強姦から見た大東亜戦争史(13)・・・・レイプセンター
「アモニタ・バラハディアは、42年頃、イザベラ州サンチャゴ(フィリピン)の守備隊に連行され、監禁強姦された。その時抵抗して殴られ、左耳から液が出て、よく聞こえなくなった。部屋には簡易ベットと机・タイプライターがおいてあったが、将校はベットで眠り、彼女は床に寝かされた。約一週間後、そこから逃げ出し、鉄条網をくぐり、這うようにして母の家に帰ったという。・・・・」
(吉見義明 『従軍慰安婦』 P151)
我々はこういうのを強姦所(レイプセンター)と呼ぶことにしよう。ただ強姦しただけではなく、身体障害まで背負わせている。何億円払えば許していただけるだろうか?お金の問題などであるはずが無いだろう。いかなる形でも補償しなければならない。ところが日本政府は、補償を拒否し民間委託にしてしまった。
そしてぬけぬけと「20世紀におきましては、人権侵害が・・・我が国も無関係ではない・・・・」などと演説してごまかす。
なんじゃそれは?
当時の記録を調べるとこうした例が非常に多い。
もちろん安倍はこう言うのだろう。「それはただの軍規違反の事例である」と。
だが、その事例が山のようにある場合、例外的な軍規違反である、などとは言えない。もちろん有名なスマラン事件もその一角だが、この事件の犯人として裁かれた人間には、終戦時の陸軍大佐や中将までいたのである。つまり軍の作戦行動を指揮する連中が引き起こした事件であったと言えるだろう。
「重い身体でわたしにおおいかぶさり、押さえつけました。必死になって 抵抗し、蹴ったり、引っ掻いたりしましたが、相手はあまりに強すぎま す。レイプされる私の目から涙がとめどなく流れました。・・・・その夜別 の数人の軍人にも強姦された。・・・・・」
(ジャンヌ・オフェルネ『レイプされた女の叫び』スマランでの体験)
これが、軍の責任が無いとするなら、つまりは、軍の最高責任者であった天皇が、印鑑を押さない作戦には責任が無いと言いたいのだろうか?
ある大隊が建物を接収し、少女を狩り集めて慰安所を造り、逃げられないように見張りの兵を置いたとすれば、それは誰が見ても軍の命令系統による作戦行動であろう。
それでは、ある大隊が建物を接収して、業者に女を連れてくるように命じて、その業者が騙して連れて来た少女を将校が強姦し、その後、逃げられないように見張りを置いたような場合、それは軍の命令系統による組織的犯罪行動と言えないのか?
強姦するわ略奪するわの日本軍とヤクザ者の集まりやいわいる”匪賊”との違いはまったく存在していないように私には思える。