研究会「慰安婦問題にどう向き合うか」を報告(前半)
3月28日、本日東京大学駒場キャンパスで、「慰安婦問題にどう向き合うか 朴裕河氏の論者とその評価を素材に」という題名の研究会が開かれた。面白いことにこの研究会は朴裕河擁護派と批判派の討論形式で行われている。提案者は、強制連行の研究で名高い東京大学外山大教授であった。
討論に参加した人達
A
『帝国の慰安婦』擁護サイドから意見を述べ、コメントしたのは、「54人抗議声明」をした中心メンバーである西成彦(立命館大学先端総合学術研究科)教授や上野千鶴子(立命館大学大学院先端総合学術研究特別招聘)教授、同じくフェミニストで上野の弟子である千田有紀(武蔵大学社会学部)教授やアジア女性基金で論文も書いている浅野豊美(早稲田大学政治経済学部)教授も意見を述べていた。他にもいたがそれはおいおい紹介して行くことにしよう。
ここで擁護派と書いたが、細かく見れば意見は違うようだ。しかしハルモニたちが訴えた朴裕河氏に対する刑事告訴を「韓国検察(政府)による言論弾圧」として捉えるという、いわば現実修正主義者である事は共通している。なるほど新聞にはそんな盲説が多く載っているが、それはまさに盲説・盲論の類である。「朴裕河氏は韓国の国家権力によって弾圧・迫害された英雄的人物である」というイメージに沿って作りだされた神話を全国紙がこぞって宣伝した・・・・というだけなのだ。この「朴裕河氏は韓国の国家権力によって弾圧・迫害された英雄的人物である」というイメージは、『帝国の慰安婦』というハシにも棒にもかからないような著作を過大に評価する人々が共有している共同幻想である。
それはこのブログでも繰り返し述べて来たし、この日の最後のやりとりからも分かる。上野千鶴子氏と梁澄子氏との論争になり(これについては後半詳細を)、そこで上野氏は「刑事告訴をしたのは韓国の司法だ」と述べたのだが、すぐさま会場から「違う」という声が飛んだ。当たり前の話だ。それに対して反論もできない上野氏は、急に「忙しいから」と言い始め、そそくさと会場を去ったのである。18時23分の出来事であった。「逃げた」と言えるだろう。言逃れは不可能だという事はよく分かる。
なかなか優れた論文も書いている歴史学者・浅野氏までもが、こうした盲言を信じてしまうのがこの国の病弊なのではないだろうか?浅野氏も「54人抗議声明」に入っているのである。入っていると言う事は、ハルモニたちの訴えを無視して「刑事告訴をしたのは韓国の司法であり、言論弾圧だ」と思っているということだろう。(浅野氏は元々、あの「日本教育再生機構」顧問の歴史学者伊藤隆氏のゼミ生であり、藤岡信勝らの乱入にもあまり闘う力がなかった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65283705.html)
これについて、もう一つ特筆すべきことがあった。討論の結果、「54人抗議声明」の一員であった本橋哲也(東京経済大学コミュニケーション学部)教授が「署名したことを反省する」と表明し、賛同を撤回したことである。本橋氏は「元慰安婦の方々の名誉が傷ついたと思えず」の一文は傲慢だと述べていた。非がある事を潔く認める態度を久しぶりに見たように思う。
他の人達も少しずつ意見を変えていくだろう。正論は彼らには無いからだ。上野氏でさえもはや「刑事告訴をしたのは韓国の司法だ」などという盲言を発することは難しいであろう。
朴裕河氏の『帝国の慰安婦』は、それを批判する事によって正しい認識を喚起する材料である。そういう意味では朴裕河氏にも感謝はできるのだが、ただし内容はデタラメであって、この日の焦点の一つは、「『帝国の慰安婦』ははたして学術研究と言えるか?」であったと思う。
B
『帝国の慰安婦』批判は、鄭栄桓(チョン・ヨンファン)(明治学院大学)准教授、小野沢あかね(立教大学)教授、梁澄子(ヤンチンジャ)(全国行動共同代表)、金富子(東京外国語大学総合国際学研究院)教授、吉見義明(中央大学)教授らによってなされた。我々にとっては当然だが、『帝国の慰安婦』を金字塔のように考える人々にとっては厳しい批判だったかも知れない。
私の印象に残ったのは、「『帝国の慰安婦』は、読んだ人が好きなような解釈ができるような書き方をしている」という指摘である。この指摘は重要である。この著作は研究書というよりも宗教書ではないかと感じるからだ。
