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慰安婦問題の黎明期を探る

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      慰安婦問題の黎明(ゆりかご)期

つまり、まだ元慰安婦の方たちが名乗り出てくる前の話だ。

今、振り返ってみると、1990年、91年は彼女たちが名乗り出ることのできる土壌造りの時代だったと思う。

なぜ、土壌造りが必要だったかと言えば、日本も、韓国も、他の国もそれを受け止める準備ができていなかったからだ。特に儒教道徳の強い韓国では、もし何もない状態で被害者が名乗り出ても、事情がよく分からないまま名乗り出た彼女たちにむしろ強い批判・非難があっただろう。

そこで1990年韓国でハンギョレ新聞』で尹貞玉(梨花女子大学教授)による「"挺身隊"怨念の足跡取材記」というルポが連載され反響を呼んだ。 こうしてその土壌を造り始める。一方当事国日本では朝日や読売なども書いていたが、それよりも国会の質疑がなされていた。

労務動員に関係する戦後補償の問題と絡みながら1990年代初頭の「慰安婦」問題黎明期において、「慰安婦」の存在に少しづつスポットライトが浴びせられ、同情心が生まれ、慰安婦が名乗り出てきやすい土壌が造られたのである。

そこで91年の8月14日 最初の元慰安婦金学順さんが実名で名乗り出たのである。



             質疑
この時代一番頑張っていたのは社会党であり、この後最盛期を迎え、始めて政権政党となるが、やがて矛盾点が露呈し、ろうそくの炎が一瞬輝いて燃え尽きて行くような運命にあった。
「名乗り出」の後、国会での慰安婦質疑は本岡昭次共産党吉川春子議員が中心となって行うようになる。


           竹村泰子質疑
それはともかく平成02年05月30日の竹村泰子質疑では、「アメリカが日系人の強制収容に関する賠償法を成立させ、千九百五十億円賠償をしたこと」を引き合いに出しながら、強制連行の賠償請求が来た場合にどうするのか?・・・とたずねている。

この質疑で最も興味深いのは、「韓国の太平洋遺族会という方たちが九〇年の四月においでになっておりますが、このときに軍属、軍人の名簿はあったと厚生省は認めておられますけれども、公開は拒否していますね」という竹村の指摘に対して、日本政府は「名簿の提示はできない」と答えているところである。

          吉岡吉典が質疑
6月1日の内閣委員会では共産党の吉岡吉典が質疑し、荒舩清十郎の話を出している。

(この内閣委員会には、後に「慰安婦は売春婦」と発言した自民党の板垣正議員も出席していたので聞いていたはずである。)

            本岡昭次質疑
それから問題の6月6日で、この時の予算委員会 - 19号 で、当時としては調査力が抜群だった本岡昭次議員の質疑がなされ、日本政府が、「やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いている」と答えたので、この後しばらくの間、【軍の関与】というテーマが論争された。しかしやがて吉見義明教授の登場によって日本政府は言逃れができなくなるのである。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64869634.html

また金学順さんが名乗り出たのは、この答弁のニュースを知り、反発したからだともいう。
そういうわけで、この質疑が初期のエポックである。

本岡昭次議員はその後民主党に移り、2004年に引退するまで、「慰安婦」問題をいわば天命として追及した。後に民主党が政権を取ったときまでもし本岡が引退しないでいたなら、その時「慰安婦」問題はもっと解決に近づいただろう。従軍慰安婦に関する戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案』は本岡が造ったものだ。






