河野談話を守る会のブログ2

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朝鮮半島に横行し始めた女衒(=人買い)たち

 
政治家達の中には、「当時、公娼制度があったのだから、売春は認められており、たいした問題ではない」と言う者もいる。
しかし、その公娼制度を朝鮮半島に持ち込み、女衒が暗躍するようになったのは、まさに大日本帝国のやった事だったのである。
以下、天皇朝鮮人総督府金一勉著からの引用である。
 
 
 
 

 
 
朝鮮では古くから歌舞を専業とする妖生(キーセン)という存在があったとは言え、淫売が本業ではない。また日本の遊郭のような大規模な人肉市場も存在しない。朝鮮で「遊郭」「青桜」「花柳界」とかいう名称はすべて伊藤博文以後、日本人が持ち込んだものである。
伊藤統監時代から急速に増えたのは、日本人の遊郭(女郎屋)経営と花柳病の蔓延だろう。多くの朝鮮青年が”亡国の恨”から、希望を失って退廃気分になり、酒色に溺れかかる傾向にあったのは確かで、結局各地に青桜が繁盛するようになった。ちなみに統監府の統計年表によると、朝鮮に渡った日本人娼婦・酌婦の数は次ぎのようになっている。
 
1906年 2947人
1907年 2675人
1908年 4253人
1909年 3953人
1910年 4417人
 
「合併」を機に、日本各地から女郎屋が多数乗り込んで来た。遊郭業者が多く進出したので、1911年5月、各道の警察部令として「芸妓・娼婦・酌婦取締規則」なるものが出された。5年後の1916年3月には、警務総監令第4号で「貸座敷(遊郭)娼婦取締規則」を発布した。
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とにかく朝鮮の都市に公然と遊郭が登場したのは日本人の登場以来の事で、朝鮮各地に娘の人身売買が公然と横行した。
日本人の居住地で知られる京城の新町、釜山の緑町、平壌柳町、太田の春日町などには数十軒から数百軒を数える遊郭が設けられ、地方の小都市にも十数件の青桜が軒を連ねた。
 
天皇朝鮮人総督府金一勉著、P37~38)より