フライデーの日本会議記事 詳細解説
フライデーの日本会議批判記事
平成26年8月6日発売(8月22・29日号)写真週刊誌「フライデー」に日本会議攻撃の記事が掲載されている。
(以下引用開始)
安倍政権を完全支配する「日本会議」の正体(根底から暴く!)
安倍首相、麻生副総理含め13人の閣僚が名を連ねる右派組織。
女性蔑視ヤジ都議、ネトウヨと呼ばれる地方議員たちもこの組織に属している・・・・旧日本軍参謀らが創設
「安倍政権が誕生したことは、憲法改正への千載一遇、絶好の機会です。われわれの悲願、英霊の悲願がかなうのです。私たちは憲法改正のため、国民の啓発運動に立ち上がっていきたいと思います。ご協力、よろしくお願いいたします!!」
壇上の男がこう叫ぶと、会場は大きな拍手が響いた。8月3日、福岡県の福岡国際ホール大ホールで行われた「英霊顕彰・県民の集い」。終戦から69年目の夏を迎えるにあたり、「大東亜戦争」で亡くなった人々を追悼するというこの会では、先の戦争で日本はアジア開放のために戦ったことや、いますぐに憲法を改正すべきだという主張が延々と語られた。会場には400ほどのイスが用意されていたが、すぐに満席となって増席、最終的には500人近くで埋まった。
この会を主催した団体がいま、注目を集めている。「日本会議」。「誇りある国づくり」を目的とする任意団体で、会員数は全国に約3万5000人、総支部数228を誇る。この団体がいま、安倍内閣の“後ろ盾”となり、憲法改正と国防力の強化に邁進している。「日本会議」とは、一体何なのか―。
「日本の歴史や伝統を守ることを目的に、1974年、主に神社本庁などの保守系宗教団体によって構成されたのが『日本を守る会』、保守系文化人や旧日本軍の関係者などが中心になって1981年に発足したのが『日本を守る国民会議』です。両者の憲法観、歴史認識はほぼ一致していたので、日本の伝統回復、憲法改正のために大きな団体を作ろうと1997年に統合した。初期の日本会議の幹部は、旧日本軍参謀の故・瀬島龍三伊藤忠相談役らが名を連ねていました」
現在の役員には、神社本庁の総長、神道政治連盟常任顧問、霊友会常務理事、靖国神社宮司、黒住教教主ら巨大宗教団体の幹部、ブリジストン関連会社の元社長ら財界人、東京大学名誉教授ら学者、そして保守系ジャーナリストなどの名前が並ぶ。機関誌「日本の息吹」では、「南京虐殺はなかった」「東京裁判は誤り」「首相の靖国参拝を」といった主張を展開。「教育改革」も大きなテーマの一つで、これまでの歴史教育を“自虐的”と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」の活動を支援してきた。
日本会議の特徴は、国会議員と強いつながりを持つことだ。日本会議を支援する「日本会議国会議員懇談会」には、289人もの国会議員が参加する。懇談会メンバーである自民党中堅議員が明かす。
「積極的に献金したり、パーティー券を買ってくれるわけではないが、この懇談会に参加していないと、保守議員と名乗ってはいけないような空気が党内には漂っています。自民党本部には日本会議のイベントの告知ビラが貼られていますし、党との結びつきも強い」
注目すべきは、日本会議と安倍政権の関係だ。麻生副総理をはじめ、閣僚19人中13人が「懇談会」に参加している。むろん、安倍首相も同懇談会のメンバーで、日本会議主催のシンポジウムやイベントに頻繁に参加している生粋の支援者だ。安倍内閣は「日本会議内閣」といっても過言ではないのだ。
安倍政権の政策ブレーン
「首相は日本会議のほうを向いて政治を行っているのでは、と思うことがある」
こう漏らすのは、官邸関係者だ。
「昨年2月、安倍さんは小泉政権時から議論されてきた、女系天皇を認めるという皇室典範の改正論議を白紙にすると発表しました。さらに、年末には靖国神社に参拝しましたが、これは日本会議へのアピールの意味が強かったのではないかと思います。いずれも日本会議が強く安倍首相に訴えて来たことです」
「2006年に発足した第一次安倍政権では『五人組』といわれるブレーンが活躍しましたが、そのうちの一人は日本会議の常任理事を務める(日本政策研究センター代表)伊藤哲夫氏でした。また、同じく五人組の一人だった高崎経済大学の八木秀次氏(現在は麗澤大学教授)は、日本会議で講師として活躍している。2012年12月に誕生した第二次安倍政権では、日本会議の代表委員を務める長谷川三千子氏をNHKの経営委員に任命しています。安倍政権と日本会議は切っても切り離せない関係なのです。安倍首相の著書『美しい国へ』(2006年刊行)を読めば、その歴史観、安全保障観、教育観が日本会議と大きく重なっていることがわかります」