これは平成07年11月09日 法務委員会での本岡質疑
4年前の質疑において政府がろくに調べなかったことを述べている。
本岡昭次君 
その一つが、先ほどちょっと嫌みになったけれども見せた、こういうことなんですよ。本当にやる気があるのかないのか、私は疑っているんです。
 なぜならば、私が一九九〇年六月にこの従軍慰安婦問題を予算委員会で取り上げたときに、まず政府の答弁は何であったかというと、そんなことは知りません、民間人が勝手に連れ歩いたんでしょうと、こう逃げたんですよ。そんなことはないと言ったんだけれども、政府は調べないんですよ、調査をしない。仕方がないので私たちがやったんですよ、民間人の人たちが。
 私だって、あなた、GHQの持っている資料をアメリカの公文書館の中から、そういう探す力のある人の協力を得て探し出して、そして政府にこれは何ですかと。アメリカの捕虜が沖縄からハワイヘ連れていかれたと。しかし、その捕虜と言われておる人の中に女性の名前があるじゃないかと。その当時、日本軍は女性を軍人にしていなかったはずだと、その女性とは何だと、これは恐らく従軍慰安婦ではないかと言ってこうやる。そういうことで仕方なく渋々と政府は調査に乗り出したんですよ。そういう経過がありますから、本当に皆さん方があるべき資料、出すべき資料を全部出し切ったのかということに対して私は疑問を持つんです。
 しかし、それは無理からぬと思うんです。厚生省やいろんなところへ頼みに行ったら、先生こらえてくださいと。今でも手いっぱいなのに、先生が言われるように、そうしたら、倉庫へ入ってわあっとかき回して見ている間に、私の責任ある仕事はだれがどうしてくれるんですかと、こう言われるたら私もつらいです。
 だからこれは結局、この従軍慰安婦問題の真相を解明するためには、真相を解明するための特別のチームを組むなりそのためのやはり組織を一つ設けるなりして、そしてそのことだけを専任する人を集めてやらなければ、さあ厚生省だ、法務省だ、外務省だという縦割り行政の中でそれぞれある資料を出してきなさいとやったって、だれがそれでは本気になって集めるか。集めたら、ようやったと言って、おまえはよう集めた、課長にしてやるわと、そんな問題でもないでしょう。むしろ出してきたら、おまえ、要らぬものを出してくるなというぐらいの状況じゃないかと私は見ておるんですよ。だから、本気になってひとつやっていただきたいと思うんです。
 そこで、最近日本を訪問した、この従軍慰安婦問題についての特別報告官のラディカ・クマラスワミさんという方がおいでになりました。これは国連の人権委員会の公式の調査団であり、ある人に言わせると、国連から正式の調査団が日本を訪問したのはリットン調査団以来のことだと、こう言う人もありますが、しかし正式の国連の人権委員会の調査団であったことは間違いない。
 この方が一週間ほど日本に滞在されて、この従軍慰安婦問題をずっと聞き取りをなさいました。法務省にも行かれた。そのときに、ラディカ・クマラスワミさんは、先ほど私が言いましたこのグアムの資料ですか記録ですか、そういうものが法務省にあるんではありませんかと言って尋ねられたところ、対応した人がそのことについて精通されている方でなかったということもありました。何かわかったようなわからぬようなことで、この資料は結局ないということになって、その後、国連の正式の調査団に対して法務省が資料の提出を拒否したという形になったようであります。
 私はこれは人ごとだと思うんです。先ほど聞きますと、いやそうじゃないと、後できちっとおわびをして前後関係を説明して正式の報告をクマラスワミさんにしたと、こうおっしゃいました。それはそれでいいでしょう。しかしながら、事実、グアムの資料がないのかというと、たとえあなた方の言うこれは公式の記録ではないんだとおっしゃるにしても、こういうのがあるんですよ、これ。記録か資料かというと、皆さん方は、いやそれは記録ではありません、資料ですとおっしゃるそうですね。ようわからぬですね、記録と資料がどう違うのか。しかし、あることは間違いないと思うんです。
 そして、ここに国立国会図書館のこうしたGHQから日本に渡されたこの資料がある。だから、こういうものをきちっと国連の調査団に、要請された以上、要請に誠実にこたえていくのが今の法務省の立場じゃないかと私は思うんですが、いかがでしょうか。


ネトウヨの「慰安婦」神話つくりでは、慰安婦問題の黎明期は、「朝日ガー、強制連行を捏造シテー、吉田清治ヲ書イテー」とか「福島瑞穂が捏造シテー」になっちゃうのだが、彼らの主張は、西岡力たちに扇動されたまったくのデタラメである。吉田清治は国際社会においてほとんど相手にされていないだけでなく、河野談話を作成した過程で、日本の官僚たちも信用しなかったのである。影響はごく微量であり、さらに「福島瑞穂の捏造」などと言えるものは存在していない。
このブログですでに述べてきたことだが、「福島の捏造」は存在しないが、「福島への桜井よしこの捏造」は存在している。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64317277.html