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検証・朴裕河 『帝国の慰安婦』 ①本当に吉見義明の著作を読んでいるか?



検証・朴裕河 『帝国の慰安婦 ①本当に吉見義明の著作を読んでいるか?

先行研究を無視する朴裕河


          1、朴裕河はなぜ吉見の著作だけ引用著作名を書かないのか?
               
『帝国の慰安婦を読んですぐに気付くのは、秦郁彦上野千鶴子、大沼 保昭などの著作から、広範な影響を受けている事である。例えば「軍の責任を否定して(朝鮮人の)親や業者の責任」(p46、p49など)の強調は、小林よしのり秦郁彦が述べていた主張そのままであり、<アジア女性基金>の事業に対する好意的理解と支援団体攻撃は、大沼 保昭の慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 』(中公新書) などの主張とそっくりである。

一方で、吉見義明の影響を受けている部分は少ない。名前が出るのはP31であり、朴はこう書いている。

 
もっとも、千田はある軍人が慰安婦募集を業者に直接依頼したと書いていて、その後の研究でも軍による慰安婦の募集要請に関する資料は多く発見されている。(吉見義明ほか論文)

 ここで注意を引くのは、(吉見義明ほか論文)と書いていることである。著作の名前も頁数も書かず、ただ(吉見義明ほか論文)としているのだ。

朴は他の人や著作からの引用についてはもっと丁寧に出典を書いている。

例えば、p35辺りからの森崎和江の著作『からゆきさん』からの引用では、(森崎和江、1976)と書き、さらにその後の引用でも、(同、116頁)と頁数まで書いている。千田夏光の著作や古山高麗雄『白い田園』からの引用、証言集からの引用も同様にちゃんと引用元が分かるようの著作名と頁数まで書いている。論文としては当然である。

ところが、吉見の著作に関しては、頁数どころかその著作名さえ書いていない。読んでいれば、著作名と頁数を書いているはずである。だから自分で読んでいないのだろうと考えられる。

末尾の参考文献の項目には、吉見の著作についていくつか専門の歴史雑誌からの文献が並んでいる。
例えば、
『「従軍慰安婦」問題研究の到達点と課題』(「歴史学研究』849、2009年1月)や
『日本軍慰安婦問題について』(「戦争責任研究64号、2009年夏号)などである。
(これについては、また後で述べる。)

こうした著作をもし本当に読んで参考にしたというなら、なぜ吉見だけを(吉見義明ほか論文)として著作名と頁数を書かないのだろうか?

ちなみに頁数を書いていないのはもう一つあって、p46とp54の『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集4』に関してである。
(「内務省文書」『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集4』、1997収録)と著作名は書いてあるが頁数は抜けている。

『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集4』はこれである。)


吉見以外の歴史家の論文。例えば永井和の論文についても、読んだ形跡などまったく見られない。もし読んでいれば、「軍の後方施設としての慰安所」を理解するはずだからだ。
その代わりに各所で引用されているのは、まず文学書でありそれが『帝国の慰安婦の特徴の一つである。

古山高麗男『蟻の自由』 、田村泰次郎『春婦伝』などであり、ノンフィクション系では、森崎和江『からゆきさん』田夏光の従軍慰安婦はそれなりに読み込んだ跡が見られる。さらに挺対協の証言集も各所で引用されている。それらもかなりの歪曲があると思うが。

朴は日本語版の序文で「声をあげた女性たちの声にひたすら耳をすませることでした」(p10)と書いているが、いくつかの証言に味付けとして、しっかりした一次史料集や歴史学論文は読まないでその代わりに、フィクションやノンフィクションを使っている。そのためかなり歪な慰安婦理解へと人々を誘導しているのである。





      2、『日本軍慰安婦問題について』で吉見が書いている内容を無視する

朴裕河が吉見の著作を読んでいない・・・またはまったく考慮していない証拠をもう一つあげておこう。

すでに述べたように朴裕河は吉見の『日本軍慰安婦問題について』(「戦争責任研究64号、2009年夏号)を参考文献としている。

この吉見の論文には「制度運用の主体」という項目があり、そこで吉見は「慰安婦」制度運用の主体は軍なのか、軍に選抜された業者なのか、という問題をかなり事細かく論じている。


かりに略取や誘拐や人身売買があったとしても、それは業者がかってにやったのことで、軍や政府には責任はないと議論もあるからです。果たしてそうでしょうか?(p5)

こうして吉見は3頁に渡りそれを説明している。

 このテーマは朴の著作のテーマの一つでもあり、まったく別の意見(秦や小林よしのりの意見と同様の意見)を唱える朴は、もし読んでいたとしたら、なぜ完全に無視しているのか?問われなければならないだろう。

次回、この点をより細部まで見てみよう。

(つづく)