「憲法改正の意義を説明するDVDの配布や街頭での署名活動などを積極的に行っています。日本会議は憲法改正のための『3か年構想』を描いています。今年は『全国に憲法改正の推進本部を設置』、来年は『憲法改正への国会発議要請運動開始』、そして2016年には『国民投票の実施』という流れです」
「朝日が日本を滅ぼす!」
今年3月、社会学者の上野千鶴子・東京大学名誉教授が山梨市で介護問題についての講演をしようとしたところ、日本会議地方議連のメンバーである望月清賢市長が、上野氏のこれまでの思想や発言に問題があるとして、講演を中止しようとして騒動になった。
今年6月、東京都議会で塩村文夏都議に向かって「早く結婚しろ」とヤジを飛ばした鈴木章浩都議も日本会議のメンバー。彼は2012年に尖閣諸島に上陸して、事情聴取された経験もある。同じく6月、新宿で集団的自衛権に抗議した男性が焼身自殺を図ったことについて、ツィッター上で「迷惑極まりない行為で明らかに犯罪」「マスコミはイカれている」とつぶやき、「ネトウヨ議員」と批判を浴びた小野寺秀(まさる)北海道議もやはり日本会議地方議連のメンバーだ。
彼らに共通するのは、自分と違った考えや意見を持つ人間を排除しようとする姿勢だ。8月3日の福岡ノイベントでも参加者からは「朝日新聞は日本を滅する新聞だ」「左翼団体に騙されてはいけない」といった言葉が飛び交った。前出の魚住氏は、安倍首相と日本会議の距離の近さに危機感を覚えるという。
(以上引用終了)
さて、少し解説を加えて置きたい。
【2017-6-9 追記】 その後の調査の結果 「美しい国」 というフレーズは、1950年代から神社本庁の機関紙 『神社新報』 から多数発見されている。
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65734319.html
政治評論家の有馬晴海は、
生長の家の政策部門の別働隊に日本政策研究センターがある。ここの伊藤哲夫所長こそ安倍首相のブレーンです。安倍首相の考え方はほぼすべて伊藤所長の考えと同じと考えていい。首相は生長の家の信者ではないと思いますが、その教えには心酔していると思います
内紛によって「新しい歴史教科書をつくる会」を追い出された西尾幹二(初代会長)は、その追い出された経由について、
「新しい歴史教科書をつくる会」なんてえらい被害を受けた。ひそかに会の幹部に生長の家活動家が送り込まれていましてね。新田均、松浦光修、勝岡寛次、内田智の4人で、それにつくる会の事務局長だった宮崎正治がいて、宮崎が日本青年協議会に関係あることは知っていましたが、彼らがみんな生長の家信者の活動家で芋づるのようにつながっていることはある時期までわかりませんでした。このうち松浦氏ひとりは生長の家活動家ではなかったとも聞いていますが、4人が一体となって動いていたことは間違いありません。宮崎事務局長が別件で解任されかかったら日本会議本部の椛島有三氏が干渉してきて、内部の芋づるの4人の幹部と手を組んで猛反発し、会はすんでのところで乗っ取られかかり、ついに撹乱、分断されたんです。悪い連中ですよ(『保守の怒り』p263~264)
と書いている。
そしてこう言う。
*西尾は、「日本会議」に取り込まれたらしく 2002年の「設立5周年」では「十全の働きを示した」と懸命に持ち上げている。http://www.nipponkaigi.org/voice/5years/kakkai
神道系宗教である「生長の家」は、住吉神を主神とし、教義的には唯識論、大本教、クリスチャンサイエンス、野口整体などに影響を受け、モノの世界への思い込みから意識を脱する事が病を治すという治病型新興宗教である。
初代谷口雅春の時代、軍国主義に単に協力しただけではなく積極的に加担、「お国のために死ぬ事」を美化してきた過去を持っている。しかし2代目清超は大日本帝国の戦争を「侵略行為」として認める歴史観にチェンジした。これに関して三代目総裁谷口雅宣のブログ「小閑雑感」によると
「このお話から四半世紀--25年がたちました。多くの信徒の方は、このお言葉の重要性を理解し、納得してくださったのですが、一部にいまだに理解不十分な人がいて、生長の家は谷口雅春先生の時代とまったく同じ行動をし、生長の家総裁は雅春先生と一言一句同じことを繰り返さねばならないと主張している」
と雅宣氏は述べているが、この対立グループの方が様々に活動している。
そしてこの対立グループは、日本会議や「つくる会」で暗躍中だということだ。もはや出身母体である「生長の家」など関係なく日夜「侵略なんかじゃない」と歴史修正に励んでいる。そういうわけで「生長の家」の総裁である雅宣は日本会議の理事にさえなっていないようだ。
日本会議に参加する宗教団体
田 中 恆 清
高 橋 明 秋 本 協 徳
稲 山 霊 芳
稲 山 霊 芳
德 川 康 久 黒 住 宗 晴
関 口 德 髙
髙 城 治 延 瀧 藤 尊 教
武 覚 超 比叡山延暦寺代表役員
