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【強姦」から見た大東亜戦争史】 隠蔽された証言



下里正樹氏『続・隠された聯隊史』(P49-P51)より 


 こんなこともあった。

 京都府船井郡在住の元機関銃中隊員に電話した時―。

 私は北山日記にある武進攻撃の記述「戦友たちが残酷なことをした話をしている」をあげ、私の身分を明かしたうえで、「残酷なこと」とは何だったのか、とたずねた。

 とたんに、受話器の向こうから猛烈な勢いで返事がかえってきた。

「そら戦争やさかいな、ようけあったわ。武進でわしが見たンは、家の中に隠れとった母親と姑娘やな。娘やってまえ! と(兵士が)手ェかけたら、母親が(服の)前をはだけよンね・・・

自分をナニして娘は助けてやってくれェと、まあこういうわけや。かまわん、二人ともいてこませ、いうて、真っ裸にして、五人(の兵)でかわりばんこにナニしてからに・・・

終わってからや、川のふちに連れていって、ニイコ(中国兵)の残していった手榴弾を二人の股倉に突っ込んで、ボン! いわせて、ほンならもう、へそから下がワヤになりまんが」

一気にここまでをまくし立て、

「ところであんた、どなたさん? 新聞関係の人? そらあかんワ。いまいうたこと、取り消しや。書かれたら、どもならん」。 あとは何をたずねても「取り消しや、もうかんべんして」のいってんばりであった。






高崎隆治『戦争と戦争文学と』(P56-P58)より 

 とはいえ、あの戦争下にそれが風聞として一部の国民の耳に入らなかったということはあり得ないわけで、当時中学生であり生活範囲の狭かった私でさえも、 横須賀に住む友人の口から友人の家に下宿している海軍の下士官の話として強姦について聞かれたことがある。

 もっともそれは、二、三人の下士官が酒を飲みながら話しているのを立聞きしたということで、 友人の憶測も入っているようであったが、しかしそれはまぎれもなく上海戦線での強姦―というよりは海軍の下士官・兵による輪姦であった。

 そしてどうやら女性は殺されたらしいのだが、驚いたことに被害者は一人ではなく三、四人またはそれ以上の複数であったことだ。 もちろん、アルコールが入っていたことで、下士官たちの誇張もあったのではないかと思われるが、正義を唯一の価値とする中学生にとってそれは言葉を失うほどの衝撃であった。


 ついでにもうひとつの話を手短かにつけ加えれば、戦争末期の学徒兵であった私は、ある夜下士官の一人と班内で話し込んでいたのだが、その時、少し離れた部屋の隅で 、応召の上等兵が初年兵を集めて日中戦争時代の自慢話をしていた。

 部隊の年配の応召兵のほとんどは二度または三度目の召集で、その多くは南京戦に参加していたのだが、次第に調子に乗った上等兵はやがて身振りを交えて強姦の話を始めた。

 すると突然、私と話していた下士官が、「T上等兵、つまらぬことをしゃべるな」と怒鳴った。その下士官とT上等兵はかつての戦友だったのだが、 上等兵が、「おまえだって同じじゃねえか」と斬り返すように言ったことで班内は騒然となった。

 上等兵は駆けつけた下士官たちに袋叩きにされ、その後まもなく転属になってしまったが、打ちのめされながらわめきつづけた上等兵の声はいまも私の耳に残っている。 彼は同じ中隊の何人かの伍長や兵長の名を挙げて「みんなやったじゃないか」と叫んだのだった。

 ようするに強姦は彼等のタブーだったわけだが、上等兵がそのタブーを知らないはずはなく、また上等兵に名前を挙げられた者たちも、遂に最後までそのことに関してはしゃぺらなかった。

 しかし、学徒兵であった私は、かつての中学生の時のように驚きはしなかったが、日本軍兵士の少なからざる部分が南京戦でなにをやったかほぼ推測することができた。