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騙して連れて行くのも「拉致」である

なぜか文章が途中で切れてしまっている。
不思議だが、もう一度書き直そう。




       騙して連れて行くのも「拉致」である

「騙された」という事について少し書いておこうと思うが、朝鮮半島においての慰安婦徴集のほとんどは、騙されて連れて行かれたのである。しかし騙して連れて行った事も、「拉致」に違いない事は、北朝鮮による拉致被害者である田中実さんや有本恵子さんの例と同様である。

慰安婦問題で慰安婦の強制連行を否定している人々には、古屋圭司国務大臣のように北朝鮮による拉致に憤慨する人達もたくさんいるが、拉致事件に「公文による命令書」が見つかっていなくても「北朝鮮による国家犯罪だ」と認定しているのに、なぜ「慰安婦問題」では、公文の命令書のような証拠が必要だと言うのだろうか?

そこには極めて”自己中心的な””ものの観方”が存在しており、被害者になった時には、公文による命令書など発見されていなくてもそれを非難するが、自分が加害者になるととたんにトーンを下げ、「公文による証拠がない」などと見苦しい言い訳を始めるのである。
そうした自己中心的な情念を「愛国」と彼らは呼んでいるが、それは「愛国」でも何でもない。ただの自己中である。

田中実さんは、勤めていた飲食店の店主に騙されたが、すると犯人はその店主なのであろうか?
もちろん、そうではない。命令が来たのであり、その命令の主が主犯である。
同様に慰安婦を集めるのは軍の意向であり、朝鮮半島や台湾ではその依頼・命令下に女性を集めたのである。
当時、戦争のためには全ての国民(臣民と言った)が、軍に協力しなければならないという総動員法下にあって、軍の意向に逆らえる人間などいないのである。国会議員でさえ軍部批判をすれば、非国民扱いされ失脚するような世情の中で、何の権力もない一般国民(臣民)がどうして逆らえるだろうか?
もし一般国民が軍の意向に逆らったとしたら、日本人であっても暴力をふるわれるか投獄されるかであろう。
ゆえに軍関係の要求は、一見「依頼」「要望」という形であっても強い強制を伴っていたのである。とりわけ、警察国家であった朝鮮半島では、警察は「不逞鮮人」の名目で簡単に投獄でき、さらに拷問を受けた例も多くあり、厳しい監視の中で朝鮮民衆は警察に従順であることを余儀なくされたのであった。
このような社会では「軍の依頼である」という事が強力な指向性として、総督府の役人や警察を動かし、その強制力を働かせたと考えるのが妥当である。

慰安婦は「公文の命令書が無いと認めない」が、「北の拉致は命令書がなくても認める」とい態度は、明らかにダブル・スタンダードであり、世界の国々に自己中な判断としか映らないだろう。第一次安倍内閣の時にニューヨークタイムズにそういう主張があったはずである。

秤を公正にして、同じ秤で測るべきであろう。

話を戻そう。

             挺身隊と慰安婦 

『中国に連行された朝鮮人慰安婦』と言う証言集がある。韓国挺身隊問題対策協議会が中国の湖北省武漢を調査し9名のハルモニから証言を得たのである。
その中の一人である朴ピリョンさんは、16歳から近所の紡績工場で働いたが、その紡績工場の主人に「よそで子守の仕事をしないか」と言われ、何百人かの女の子と共に天津につれて行かれ慰安婦にさせられたという。(P134)
また、易英蘭(ヨクヨンナン)さんの話はわかり辛いが、「工場に働きに行くのだ」と騙されたという。(P148)河君子さんも「工場に行く」と騙されて連れて行かれた。(P69)
朴莫達さんは、郷里を出る時にはご飯炊きの仕事だと思っていたが、軍の土煉瓦つくりの軍の建物の中で、ご飯もつくり服も洗濯したが、軍人たちは女たちを捕まえて慰安させられたという(同書P157)。
伊貞玉氏は、P17で、「朴莫達ハルモニの経験は、旧日本軍「慰安婦」をわが国ではなぜ今日まで「挺身隊」と呼んでいるかその理由を明らかにするものと言えよう」と書いている。同じような話は崔一礼さんの体験にもあり、崔さんは野戦病院につれて行かれたがここで、「軍人が望む時にはどこでもいつでも応じなければならなかった」と書いている(同書P157)。
そこで伊氏は「戦争当時”挺身隊”に出て行って、助手になれば、軍隊の洗濯や食事の仕事をしながら金儲けができると言われたが、実際は性奴隷とされたという話はこのような場合を指しているのである。」と述べている。