長曽我部 延昭 神道政治連盟会長
神社本庁総長 |
霊友会常務理事 |
新生佛教教団最高顧問 |
念法眞教燈主 |
念法眞教燈主 |
靖國神社宮司 |
黒住教教主 |
佛所護念会教団会長 |
神宮少宮司 |
和宗総本山四天王寺第百五世管長 |
解脱会法主の岡野聖法が、2002年の「設立5周年」で「まことに心強く心から賛同する次第であります。」と全面的に賛同しているのも見逃せないところだ。また同日、明治神宮宮司外山勝志は、「・・・戦後日本は、わが国全体が占領下にいわば“拉致”されて、異質の文化・価値基準の世界になじまされ、洗脳され乍ら出発したようなものです。そのマインドコントロールからいまだ目覚めずにいる個人・団体・公機関が、本来の日本とは埒外の“戦後日本”の精神風土をきづいてきてしまいました」と述べている。http://www.nipponkaigi.org/voice/5years/kakkai
などの各氏が役員に入っている事も知って置くべきであろう。
こうしたところからも安倍政権との密接なつながりが分かるはずである。
先日掲載した東京新聞の記事では「(首相は)日本会議の方を向いて政治をしている」と観測が述べられていた。「夫婦別姓反対」や「在日の選挙権反対」「首相の靖国公式参拝」で成果をあげて来た日本会議が最大の力を行使してやり遂げようとしているのが「自主憲法制定」という名の「明治憲法の復活」である。まだ「国体」に未練があるらしい。
(全敬称略)
谷口雅宣のブログ「小閑雑感」による
日本が戦前、朝鮮半島や中国大陸に派兵したことについて、『新しい開国の時代』の40頁~41には、次のように書かれています--
「しかし本質的に言うならば、満州はどこまでも満州民族のものであって、日本のものではない。それ故、その利権を守ろうとすることは、日本が日本固有のものでないものにしがみつくことになる。これを満州民族あるいは中国人から見ると“日本が侵略している”という厳然たる事実とされる。それはもはや、日本がどんなに好意的な態度で善政を布いたとしてもさけることの出来ない“拒否反応”であることは、他人の心臓を移植した時と同じである。すべて拒否反応というものは、それを受け容れたら、死ななくてすむのに、生体は拒否することによって、死に到って尚かつ拒否するのである。
それは、そのような現象の奥にやどる“理念の生”の強烈な自己主張であるのだ。従ってその“生”こそ本来的なもので、“死”は外面的な現象に他ならない。しかし現象的には、死が発生する。これが満州事変の拡大となり、さらに支那事変としてより深刻化し、遂に大東亜戦争にまで発展して“死相”が全東亜に拡大した原因である」。
ここで先生がおっしゃっているのは、当時の国際政治の常識では、日本が朝鮮半島を植民地化したり、日露戦争でロシアに勝った日本が、ロシアがもっていた満州の利権を引き継いだりすることは許されてしかるべきだったが、それは“神意”ではなかったということです。人間社会においては、「民族自決の原則」はこの時代には国際的に認められていなかったが、それは本来的な“理念の生”の自己主張だった--つまり、臓器移植をする際に、他人の臓器を患者の体が激しく拒絶するのと同様に、他民族の支配を拒否するということは、国や民族が「生きる」ということの本来の在り方だったと述べておられるのです。しかし、日本は、「欧米各国がこれまでやってきたのと同じことをして何が悪いか」という次元でしか、国際政治をとらえられなかった。そして、大国として生きるために資源や権益に執着したのです。この「執着心」が戦争の原因だと、清超先生はハッキリと述べておられます。同じ本の58~59頁を朗読します--
「何故日本が、満州事変から支那事変さらに大東亜戦争へと引きずられて行ったか、その根本には、やはり日本が満州の資源や権益を非常に重大視して、それに執着したからであった。いや日本だけではありません。その当時、世界中の国々が自分の持っている資源とか権益を拡大する方向に進んで行き、植民地を作ったり、資源獲得の競争をしたりして、有限の資源をできるだけ早く手中に収めようという方策を執った。日本はその競争に少し出発が遅れたのですが、どういう訳か、満州という国土の資源が手に入った。これは元を正せば、満州と朝鮮半島を侵略したロシアの持っていた財産を、日露戦争で日本が受け継いだからであるが、その満州の権益を日本は非常に大事に思い、それに執着しすぎたのです。その為にその権益が失われそうになると、満州にどんどん軍隊を増派した。当時から満州は日本の生命線であると内閣声明で謳っていたのであるが、天皇様は“満州事変は拡大するな”との御意思をお伝えになっていられたのであって、満州の資源を是非とも確保せよとは仰言っておられなかった。その食いちがいが非常に問題であると、私は再三にわたって各地の講習会で指摘しております」