に攻撃して来た。それは、「チャレンジ200万部」のためだろう。当時社長だった羽佐間は「営業戦略として”教科書問題”に火をつけてきた。」と述べた。

営業戦略」とはつまり”売らんかな”である。

自社の新聞を売りたいがために朝日新聞を攻撃しているとしたら、踊らされているのは右派サイドである。

その証拠にサンケイは、サンケイ基準では明らかに「誤報」である読売新聞のこの報道には何の攻撃も加えていない。


従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設
置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日
までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。
「お国のためだ」と何をするのかも分らないままにだまされ、半ば強制
的に動員されたおとめらも多かった。
特に昭和十七以降「女子挺身隊」の名のもとに日韓併合で無理
矢理日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に
徴発されて戦場に送り込まれた。(後略)
  (『読売新聞』 1987814)

「昭和十三年から終戦の日までに」とか
「従事した女性は二十万人とも三十万人」とか
昭和十七以降「女子挺身隊」の名のもとに」とか
多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた」とか
読売は書いているのだが、これらはサンケイ流に言えば「誤報」だろう。

しかしすでに述べてように、慰安婦研究論文自体が存在していないこの時代に新聞が多少の間違いを書いたとしても、たいした問題とは言えない。

それを「誤報だ」「誤報だ」とヒステリックに騒ぎ立てたり、するのはサンケイぐらいである。(笑)

子供じゃあるまいし。

その上、特定の新聞だけをやり玉にあげるような歪んだやり方をするサンケイの主張はまったく読む価値がない。

こうして同じような報道をしても、ある新聞の記述は攻撃せず、別の新聞は攻撃するというやり方ダブル・スタンダードという。

サンケイのダブルスタンダードが何らかの意図を持っている事は明らかであろう。








朝日新聞慰安婦報道」が触れなかったこと

産経新聞 8月10日(日)21時20分配信

私は朝鮮人に対してドレイ狩りをした」とのざんげが、後にすべて虚言と判明した“世紀のウソ”、「吉田清治証言」を、朝日新聞が初報から32年目で「虚偽と判断、記事を取り消す」とした。だが、朝日が最も検証すべきは、1991年夏の「初めて慰安婦名乗り出る」と報じた植村隆・元記者の大誤報だ。記事は挺身隊と慰安婦を混同、慰安婦の強制連行を印象付けた。しかも義父にキーセン(芸妓)として売られていたことを書かずに事実をゆがめたからだ。しかし今回、同紙は誤報を認めなかった。2日に渡った特集は、触れたくない部分には触れず、「女性の尊厳」という人道主義に逃げ込んだ。(久保田るり子

 ■朝日新聞は「誤報」の責任をうやむやにした

 1980年代からすでに30年以上も日韓摩擦の原点となってきた慰安婦問題は、争点の強制性の問題で「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」との誤報が事実関係を歪曲(わいきょく)し、韓国側の反発をあおったことが大きい。その根拠となったのが植村氏の記事である。

 記事の第一報(8月11日付)は、慰安婦を匿名扱いにしたうえで『「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、韓国挺身隊問題対策協議会が聞き取りを始めた』という内容で、『協議会が録音したテープを記者に公開』として、『17歳のとき、だまされて慰安婦にされた』という元慰安婦の証言を報じた。

 しかし、植村氏が書いた女性、金学順さんは挺身隊とだまされたのではなく、親に身売りされていたのだ。朝日の記事の3日後に韓国メディアなどへの記者会見で金さんは、「14歳で母親に平壌のキーセン検番(学校)に売られ、3年後に義父に日本軍の部隊に連れて行かれた。私は40円で売られた」と述べ、韓国紙に掲載されている。挺身隊は総動員体制の用語の勤労動員のことで、慰安婦とは全く関係がない。しかし当時、韓国では混同があったのも事実だった。

 そこに、朝日新聞が日本メディアとして「挺身隊としてだまされ連行」と書いた。韓国がこれを強制連行の根拠して飛びついたのはいうまでもない。

 富山県の軍需工場に教え子の女子小学生を勤労奉仕に出した日本人先生が、教え子を案じている話を聞きつけた韓国メディアが、『小学生も挺身隊に』『12歳の小学生が戦場で性的玩具にされた』と書き立てた。誤解は一気に拡大して『天と人が憤怒する日帝の蛮行』『人面獣心だ』(東亜日報社説)と世論は沸騰、植村氏の挺身隊連行の誤報反日の火に油をそそぐことになった。

 金さんが貧困の不遇な境遇から慰安婦にさせられた経緯は、金さんが名乗り出た91-92年当時に明らかだった。また植村氏はその後も金さんの記事を書いたが、挺身隊連行の誤報は正さず、身売りの話も一切、書かなかった。

 今回の朝日の特集では、すでに退社している植村氏に事情を聴いているが、「テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「意図的に触れなかったわけではない」との弁明だけを載せた。また、「韓国で慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した」と釈明したものの、大きな波紋を呼んだ誤報とは認めず、これまで放置してきた理由も書かなかった。

 ■大阪社会部記者、植村氏はなぜ、ソウルに飛んだのか? 義母は元慰安婦の賠償請求訴訟の原告団体の幹部だった

 金学順さんは、植村氏の記事が掲載された91年末に来日、日本政府を相手とする戦後補償を求める裁判を起こし、日本全国で講演活動も行っている。金さんら元慰安婦を支援し、この裁判の原告となったのが、韓国の戦争被害者支援団体「太平洋戦争被害者遺族会」(遺族会)である。そして、「遺族会」の幹部、梁順任さんは植村氏の義母、つまり夫人の母なのである。

 裁判の訴状にも、金さんは生い立ちについて『14歳からキーセン学校に通い、17歳で養父に連れられ中国に渡った』と書いた。植村氏が金さんの事情を知らないわけがない。しかし、誤報は訂正されなかった。

 朝日の特集には、植村氏の義母の「遺族会」幹部であることは書かれているが、金学順さんの裁判の原告団体であったことには一切、触れられていない。強調されているのは、取材源が挺対協で、遺族会とは別団体という事実だ。

 植村氏は取材の経緯について「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」とコメントしている。しかし、朝日新聞ソウル支局は、なぜ支局記者に取材させず、大阪社会部の植村記者に任せたのか? 特集はなぜ、金学順さんらの裁判に触れていないのかと疑問だらけだ。

 慰安婦問題を91年以来、追跡してきた西岡力東京基督教大学教授は次のように述べる。

 「そもそも、慰安婦を女子挺身隊の名で集めたというのが吉田清治氏のウソ証言だった。朝日新聞は吉田氏が著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(1983年)を出す前から記事で取り上げ、広めた。吉田氏が加害者で、金学順氏の登場は被害者の登場だった。これが国際社会に“日本の性奴隷”を世界に拡散させた国連人権委員会のクマワスワミ報告書の根拠に使われた。植村氏の記事はその発端だった。誤報というだけではない。義母の裁判を有利にするために記事を書いた疑いもある。私は、若宮啓文・前朝日新聞主筆慰安婦報道で意見交換をたびたび求めてきたが、若美氏は一度も応じてこなかった」

 大方の朝日慰安婦報道批判は、16度も取り上げた吉田証言について、朝日が一体どう考えてきたのか、植村氏の誤報記事をどう評価してきたのか-の回答だった。編集担当の杉浦信之氏は今回の特集の意味づけを大上段に『慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質です』と述べているが、読者の疑問には答えていない。