           挺身隊と慰安婦の関係=尹明淑氏の論文から




      
尹明淑氏の論文は、挺身隊と慰安婦の関係を分かり易く説明している。以下、掲載しておこう。



官憲や警察による徴集は、強制や暴力をともなう場合が多かった。同時に、軍隊慰安婦であることは知らせず、「挺身隊」、女工募集や軍需工場への職業斡旋であるかのように詐欺を働いていた。「挺身隊」は、様々な労務動員の歳に用いられた言葉であり、班長や区長の「介入」による徴集の場合、より強い強制力を発揮したであろう。
・・・人員動員のための様々な戦時政策が公布されていく時代状況は、官憲の「介入」による軍隊慰安婦の徴集のみならず、民間人徴集業者による徴集にも巧みに利用された。日中戦争後、朝鮮民衆のあいだでは、官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしているという「流言」が流布していた。民衆の「流言」は、マスコミとはほとんど無縁の生活をしていた朝鮮の大多数の民衆にとって、もっとも身近な情報源であった。また、「流言蜚語」「造言飛語」「不隠言動」という名で呼ばれた民衆相互の口コミは、生活実感からの「驚くほど鋭敏で、積極的な反応を示した」ものであった*1。民衆は、未婚女性の動員に対して強い不安や反感を持っていたのであり、徴集業者はこのような民衆の心理を巧みに利用したのである。
 当時の新聞には「徴用」の同意語として「供出」という用語が用いられており、一般民衆は未婚女性の動員を「処女供出」と表現していた朝鮮語で「処女」は未婚女性を指す総称であり、「供出」は官憲による強制的な動員を意味する言葉である。また、「挺身」という言葉自体の意味は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」であり「挺身隊」という用語は、男女の区別なく用いられ、特定団体を示す語ではなかった。「挺身隊」という用語が使用され始めたのは、1940年11月13日付け『毎日新報』に「農村挺身隊」の結成が報じられた記事のようである*2。また「挺身隊」は、「婦人農業挺身隊」、医師や看護婦を対象にした「仁術報国の挺身隊」、「漁業挺身隊」、文化、商工、報道、運輸、金融、産業などの32団体で結成されたという「半島功報挺身隊」というふうに、女性動員を含む、さまざまな人的動員に対して用いられていた
 「女子勤労挺身隊」、「女子挺身隊」、「勤労挺身隊」、「挺身隊」、「処女供出」という言葉がそく軍隊慰安婦を指す言葉ではない。しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した1990年代初めでも、一般民衆が「挺身隊」を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である*3朝鮮人のこのような認識がどこから由来したか確かではない。しかし少なくとも、当時の民衆にとって、「挺身隊」や「処女供出」は「徴用」と同義語であった。そして、「処女供出」を避けるため、家や村を離れて隠れたり、親たちは年頃の娘の結婚を急がせた。
 <表 5 - 1 >の「処女供出」という言葉から察せられるように、一般民衆の中に未婚女性の動員に関する情報が流れており、既婚女性なら「徴用」されずに済むと認識されていた。
 同表の「官憲介入」と「処女供出」欄にあるように、「国のため」の勤労動員や「挺身隊」であると脅迫されて徴集されたり、逆に、「挺身隊」を逃れることができるという詐欺で徴集されたりした。慰安婦の徴集は「挺身隊」の名の下で行なわれたのである。


*1 宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』11~49頁(未来社、1985年)
*2 余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁
*3 「女子挺身勤労令」の資料が一般にも広く知られるようになった90年代初頭には、同法令が軍隊慰安婦の徴用のための法令として認識されることさえあった。(1)姜萬吉「日本軍『慰安婦』の概念と呼称問題」13頁(韓国挺身隊問題対策協議会真相調査研究委員会編『日本軍「慰安婦」の真相』歴史批評社、1997年)、(2)余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁、(3)韓百興『実録女子挺身隊、その真相』(芸術文化社、1982年)、(4)韓国史辞典編纂委員会編『韓国近現代史辞典』(カラム企画、1990年)、(5)李炫煕「今年度の韓国近現代史の争点・1992年4月~9月」199~204頁(韓国近現代史研究所『争点韓国近現代史』第1号、1992年、(6)伊藤孝司編著『証言従軍慰安婦・女子勤労挺身隊』10~72頁(風媒社、1992年)                                                                      尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人慰安婦明石書店、2003年)