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強姦から見た大東亜戦争史(14) 強姦された後に強姦所(レイプセンター)に投げ込まれた・・・

慰安所生活は強姦から始まった・・・・にもかかわらず「強制が無い」なんていうバカがいるのが恐ろしい。
 
 
慰安所に放り込まれた朝鮮娘達のほとんどが、男を知らない無垢な娘達だった。
 
その娘達を騙して慰安所に連れて行き、強姦したのである・・・



証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち [単行本]
韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会 従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク 

 

 
以下、『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(1993年)より
 
金学順 キムハクスン1924~
 
   ・・・・するとその将校は・・・・「スパイじゃないのか?こっちへ来い」と言って
養父を連れて行きました。
   姉さんと私は別の軍人たちに連行されました。・・・・・
 
   少し時間が経って昼に養夫をひっぱって行った将校が部屋に入って来て、
私を布で仕切った隣の部屋へ連れて行きました。・・・・・・抵抗しましたが、服は
みな引き裂かれてしまい、結局その将校に私の処女を奪われてしまったのです。その夜私はその将校に2回も犯されました。・・・・・・(P46)
 
   それから「ぞっとする慰安婦生活」が始まったのだ・・・・
 
 
黄錦周 ファンクムジュ(1922~)さんもやはり、、日本人班長婦人に「軍需工場で」と誘われ、戦地に送られ、将校に強姦された。
 
   「半月ばかりは、1日に3,4回づつ将校に呼ばれる。来たばかり
の女は新物という事でしばらくの間、将校だけの相手を」だという。
また将校がコンドームをつけないので、「妊娠した女が多数いた」
証言している。(P106)
 
 
 文必基 ムンビルギ(1925~)
 
日本人の手先の50歳くらいの男性に「勉強もできて、お金も儲かる」と言われ、満州へ。軍医に強姦される
 
   「1円ももらった事は無く、軍人と争うとひどく折檻された。自分の
要求をそのまま受け入れないと言って暴れる軍人がいた。」
    1度淋病に感染。
 
 
李容朱 イヨンス(1928~)
 
国民服に戦闘帽の日本人の赤いワンピースと靴をもらい
 
   船酔いしていて「その時、一人の軍人がどこかに私をひっぱりこみました。・・・・必死で逃れようとしました。けれども殴りつけて力ずくで閉じ
 ようとする軍人の力に、幼い私の力はおよびようがありません。その
ようにしてその軍人にひきづり込まれ、強姦されました。それが誰だっ
たのかも分かりません。」  (P136)
 
 
文玉珠 ムンオクチュ(1924年~)
 
路上で巡査に連行され
 
    「・・・・この時になって私たちは先に来ていた女たちがなぜあんな
に悔しがっていたのかわかりました。私はこの日貞操を奪われたの
です。目の前が真っ暗になり、正気を失って泣いてばかりいました。」
 (P164)


李順玉 イスノク  (1921~)

「紡績工場に行く」と騙され

   「初めての時は嫌で嫌でたまらず、ひどく泣きました。」
 
李相玉 イサンオク (1922~)
 
「日本の工場へ行く」という軍属について行く
 
 「初めて軍人の相手をさせられた時は恐ろしくて、悲鳴を上げながら逃
げまどいました。すると泣くなと言って殴られました」
     (P202)
 
 

李得南 イトクナム (1918~)

「ここより給料のいいカフェを紹介してやる」と騙されて

  「食事もせずに何日も泣いていたら、ある日突然、一人の軍人が部屋に入ってきました。驚いて逃げようとする私は捕まえられ、強姦されました。」
     (P217)

金台善 キムテソン (1926~)

「工場で働く」と騙され

     「いきなりたくさんの男から強姦されたので陰部が痛くて」
    (P247)


崔明順 チェミョンスン (1926~)

「日本で就職」と騙され

    軍人スハラに強姦される
    「それが終わってから、私は自分が犯されたことを知りました。」
    (P274)


 徳景 カンドクキョン (1929~)

女子挺身隊一期生として来日→逃亡→軍人(3つ星階級章のコバヤシ)に捕まり強姦され、慰安婦

   「男を相手にするという事がどういうことかも知らず、恐ろしくて抵抗
もできずじまいでした。」(P292)

 頭理 ユンドウリ (1928~)

巡査に呼ばれ、「いいところに就職させてやる」と言われて


    ・・・中に入らず「なぜ来いとおっしゃったのですか」と尋ねると、
        何をごちゃごちゃ言ってるんだと大声をあげました。必死で抵抗
        しましたが、結局犯されてしまいました。何日間か陰部が痛くて
       襲いかかる軍人を拒みましたが、そのためにひどく叩かれました。」
       (P305)