小野沢あかね氏は『帝国の慰安婦』の『からゆきさん』(森崎和江)引用の問題点、日本人慰安婦の恣意的な引用を指摘し、西氏に対して「先行研究を乗り越えると西さんはいうが、『帝国の慰安婦』には文脈を無視した引用があるのか?ないのか?」と質問していた。
これに対する西氏の答えは「御理解ください。朴の本を足がかりに乗り越える研究が始まっている。」というよく分からないものだった。すでにそれなりに長い慰安婦に関する歴史研究をまるで理解していない西氏は『帝国の慰安婦』を研究史の中で金字塔のように位置づけている。レジメにも
『帝国の慰安婦』・・・が無かった時代の状態まで歴史研究を後退させるのは断固反対します。
金氏は『帝国の慰安婦』は「多様性を示したのではなく、政治的メッセージである」として、「ありもしない証拠を造り出している」「学術的著作に価しない」と指摘し、その一例として朴氏の<「少女イメージ」批判>に言及した。
朴氏は『帝国の慰安婦』のp63~p68で、『捕虜尋問49号』や挺対協の証言集『強制5』を挙げながら、少女のイメージは作られたものとしている。
『捕虜尋問49号』資料についてはこのブログhttp://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150222/1424584279の指摘の通りなので、飛ばして『強制5』を言及しよう。
朴氏が例示した『強制5』p95には、「・・・・年齢は大体20歳、21歳、一番上だと25歳、30歳が一番上だったね」という証言がある。しかし金氏によると証言集『強制5』に証言している9人全員が未成年時に連行されたのだという。また6冊の証言集全体では、78人のうち73人が未成年時に連行されているのだというのだ。
結局のところ、朴裕河氏は自説に都合のいい部分を切り取って、論説を展開したというしかない。それにしても研究が浅すぎる。
それもそのはず、金氏によると朴氏のそれは「上野千鶴子の唱えた「無垢な少女像批判」の実践」だそうだ。つまり上野氏が与えた答えを証明するために根拠を集めたのである。そういうところがネトウヨや安倍たちと非常によく似ている。自分が政治的な主張をしているのに、相手を政治的主張だとして非難するのも同じである。
吉見義明氏は「朴氏は、しばしば資料や証言が語っている事とは逆の結論を導き出しており、この本は研究書として失格だ」と述べた。それはたとえば、朴氏が書いた次のような文章である。
「(外出が)たとえ「二三カ月に一度」程度のものだったとしても・・・それは外出や廃業の自由が無かったとするこれまでの考えをひるがえすものだ。」
(『帝国の慰安婦』p94-p95)
しかし論拠となっている証言はこうである。
「位の高い軍人が許可してくれると、外に出ることが可能でした。・・・私たちだけではだめです。軍人と一緒に車に乗って行くのです。」
(『帝国の慰安婦』p95)
つまり外出は「許可制」なのだから、「自由ではない」・・・というしかないのだが、これが朴氏によって真逆に解釈されているのである。
同じく『帝国の慰安婦』p95には「廃業の自由があった」と書いているのだが、その論拠となる資料には「部隊長が働きかけて私を故郷に帰らせてくれた。・・・(略)・・・病気になり期限も満たしたので、出て行くという公文を造ってくれた。」と書いてある。これを「廃業の自由」の証拠とするなんてどうにかしている。そこで吉見氏は、「朴氏は自分の主張の論証ができていない」と指摘したのである。
さて批判側が繰り広げた個別具体的な批判に対して、これに対応する具体的な反論はまったくなかった。
当たり前のことではある。西成彦氏や上野千鶴子氏らは、元々慰安婦問題を研究したこともない人々だからである。上野氏の慰安婦論のデタラメさについてはすでに吉見氏によって指摘されている。http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2014/07/19/222810
西成彦氏は「鄭さんの批判はどんな展望があるのか?」「『帝国の慰安婦』出版以前に引き戻そうとするのではないか?」と問いかけていたが、この問いかけはあまり意味があるものではないだろう。すでに述べたように西氏による『帝国の慰安婦』の評価は極めて高いが、その評価自体が否定されているのである。
(つづく)